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怒り方、叱り方、こどものきもち。

怒ると叱るのちがい

たいてい誰だって、こどもがなかなか言うことを聞かないと怒ります。親でも先生でも、昔はよく近所の人も怒ってました。

ただ、これ本当は「怒る」ではなくて「叱る」のはずなんです。
こどもが危険な事をしたとき、悪さをしたとき、人を困らせるようなことをするときなど、それを注意して何がいけないのかを教えるのが「叱る」です。
対して、同じそれらこどもの行動によって、腹が立ち、感情をぶつけているだけなのが「怒る」です。

感情が高まるのは普通のことなのですが、感情をそのままぶつけているときというのは、言葉が足りず、何がいけないのかをきちんと伝えてない事が多いのが難点です。

例えば
「しっかり前を見て歩きなさい!ぶつかると怪我をするよ!」は「叱っている」で、

「もう!何してるの!ちゃんと歩きなさい!」が「怒っている」です。

育児書などではよく触れられる「叱る・怒る」の区別ですが、誰しも日常的にそこまで意識しませんし、手強いこどもたちを前に完璧なアンガーマネジメントなんてできません。

人によって、子どもを叱ったと言いながら大声で怒っているだけの人もいれば、怒ったといっても、しっかり諭して聞かせている人もいます。

「叱る」の徹底は相当難しい

では小言から咄嗟の注意まですべて「叱る」に変えていけるかというと、みんなそんなに器用ではありません。
怒るを叱るに変えるのには、論理的に考えられるきもちの余裕が必要です。また、湧き出てくる怒りの感情をおさえるコントロール力も必要です。

叱るを徹底しようとすると、今度はそれがストレスになって、うまく叱れなかった、と自責が増えるかもしれません。
まずは「怒りの感情の振り幅を小さくする」だけでもいいのではないでしょうか。そして「怒り口調をやめる」「怒る回数を減らす」というふうに進めてみてから、あらためて「怒るを叱るに」変えていくのがいいと思います。

実は怒らなくていいことに怒っている

こどもはまだコップを上手に持てなくても、大人のように運びたいと思います。
こぼしたら腹が立つでしょうけど、その繰り返しがなかったら上手にはなりません。
それに水なら乾けばいいやと考えられます。
先にこぼしていい環境をつくっておけばいい。

こんなふうに考えると怒りもいきなりMAXにはならないでしょうし、先回りして「こぼすから運ばないで!」と怒ることもありません。

親はこどものする事を先回りして考えて、その結果起きる良くないイメージで、勝手に腹を立ててしまうんです。
これも、仕方のないことですけど、子どもからしたら「チャレンジしたら怒られた」「やりたいことを楽しんだら怒られた」というきもちになるでしょう。

またある程度、我がでてくると、何もしてないのに怒られたことに対して、こどもの方が怒りの感情を持ちます。

このとき、こどもの怒りや悪態に腹を立てる前に、自分が先に同じことをやってないかを考えてみましょう。

子どもが大きな声で急に怒ってきたのでさらに大きな声で叱りつけた。でも、それは子どもが何か失敗をする前から、自分のほうが理不尽に大きな声で怒っていなかったかどうか。

親は自分が怒り口調になっていることに気がついていないことがあります。

こどもは何がイヤか

怒られると余計に癇癪を起こしてしまう子も多いと思います。
こどもは手伝いをするときも、大人の真似をするときも、ふざけているときも、同じことをしつこく繰り返しているときも、調子がすぎるときも、本人は単純に「とても楽しい気分」なのだと思います。

そんなときに、いきなり怒鳴られてり圧のある注意をされたら「楽しかった時間が一変した」ことにショックを受けます。
良かれと思ってやっていることを咎められたのと同じ気分です。

「叱る」を徹底するより「怒る」を減らすことが大切なのは、こういった「楽しい気分」を落胆させないためなんです。

僕は小学生のころ、何度もこれに近い経験をしていたので悲しかったです。

うちの親は怒鳴るようなことは滅多にしなかったのですが、僕は「斜視」という目の病気のことで、よく理不尽に注意されていたので、それが団らんの楽しい空気を悪くするのが本当に悲しかったんです。

楽しい話の途中、夕ご飯の途中、みんなでテレビを見ている途中など、それはたぶん何か間違った情報とか勘違いに基づいた注意だったんだろうと思いますが、斜視は習慣で治るようなものではありません。

それがあったので、僕は物事の仕組みや事実というのはしっかりと理解しないといけないと思うようになりました。
こどもは反論する言葉や知識を持っていません。「違う」と訴えても「じゃあ何が違うんだ?」と親から問い詰められたらそこで終わりです。

親が「叱っている」と思っていても、こどものためと考えていても、そこに論理がなければただの圧力なので、これも「怒る」と同じです。初めから対話の余地が含まれてないことが危ういのだと思います。

それが気持ちを萎縮させてしまうことにつながったり、癇癪をおこさせることにつながったりします。

怒りの言葉の攻撃性

また怒るときに使う言葉そのものに、言葉の持っている意味や圧があります。

感情的になると「は?」とか「だから?」とか「で?」とか、ケンカ腰で使う人がいますが、とても不愉快なことばです。
そこには相手を打ち負かそうという意思が含まれているからです。
そもそも使うべきじゃない言葉だと思いますが、たとえ口をついてでたとしても、友人や親しい人に浴びせる言葉ではないでしょう。

当然こどもにぶつけるものじゃないです。

それを口に出すということは、子どもに対して攻撃性をもっている、そういうことを自覚すべきだと思います。

前述の件で、僕は自分の親に対してマイナス感情もってはいるのですが、しかし、こういった言葉に関してはとても親を尊敬しています。

母は中卒だし、父は通信高校卒。学歴は関係ないかもしれませんが、語彙や言葉遣いというのは修めた学びとある程度比例するでしょう。
言葉の表現力は自分で努力して身につけるものです。

地域的にもけっこう言葉の荒いところですが、自分の親からは不愉快な言葉づかい、人を貶すような言葉づかいは聞いたことがありません。

減らすことこそが大切

「叱る」を徹底できなくて構わないけれど、「怒る」ことは、僕たちの予想以上にさまざまに負をつくりだしているのではないでしょうか。
それを「減らす」ことの方が大切なんです。

怒っても何もいいことがありません。
怒る回数を減らすだけでも、
怒る言葉遣いを変えることでも
怒る語気を弱くするだけでも

そういったことだけでもできれば
こどもの楽しい気持ちを削がない、というおおきな意味があります。
それは肯定感を失わせたり、癇癪をおこしたりすることをきっと防いでくれるでしょう。

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