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考えすぎの日々学究ノート

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日々の考えすぎな考えごとを綴ったノート。
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2017年8月の記事一覧

障がい福祉の現場では10年以上にわたって「デザイン」への理解や必要性が説かれてきたもののまだ浸透しない。これからの職員を排出する福祉系の大学や専門学校なんかの教育現場では、なおさらそのような話を聞かない。
福祉系の大学や専門学校の中に、デザインの授業を組み込ませてほしい。

今日まなんだこと。

愛と笑いと健康があれば大丈夫。貧しかろうが裕福だろうが。

自信があるないにとらわれない、あってもなくてものめり込んでたら、そんなこと気にならない。

この世界のすべてが「人それぞれ」、薬が効いたの効かなかっただの、どの食べ物が体にいいだの、どんな子育てがいいのかだの、全部「人それぞれ」。試してみるか、よく観察して、誰かに、または自分に、合うか合わないかのどちらしかない。

組織の「枠」となる、事業理念や経営理念は、一致したいけど、やはり軋轢を抱えやすい。軋轢はどこにあるかいうと経営と現場との間である。
その枠を超えようとすることと、枠の中でのびのびしようとすること。
ふたつは、別のことに見えるけれど、ちからの使い方が違うだけ。

怒りというのは感情の大きさであり、実際の過失によって被った迷惑そのものとは比べられない。
対価として謝罪されれば、そこで終わらせて、気分を変えるのがいち早く怒りを鎮める。
怒りが収まらないから、と相手を追いつめても、何にも解決せず、自分が怒り続けて、貴重な時間を損するだけなんだ。

「あきらめる」とは、物事を「あきらか」にすることだ。幻想を手放して分断することで、事実を受け止めることなんだ。

いちいち「もうあきらめた」と繰り返す人ほど、あきらめきれず執着の中で幻想を追い、「絶対にあきらめない」という人ほど、本当はあきらめていて対象を受け止めようとしている。