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7インチ盤専門店雑記200「至上の愛」

果たして何回聴いたでしょうか。ジョン・コルトレーンの「至上の愛 Love Supureme」、おそらく100回ではきかない、もっと聴いているんですけど、どうも理解できたような、できていないような、不思議な感覚しか持てないで終わってしまいます。輪廻ではないにしても、毎度「あれ、これで終わってしまうの?」という感じで、もう一度アタマから聴いたりします。「パート2、決意」が好きで、「パート3、追求」の前半があまり好きではない。後半は好き。追求前半はちょいとアグレッシヴで、演奏を追いながら聴くのにはいいのですが、この盤はそういう目的で聴くのではなく、もう少し思索の種というか、別の存在意義がありそうなんです。

まあ、彼の宗教観とかいったものが結晶化した音楽なんでしょうから、その辺を理解したいんですよね。でも多分無理なんだろうなという思いも常にあって、元々無宗教に近い自分には理解できるわけがないもののようにも捉えています。純粋に音楽としての「至上の愛」を理解するということはあり得るのか?宗教的な内容、ジャケットに記された詩編も含めて、しっかり理解すべきなのではないか、そういった思いが諦めさせるんでしょうけどね。詩編が読解できないわけではないんですけど、どうも禅問答のようでもあり、「はあ、それで…」という程度にしか入ってこないんですけど…。まずいですかね、人間として…。

例えば、インパルス時代を通してコルトレーンを支えたというプロデューサーのボブ・シールは理解できたんですかね?コルトレーンのプロデューサーをやるというのは、どんな感じだったんですかね?演奏に参加したマッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズはコルトレーン自身の謝文にあるように、理解できていたんでしょうね…。ちなみに、国内盤のライナーノーツを書いているのは野口久光さんなんですが、おそらく宗教的な部分は理解できてませんよね。…何も触れてないもん。

2021年10月に突然リリースされたシアトルでのライヴ音源がありまして、「至上の愛」本体に関してはこの程度の理解しかできていない自分が聴いたらどんなもんなのか、演奏はスタジオのファイナル・テイクとは違うわけですが、他に類をみない稀なコンプリート・ライヴなわけで、何か違うものが見えてくるのではないかという部分が気になるんです。

でもね、これ、別物です。宗教的な崇高さは薄れておりまして、結果として猛烈な集中力とアグレッシヴな演奏に耳を奪われてしまいます。エルヴィンのドコドコ・ドラムはもの凄い迫力で、ロックのアルバムを聴いていたかと勘違いしてしまうものです。コルトレーンももちろんながらもの凄い演奏です。現場にいたら凄い迫力だったでしょうね。口開けて見入ってしまいそうです。まあ、店のスピーカーを通してレコードで聴いても、お口あんぐりですけどね。いやはや、凄いです。


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