見出し画像

不安や心配に捉われている間、刻一刻と人生の残り時間が減っている。

うまくいくんだろうか?という不安は、生きている限り付きまといます。

そのときに、少し考えてみてほしいことがあります。そもそも不安というのはなぜ湧き上がってくるのでしょうか。それは新しいチャレンジに対する人間の自己制御システムなのかもしれません。

しかし、不安を抱えている状態では、最高のパフォーマンスはだせないように思います。それでは、うまくいきたいこともうまくいかないでしょう。

夢中になるためには、不安はとても邪魔な存在です。仏教ではそれが雑念と言われています。真理に到達することを阻む存在です。

これは本当に、まじめに考えてみてほしいことです。私たちの人生は、本当に有限なんです。1秒たりとも戻ってはきません。

不安でどうしようどうしようともがいているその時間が、1秒、1分、1時間と過ぎていきます。それで、構わないのでしょうか。

「不安だ」というだけの状態は何も残しません。しかし、「自分の寿命」は確実にそれに費やされている。本当に、それで、構わないのでしょうか。

そのことを心の底から向き合うと、不安はバカバカしいことだと、思えるようになります。不安をゼロにするなんて難しいですが、ダメでもともとでいいんです。時間を捨てるくらいなら、一歩でも体を、頭を、動かせば、それは「経験」になるでしょう。

心落ち着けて何もしない時間もあっていい、不安に費やすよりは意義があると確信しています。

ぼくの記事がお役に立ちましたら、お賽銭を投げ込んでいただけると嬉しいです。 それを眺めてなんどもニヤニヤすると思います。