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時間は概念だけのもの。日々は終わらないし、止まらない。ただ変化だけがそこにある。

「時間がある」とき。「時間がない」とき。時間に支配されているといってもいいほど時間を基準に生活する私たちの生活。

時間を忘れて何かに没頭したとき。時間を忘れてのんびりと過ごしたとき。わたしたちは確かに癒されているように感じます。しかし一方で、時間を区切らないと目標や計画をたてることが難しい。

「時間」とはどこに存在するのでしょうか。これが時間です、といって時計を差したとき、それは時計でありますが、時間そのものなのでしょうか。

時計の針が10分間分を進めたことを差したとき、それは針が進んだ角度ではありますが、時間そのものなのでしょうか。時間を、認識できる形にすることはとても難しい。

「時間」は概念だからです。

僕たちが「時間」を知るために使う時計は、星の動きを、観察し計測したものです。「時計」は時を計ると書きますが、計っているのは星の動きです。つまり、星の周期的な運動を秩序として1日,1月,1年の星の変化を基準にして、私たちが「時間」というものをつくったのです。

私たちの人生には限りがあります。

残された時間、という表現がありますが、消費されているのは時間ではなく肉体です。あとどれだけ生きられるかという、からだ細胞の生まれわかる回数を、変化を生み出すことができる年数を「時間」に読み替えているんです。

日々をよりよく送るために、便利なものにするために、時間は有用な概念です。しかし、そのおわらない日常を、くりかえされる毎日を終わらせる概念でもあります。

人が、人生の中で何をするべきなのかを知るために、始まりと、終わりが時間によって生み出された。それが時間の本当の姿なのかもしれません。

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