『代官山17番地』

あれは中学生のころだったと思う。横浜に住んでいる自分にとっては、渋谷や原宿に買い物に出かけるのさえ、1週間前から親に許可を得なければならないほどの大仕事だった。(とくにうちは子供の外出に厳しかったから)

当時から渋谷から一駅ちがうだけで緑がたくさんあり、そこに住んでいる人もいる、なんだかめちゃくちゃお洒落で大人な街だった代官山。どうしても人混みに馴染めない自分には必然的にそこに惹かれてしまう理由があったので、何かにつけて、わざわざ各駅の東横線に揺られ、途中下車ばかりしていた。

同潤会の森に迷い込んだ時の感動は忘れられない。

起伏のある地形や、蔦のからまるアパートメントのたたずまい、何十年もの間、周りの変化を見守ってきた貫禄。

それはのちにできたアドレスのような高級なものでない。夕刻になるとアパートから漏れてくる料理の匂いや食器の音。洗面器をもってお風呂屋さんに行き交うご近所さんの会話。

この映画であの森が17番地という住所を持っていた、と初めて知った。そのあとにひとつひとつの建物のナンバーがついていたのか。

さて、この映画は、在りし日の同潤会代官山アパートそのものだけを撮ったものではなく、そこに息づく人々や朽ち果てた物と生活の谷間のようなものを映し出している。その切り取られた美しい一枚一枚がピアノの旋律を背景にスライド形式で流れてくる。

あのワクワクして探検した代官山の森はもう、跡形もなくなってしまったと、再認識する少しセンチメンタルになる映画だった。

在りし日の、といえば蔦屋書店のところも、確か外資系の会社の社宅で、フェンスの中は洒落た生活や社交が繰り広げられている、別世界だった。

懐かしい思い出。




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