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生きづらさの紐とき。第5考「学びと感動」

*学びの本質

何かを学ぶことは、本当はとても簡単なこと。本や映画をみたり、調べたり、もちろん、テレビやインターネットからもいくらでも学ぶことができる。

でももっと簡単な学びかたがある。それは日々、少しでもなにかを体験して、発見をすること。昨日とほんの少し違う景色でも、それは新たな発見になっている。

それならいつでも、どこでも学べる。学びは、賢くなるためのもじゃなくて、自分がふと気になるもの、興味をもてるものを探したり、見つけたり、「探求」し「探究」するためにある。

そういったぼくらの「探究」は、みんな誰でも小さな頃にやっていること。
僕たちは幼児期に、手足を動かし、転んで泣いたり、びっくりしたり笑ったりしながら、自然の摂理、物理、聞くこと、話すこと、全部そうやって学んでみにつけた。

そのときの感動を、覚えているだろうか?
いまも、同じ感動を味わえるだろうか?

何かを新しく学ぶということは、感動そのものだった。

*置き去りの感動。

心が疲弊すると、真っ先に何が奪われるかというと、感動が奪われる。
あるときドスンとなにか黒いものが頭上から落ちてきて、感動を引き剥がしておきざりにする。

またある場合には、そうして失った感動を少しでも実感したくて焦り、欲が暴走することがある。しかし何を貪っても楽しくもなんともない。まるで「カオナシ」のようになることがある。

そんな感情の鈍くなってしまった生活には「いきづらさ」がつきまとう。

無気力、無関心、無感動になってしまうと、それはふつうの社会において「やる気がない」と捉えられる。「コミニケーションを取る気がない」人なのだと思われてしまう。
でも、ちからの入らない足で、無理やり歩くのは困難だ。意識はまるで潤いを無くしている。そこから無理やり感情をしぼりだして表現しなきゃいけないというのは、つらい。

しかし、そんな、おもしろさ楽しさを感じられなくなった日々のなかで、ふと、こころが揺れることがある。僕が知っているその瞬間は、「原体験」というような、幼児期の記憶と似た体験をしたときだ。

たとえば公園や自然のある場所にいくと、四つ葉のクローバーを探したことを思い出したり、川遊びの水の冷たさ、どんぐりをたくさん集めたこと。
田んぼ道で虫を捕まえたり、河川敷から夕陽をみたこと。そんなことを思い出して、少しこころが動くことがある。

また漫画やイラストの世界観にある学校の制服や校舎、教室、渡り廊下、登下校...そんな情景から感傷的になったりすることも、心が振れている。

もし、そんな気持ちになれたなら、今からやってみてほしい。
こどもの頃に夢中になっていた遊び方、時間の過ごし方。
その場所を訪れて見てほしい、登下校や寄り道をした場所。

そこには僕たちが得た「学び」がある。自然の摂理を発見したり、人の心の情動を発見した瞬間。そこには、静かに、でも強烈な感動の記憶が宿っている。

それを追体験すると、否応無くきもちが動いて、なにかがほどけていくときがある。可能ならその瞬間を、一人ではなく誰かといっしょに共有できれば、より深くこころが動き出すように思う。

*学びと癒し

新しい物事を学ぶときには、気づいたり解ったりしたことの発見と、その感動がある。でも僕たちは一回何かを身につけてしまうと、その発見に次から感動できなくなってくる。慣れてしまうからだ。

大人になればなるほど、歳をとればとるほど、技術や能力を身につければつけるほど、毎回の感動からは遠ざかる。
何事も「当たり前」になり、たいしたことのないものに、なってしまう。
すると今度は、感動することが減って、心がうごかなくなってくる。
心が凝り固まって「ワクワク」しなくなってくる。

普通に歳を重ねていても、知らず知らずにそうなってしまうのだから、心が閉じこもっていたら、なおのことだろう。

新しいことを見ても聞いても、感動できないということは、感動できないから、新しいことを見ても聞いても発見できない、ということになる。
それが無気力・無関心のスパイラルをつくり出して、生きづらさを強めてしまう。つらくて「なぜ感動できないのだろうか?」といくら考えても、それで感動できるようになるわけじゃない。

しかし、過去に「感動した記憶」はとてもつよく残ってる。
小さな頃の追体験は、その感動を呼び戻し、僕たちを癒してくれる。
それは単に懐かしさということだけではなく、
「学び」がぼくたちに与えていた「感動」と、その意味を考えて見て欲しいんだ。

たくさんの「学び」には「感動」がともない、
たくさんの「感動」には「学び」がともなう。

僕たちが日々見ている物事を「当たり前」と決めてしまわずに、こどものようにその瞬間ごとワクワクできれば、それだけで僕たちは癒されながら、過ごしていけるのだ。

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