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続・下町音楽夜話 0332「最後に残す100枚」

さあ、そろそろカウントダウンでもよかろうか。音楽夜話の終活を始めよう。今回が続・下町音楽夜話の0332、某サイトで連載していた下町音楽夜話は666本で終了している。合計して今回が998本目である。あと3本で目標達成だ。2002年5月から19年、週に一回アップしてきたが、もう1000本という数字にこだわる必要もない。何の意味もない。好きな音楽を聴き続け、好き勝手書いているだけのものである。そろそろ他のタイトルに変えたくなってきた。継続が力ということは否定もしないが、自分の場合は継続するタイプ、何でも始めれば結構続く性格なのだ。むしろ一度始めたら「止める」という変化を望んでいないだけかもしれない。

さて、50年ほど洋楽にハマって聞き続けてきたが、最近は7インチ盤専門店を始めたこともあって、原点回帰的にポピュラー・ミュージックばかり聴いている。ジャズもブルースもいろいろ首を突っ込んだが、ロックほどはのめりこんでいないし、ある程度でいいという感覚も得た。一時、キング・クリムゾンのライヴ音源にハマった頃、古いスタイルに拘っているジャズに対する魅力を根底部分で否定されてしまった。ダブル・トリオ直前のキング・クリムゾンがやっていたことは、安易なアドリブを回しているだけのつまらないジャズよりよほど刺激が強かった。テクニカルでもあり、やっていることの難易度もはるかに上、ブルフォード・レヴィン・アッパー・エクストリミティーズは極限まで達していたと思う。間近で観たライヴも凄かった。そして飽きたのとは少々違う感触で、もう十分かもと思うようになった。

結局、東京の小学校が性に合わず、さっさと帰宅して聴いていたラジオが自分という人格を形成する手助けをしてくれた。音楽を通じて海外の情報を探索しまくり、FENや全米トップ40などで音楽の知識をどんどん増やし、背景にあるカルチャー全般に対する興味が沸き起こっていった。就職をしてからも、手を変え品を変えしながら、サブカル全般にどっぷり浸っていたので、聴くものの幅は拡がる一方だった。ジャズも、ブルースも、他のポップスやロックと同様、何でも楽しめる耳になったことがよかったのだろうか。

思うにこうした傾向を維持できたきっかけはいくつか思い当たる。一回目の結婚に失敗し腐りきっていた時期に、池袋のロサ会館で古い映画や英米以外の外国映画をいっぱい観て、感性が柔軟になったことは一つ大きい。また、ロン・ウッドやキース・リチャーズあたりが1980年代後半から90年前後にブルースメンを紹介しまくってくれたことは、連中にとっては別の動機かもしれないが、自分にとっては思い切り視野を広げてくれたことになった。また、CDに切り替わったことで、叩き売りされ始めたアナログ盤で思い切りコレクションを充実させる一方で、ブルーノートやOJCの廉価盤CDでジャズの知識は一気に広まった。またデフ・レパードなどのバンドが原点回帰的にグラムロック愛を示してくれたのも同時期であり、自分自身も自信をもって古いものを聴き続けることができた。

日本国内はバンドブームで、ヘタな連中がメディアを占拠していることに辟易としたが、そのおかげもあって、反面的な探求心が湧いてきた。海外のマイナー・レーベルにも食指を伸ばしたのはこの時期だ。リマスター音源の音の良さも手伝って、デジタルもアナログもお構いなしに増やしていってしまった。1996年に再婚した頃には、6畳一間がレコード部屋として埋まり、リヴィングは大振りなオーディオセットがかなりの面積を占めてしまったが、それを許してくれたカミサンに感謝しなければいけない。

1990年代はシンコー・ミュージックから出たデータベース的なアルバムガイドが本当に役立った。そのムックの情報を元に、ブリティッシュ・ロックの有名どころから順次コンプリートしていった。Windows95が出たタイミングがまた丁度良かったのだ。これからはパソコンの時代だと思い、かなり高かったが百科事典か幕の内弁当かというようなサイズのノートパソコンを早々購入し、慣れるためにレコードのデータベースを作っていった。毎日帰宅後は夜中まで数十枚ずつアルバム情報を入力していったのである。ようやく2007年ごろ、ウェブの情報も充実してきたなと思え、そこらで終了したが、記憶の整理にもなったしクレジット・マニア的な性向を極めるに至った。

結局、東日本大震災でいろいろなことが起き、考え方や生き方を変えられてしまったが、29年間務めた江東区役所を辞め、音楽を聴かせるカフェを始めたことで、あらためて音楽と正面から向き合うことができるようになった。お客様の要望等への配慮もあって、店に置いてあるのは自分の好みとは一致してないラインナップだが、音楽との接し方はさらに広がり、他人様の音楽の聴き方も知ることになり、翻って自分自身の音楽傾向も純化したようなものだった。やはりアナログが好きだという認識を新たにし、さらに夢中になってラジオを聴いていた小中学生の頃の感覚に原点回帰して、シングル志向であることを再認識した。

結局、誰もが驚くほど悪食で何でも屋であることと、とにかく音楽が好きなのだという生き方は、死ぬまで変わらないだろう。変える必要もない。ただし、終活を考慮すると、少しずつでも整理していかねばとは思っている。明らかに持ち過ぎなのだ。これまであまり聞いたことはないが、これからは「最後に残す100枚」などというセレクションを考えるのも面白いかもしれない。

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