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私、という概念が結晶化するときがあり、形として安定しはじめて原石になる。

何かを得た瞬間に感じる感覚には、そのひとが本来持っている方向性がある。そのひとのクセがある。ひとそれぞれの考え方のクセは、親からの影響や育った環境ももちろん含む。たくさんのバイアスがかかっている

クセは、だんだんクセから個性になり、うまく研ぎ澄まされて、そのひとにとって最適なフォームに変わっていく

そして「その人自身」が、できていく。

ちりじりになっていたアイデアが、ふとした瞬間にまとまるときや、書き溜めたフレーズが曲になったり、物語になったりするときのように「わたし」が結晶化するときがくる。

ひとは、生まれながらにして、カラダという「わたしの形」をもっている。この「わたしの形」がいろんなクセを身につけていく。けれど、「わたし」という概念はずっとあいまいなまま。

でも、自分がみにつけたクセをみとめてあげること、好きになってあげること。それが、自然なことだと思うこと。そうして毎日磨いてあげるときっと、きれいに結晶になる。

「わたしの概念」を毎日磨いてあげる方法は、この世界に対して、純粋ななぜか?をたくさん考えること。それは「探求」であり、冷静に物事とむきあう、なぜ。

こどもたちが世界のすべてに感動するように、真理を追究することを忘れないこと。世界を正しく見るちからは自分を正しく見る力と繋がっている。

自分が正しく見えた時、ひとは、結晶になる。

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