続・下町音楽夜話 0324「最終回」
昨年7月から始まった中央エフエムの「東京音楽放送局」という番組が終了した。月一回の特番だったので12回である。「もう12回もやったのか」という感覚もあれば、「まだ1年しか経っていないのか」という気もしている。何はともあれ、実に貴重な経験だった。
自分は音楽が好きということは紛れもない事実であり、相当聴いている方だとも思うが、まさかラジオのパーソナリティをやることになるとは思ってもいなかったし、そもそも「やりたい」と望んで「どうぞ」とやらせてもらえるものでもない。コロナ禍がきっかけで始めたnoteを読まれた社長さんが、自分が趣味的にやる深夜の生放送の相方に選んでくださったことから実現した機会である。こればかりは感謝してもしきれない。
還暦過ぎの爺に面白い話などそうそう転がり込んでくるものではないなどと思い、好き者を極めてみるかという割と短絡的な感覚で請け負ったが、やはり体力的に厳しい部分もあったので、ホッとしていることも事実だ。とりあえず酷く迷惑をかけるようなこともなく、最終回を迎えることができただけでも喜ばしいことだ。
要するに「深夜の生放送」という部分がどうにもキツイのである。店のシフトとの兼ね合いでもあるが、金曜日の深夜に楽しんだ翌日が、平日の3倍以上は売り上げる土曜日なのである。ただでさえ閉店後はへたり込んでしまうほど体力を消耗する日に、睡眠不足の幽体離脱状態なのだから辛い。周囲に迷惑をかけたことは間違いない。それでも好意的にフォローしてくれたスタッフ連中や、手伝いに駆けつけてくれたつれあいに感謝するしかない。
また望まれたことでもないのに、アナログ推しというスタンスでやらせていただいたことも感謝すべきなのだろう。昨今のアナログブームという側面もあるが、このご時世に、いちいちターンテーブルを用意していただけるのも申し訳ないものであった。片付けるにしても、ケーブルの纏め方一つからして、マナーや好みもある。ヘタに手出しできないので、お任せするしかない。実にお客さん的立ち位置でやらせていただいていたのである。
東京スクエアガーデンという、東京メトロ銀座線京橋駅直結の商業施設内にあるスタジオにいるということも、自分には場違いのような不思議な感覚だった。元々あまり出歩く人間ではないので、コロナ禍で外出自粛が求められている都心の状況を目の当たりにしたことも忘れ難い経験なのだ。緊急事態宣言が出され、驚くほど人がいない三越前駅の地下通路を、足音を響かせながら歩くという経験は、パラレルワールドに紛れ込んだような、恐ろしく非現実的な経験だった。金曜日の22時30分過ぎという時間で、一瞬自分以外誰もいないのである。視野に人っ子一人入らないのである。あれには正直ビビった。
営業自粛だったり、営業時間短縮だったりという事情もあって、終盤の5月6月は一旦帰宅してクルマで行ったので、最近の状況は分からない。それでも、昔の賑わいと比較すると随分寂しいものだろう。如何せん東京のど真ん中、中央区なのだ。銀座や日本橋といった日本経済の中心たる商都での出来事なのだ。自分の店がある清澄白河は元々寺町なので、夜になると人通りも少なく、静寂に包まれることもある。しかし、銀座・日本橋の夜がこれほど静かだったという経験は、いつかは去るであろうコロナ禍が懐かしく思えるときに、きっと笑い話のネタとして、脳みそに焼き付けられていることだろう。
「東京音楽放送局」最終回のお題は「ブラス・バンド」だった。ゲストをお迎えして楽しい2時間を過ごすことができた。「ブラス・バンド」と言われても、自分の場合は勝手に「ブラス・ロック」に置き換えての選曲である。普段は直球勝負を多めに仕込むが、今回はシカゴもブラッド・スウェット・アンド・ティアーズもチェイスもなしだ。スティーヴィー・ワンダー「愛しのデューク」、ビル・コンティ「ロッキーのテーマ」、クインシー・ジョーンズ「鬼警部アイアンサイドのテーマ」、エルマー・バーンスタイン「黄金の腕」など、懐かしさやあるある感を重視した選曲とした。そして最後はブラスが印象的なロック曲の代表として、アトミック・ルースター「セイヴ・ミー」で自分の推しは終了した。
番組を通して俯瞰的に見た場合には、かなりチグハグな選曲だったかもしれないが、今回は自分自身が納得できる選曲にしたこともあり、結果的には楽しめた。運営サイドは、コロナ禍でやるからには、リスナーの皆さんに明るさや元気を提供できることも重要なのだろう。音声のみのオールド・メディアとしてのラジオであれ、番組の構成を考えるのもそれなりに奥が深いものである。お客様パーソナリティは好き勝手に選曲していたが、果たして少しは番組に貢献できたのだろうか。
如何せん、我々の世代にとっては、ラジオが最大の情報源だった。それこそ人格形成に影響を与えられたほどの存在だったのである。今は動画配信サービスが主流の時代かもしれないが、いまだにラジオ好きは多いと聞く。思うに、ながら聴きできるラジオの魅力はそうそう失せるものではない。いやはや、音楽好きの楽しみここに極まれりの一年だった。
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