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この世界は幸せの種に満ち満ちている。なぜなら、そこらじゅうがオマケであふれているから。

世の中はおまけで溢れてる。ファッションや食べ物や住環境、その人のライフスタイルの中で必要十分条件を満たしたうえで、それ以上の価値の部分。

それは「付加価値」であり、付加されているということは「おまけ」がついているということ。そのおまけの大きさによって、お金を払う人・払わない人と別れるけど、対価を払って、より良いものを求めることは人生を豊かにできることで違っていない。何を価値に感じてもいいし、どれだけ手に入れても構わない。

一方で「満足できない人」が多い。テレビや雑誌でとりあげられると、みんなそれを欲しがって買いに走るけれど、欲しいということは、足りないと思っている。

生活に必要十分な物事は満たされてもなぜか満足できない。現代で、昔にくらべ健康でない人がいるとしたら、それは、「満足できない」ストレスじゃないか。衣食住がみたされることから人間の発展はスタートしているのに、なぜ豊かさに溢れる私たちが衣食住の安心や安全を気にしているのだろう。

普通に毎日がやってきて、衣食住はみたされている日本という国、少なくとも家族や近しい人たちは健康で安全な毎日を送れているように思う。物の数や質やお金の豊かさで溢れてなくとも、その普通の毎日には笑顔があり、幸せではないだろうか。

それで「十分」なのだから、僕らの目に見えるものは、ほとんど「おまけ」なんだ。満たされていない、というよりも、満たされたうえで、おまけがある。

そんな毎日をどう生きよう。

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