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巡りをデザインする。人の巡り合い、過去、未来、物質の循環、意識の循環。

自分が意図して巡らせること。この世界と一体になって感じること。意図と共に生きること。意図をもって物事を選択すること。

それは生きていく中で日々行われている作業で、その積み重ねが自分の人生に直結しています。でも、多くの人はそこに「選択肢」があることに気づかないでいて、実感のないまま選択しているように思えるのです。

選択することが必要です。

選択をするためには、選択肢がなければいけません。自分で決めたのでないならば、結果的に自分は何もしなかったか、誰か他の人に決められたことに流されていることになります。

流されよう、と決めることも選択ですから、それに気づいているのなら、自分が決めたのと同じことです。また、選択肢がたくさんあることに気づいても、多ければ多いほど迷いも増えてしまいます。同時に、多いほど自分の目的にとってよりより選択肢が存在するということになります。

なにかを選ぶときに、その選択肢を自分で増やすことができたならば、自分の目的は叶いやすくなります。そのために必要なのは、可能性を感じとれることです。何かのルールにとらわれず、先入観をもたず物事を見つめることで、目の前にはたくさんの可能性があるはずなのです。

世の中のいろんな物事は、いろんな言い方ができます。それは、ある物事自体は一であるのに対して、それをみたり感じたりする、捉え方というのは人の数だけあります。

それだけ、さまざまな言葉で同じものを表すことができるのが、「物事」の本当の姿です。一つの物事にたいして、その意味がひとつだけとは限らない。ある意味が、プラスになる人もマイナスになるひとも、無関係であるひともいます。プラスやマイナスというのは、人の主観が入った場合の捉え方ですが、たくさんの意味があるというのは、単に「どのように捉えるか」の選択肢であり、可能性でもあります。

たくさんの選択肢の存在にあとからきづくのではなく、前もって見つけることができ、自分で選ぶことができたら。それはあなたが意図的に、能動的に選んだ選択であり決断であり、それが積み重なれば、自分で選んだ人生であるという実感を強く持つことができるでしょう。

多くの選択肢が目の前にあったとしても、私たちが能動的になるためには、意図をもつ、ということが必要です。はっきりとした意図でなくても、何かを選ぶときに基準がなければ選べません。ポリシーや生き方のようなのような高い意識ではなくても、なにかしらの選ぶ基準があるはずです。それを自分で確認することが「意図をもつこと」です。自分の判断基準を、自分で知ることです。

可能性を見出し、選択肢を増やし、意図を持って選ぶ。ぼくはこれを「デザインすること」だと考えています。

取捨選択があるから、ひとの人生はそれぞれ違い、面白くなります。楽しいから良い、辛いから悪いのではなく、すべてが「おもしろい」。だから、オンリーワンなのです。

ここでいう「巡りのデザイン」とは、自分の身の回りに起きるひとの巡りあい、物事の巡りあいをデザインすることです。

その奥の方にある、人びとのきもちのつながり、社会の流れ、自然の呼吸や、この地球におきることに可能性を感じ、意図をもって選択し、それが自分のことである、自分自身の一部であると、実感していきること。

それは、地球と一体になって循環を感じること。そのとき、自分の創造した世界を生きていくことができるのではないでしょうか。

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