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シン・エヴァを観た只のいち私人の日記とダ・カーポ アル フィーネ

大泉学園。東映の本拠地。日本アニメ史における重要スポット。
そんな街の西の外れで僕は生まれ育った。
この地の人々にとって大きな存在の一つ、東映撮影所に隣接したオズ大泉。西友、西武、リヴィンと冠を変えるその変遷を、僕も見続けてきた1人だ。

1995年、当時14歳。新世紀エヴァンゲリオン放映の時、僕は主人公たちと同じ年齢だった。時の流行コンテンツはまず金田一少年の事件簿が筆頭だろうか。久しぶりの金八先生、家なき子、人生は上々だ、星の金貨、とドラマのヒットが相次ぐ時期だった。スポーツの分野ではイチロー、野茂が旋風を巻き起こし、サッカーに奪われた人気を引き寄せていた。それをうけてか、中学校の図書室にドカベンが導入される、なんてこともあった。ゲームセンターも活況な頃で、スト2、ヴァンパイア、バーチャファイターと皆多少なりともプレイしていた。この年あたりは多分餓狼伝説が最も人気だったと思う。

エヴァンゲリオンは主題歌がヒットし、存在感こそ見せていたものの、リアルタイムの夕方の放送時間に視聴していた層はそこまで多くはなかったと思う。夕方アニメは子供のものという認識がまだ比較的一般的だった頃の話だ。視聴率もよくなかったと聞いた覚えがある。
前年に僕の周りでは好評だった機動武闘伝Gガンダム、この年は新機動戦記ガンダムWが放送されていた。序盤こそ食いついていたが、少年たちにはどうも違和感があったのか、プラモこそ作りはすれどやや盛り上がりに欠けていた。そんな中で興味はエヴァンゲリオンに移っていく。セガサターンのゲーム化第1作もすぐに予約した。多分きっかけは漫画版1巻の単行本リリース。少年エースのキラータイトルとして推されていて目に留まったのだったと思う。
今でこそセカイ系などというカテゴリで語られるが、当初話を追っている僕にはガンダムよりも近い世界で等身大の少年たちが巻き込まれていく物語という要素が目立って映った。ロボットものやバトルものの中で見るとかなり現実社会に近い未来を舞台とし、時にコミカルな場面もあり、そういった日常風景への親近感はむしろ強い部類に入る作品でもある。やがて核心に近づくにつれ物語は難解になっていく…とされるが、それを決定づけたのは最終盤であり、放送終了後に多くの謎が残ったままだったこと、なにより旧劇場版での完結の仕方に起因する。心理世界の描写がすべてのように言われるのはTVシリーズ終了後の逆算的なものであり、フラットなものの見方ではないと思う。
テレビシリーズの結末には驚きはしたが、失望や怒りのようなものはその時特に感じなかった。「おめでとう」の結末は、すっきりとした物語の着地ではないけれど、殻を破って救われたのだろう、くらいに思っていた。それは、好きで見てはいたもののまだ熱狂というのめり込み具合ではなかった、という理由からかもしれないし、そもそもまだ若くアニメ作劇に対して既成概念がなかったからかもしれない。
とはいえ終わってから沸々ともっと知りたい気持ちが湧き上がっていく。台本集であるエヴァンゲリオンオリジナルを手にしてからは一層加速していく。またそのころ、世間でシナリオの完結が不完全だったことで、遡って数々の謎が話題となっていくのは承知の通り。

放映後間も無く、劇場での完結編発表、後を追うように関連グッズ展開や書籍などが登場、さらには深夜帯の再放送…不思議な時間差ヒットが広がっていく。
放送翌年、カードダスマスターズや3号機プラモなどを小遣いをはたいて買っていたのが、オズ大泉だった。
そして大泉学園の顔のような存在でもあった、駅前の英林堂書店で単行本やシナリオ集エヴァンゲリオンオリジナル(全3冊)などを買ったりもした。1996年、受験のために大泉学園の塾に通っていた頃のことだ。
14歳から15歳にかけての、その多感なひとときがこの街に埋まっていた。

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あれから25年。僕は始まりの場所で一旦の終止符を打つことにした。オズスタジオシティ内、T・ジョイSEIBU大泉。
シン・エヴァンゲリオン初回はユナイテッド・シネマとしまえんで観た。初日初回の上映回だった。次の日曜、2回目を見た。それでも終わるに終われないでいた。振られた女性に未練を持つように、心に大きな穴が空いたまま不安定な日々を送っていた。同じ思い出を何度も頭の中で反芻していた。そのままでは自分ばかりが抜け出せない、物語は区切りをつけたのに。
おそらくは単なるセンチメンタルにすぎないだろう、一時の昂りであろう、そういう気持ちも多分にありつつも、何かかたちのある終わりが欲しかった。

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英林堂は数年前にその使命を終え、オズ大泉もすっかり中身が変わってしまった。今回観た場所であるT・ジョイだって、25年前は存在せずただの駐車場だった。だが、この街が始まりだった。その時は予期もしていなかった、太くなったり細くなったりしながら長く続いてゆく糸の始点だった。
シンエヴァはこれで3回目になる。映画を、劇場に繰り返し行って観るという行為は人生で初めてのことだ。この3回目、僕は初めて少し、鼻がツンとなる感覚を覚えた。ユイがシンジと別れるシーンだった。
その時僕は、とうとうあの14歳の頃から続いていた糸の端が、結ばれたことを理解した。

あの時碇シンジたちと同じ14歳だった少年たちは、2021年、40歳を迎える。不惑、四十にして惑わず。
止まった時が動き出したシンジやアスカの姿に、あの日の自分とこれからの自分を重ねてみる。ひょっとしたら、81年生まれの特権かもしれない。
ああ、しかしどうだ、僕たちはもう、いい年をした大人なんだ。



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