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エアライン面接の行方


これは私が入社した中東の航空会社の面接の話。

(この会社に入ることになった経緯はこちら。)


日本の企業だと、1次選考、2次選考、最終面接、といったように選考ごとに日を分けて進んでいくのが一般的だと思う。

外資系航空会社はそれを全て1日で全て終わらせる場合がある。私が受けた時もそうだった。


よって朝の8時半くらいに集合、そこから筆記試験があり、待ち時間があり、結果が発表され、落ちた人は帰り、次に進める人は残る。

その後も身長、肌のチェック、グループディスカッションなどがあり、その都度同じように待ち時間があり、落ちたら帰る。進めたら残る。その繰り返し。

よって選考時間よりも何よりも待ち時間がめちゃくちゃ長い。


面接は東京で行われた。

私は大阪に住んでいたので、夜行バスで東京へ。
肌をかなり厳しく見られる航空会社なので、それを分かっている今の私ならこの会社を受ける時に夜行バスの移動なんて絶対に勧めない。

でも当時の私は、某アジア系航空会社の面接のために新幹線ではるばる東京へ行き、1分間自己紹介をしただけで落とされ帰されたという前科持ちホヤホヤ状態。

だから今回も受かるわけない、これは練習のための受験だと割り切っており、新幹線代を出す程ではないと夜行バスで向かった。

早朝に東京へ到着。夜行バスのラウンジで、時間をかけてしっかりめにメイクをして準備。
記念受験でもわざわざここまで来てるし、やっぱり行けるところまでは行ってみたい。

私は人をイライラさせるレベルの病的方向音痴なので、迷子になる時間を計算して早めに会場へ向かう。

でもちょっと歩いたら、もう明らかに、今からエアライン受けます!って分かる人達がちらほら。

ラッキー!と思って着いて行き、迷子にならず無事到着。

1次の筆記は、英語の問題と、時差の計算。
あと、弊社についての簡単なエッセイを、っていう感じだった。

1次を通過し、2次。

2次はアームリーチ(手を伸ばして212cmに届くか)のチェック、面接官とのトピックトーク。

この待ち時間は、持参してきたノートを真剣に読んでいる方が多かった。

周りの空気に呑まれて、記憶はないけど私もなんか書いてるかも!と自分のノートを開いてみる。

ちょっと前にオリエンタルランド(ディズニー)の選考を受けていたので、Hapiness is here♡ とかが呑気に書かれているあほみたいなノートでした。すぐに閉じる。

そしてこの待ち時間に、アームリーチに向けて小柄な受験生の方たちが死ぬほど腕を回して見たことない体操みたいなのをしてたのが忘れられない。

この時はまだ100人くらい残ってた気がするので、長い長い待ち時間、知り合いもいないしノートは役立たずやし、体操を眺めながら過ごす。

アームリーチは難なく通過。ライブと満員電車でしか感謝する場のない173cmの身長に拍手。

その後、面接官2人の前に座る。

顔面にめちゃくちゃライトを当てられてた。2人のうち1人は、話はほぼ聞かずに肌のチェックだけしてた気がする。

トピックトークはこの場でこんなトリッキーなこと聞く?っていう質問をされたので、質問の内容も自分の答えもはっきりと覚えている。


この2次が終わって、100人以上残ってた人が15人程に減った。

落ちてしまった人が一斉に立った瞬間のことも鮮明に覚えてる。気合い入れないと、って思った。

最終面接前に、オリエンテーション的なものがあった。そこから緊急連絡先など、いろんな書類を記入。書けた人から最終面接というスタイルだった。

もうこの時点で18時くらい。
メイクしたのが朝の6時台とか。

肌のテカリとかが気になりすぎる時間帯に差し掛かっている。

ここまで残れたのなら、少しでも崩れてない顔面で最終面接を受けたい。ものすごいスピードで書類を埋めた。

緊急連絡先は身内以外にも複数人書く必要があって、許可なくいろんな友達の電話番号を勝手に書いた。

友達のプライバシー <<< 私の肌の治安。ごめんよ。

最終面接は、拍子抜けするくらい聞かれたことが少なかったので、これも内容はほぼ全て覚えている。

その後、私のレジュメを見ながら出身は大阪?と聞かれたので yes と答えると、

大丈夫よハニー、心配しないで。
日本と中東って遠く感じるかもしれないけど、大阪フライトは沢山飛んでるの。
私たちは日本人にはスペシャルなサービスが必要だって考えてるから、日本線には必ず日本人クルーが必要なの。

あなたもそこに必要とされるのよ。だから毎月家に帰れるし、家族にも会えるから。心配いらないのよハニー。

え、優し。ほんで嬉し。

少なくとも彼女の中では私のこと採ろうと思ってくれてるんやろなあっていう嬉しさと、

いくらCAになりたくても、そんな訳のわからない中東の国に急に住むんか... っていう気持ちももちろんあったから、家にもちゃんと帰れるんや、よかった、っていう嬉しさと。

最後にあったかい気持ちになって、面接終了。

会場を出た時にはもう外は暗かった。早朝から夜まで、本当に長かった。1分でお帰りください事件があったのでここまで残れるとは微塵も思っておらず、こんなに疲れる予定じゃなかったから、帰りも夜行バス。これは地獄すぎた。

通過の連絡は翌朝には届いてたけど、ここから入社に至るプロセスはまあ大変だった。

このプロセスに関してだけで1記事書けると思う。たぶんほぼ私の文句で埋まる記事。


そんな大変な大変な過程を経て、晴れてしっかりと採用が決まった頃に携帯に流れてきたニュース。


「カタール航空、大阪線廃止へ」


ということで私は3月3日に渡航し、3月31日に大阪線は本当に廃止になりました。

大丈夫よハニー、の呼びかけにめちゃくちゃ騙された、ピュアな22歳。

渡航の時だけお客として乗って、その後一切お目にかかることのなかった大阪線。

飛び始めてから色んなクルーに、大阪線ないのに入社したんだねって言われることが度々あった。そのたびに、詐欺にあったと答えた。



こんな砂漠のお国に1人で放り込まれて、家にも全然帰られへんのかよと当時は思ったけど、

でも、今思えばあれでよかった。

大阪への直行便があったら、オフの度に実家に帰ってたと思う。

でもその選択肢が絶たれたから、数日オフが続くと私はいつもいろんな国へ旅行をしていた。

本当にいろんなところに行けたし、いろんな景色も見れたし、いろんなヤバイ人たちも見れた。

飛行機を電車かのように乗り回して旅行するなんてあの時じゃないと絶対に出来なかったし、大阪線がなくなったのはあなたにとって大きな意味があったよって、あの時の私に教えてあげたい。

ただあの時の私は、めちゃくちゃ楽しみながらもぶっ飛びすぎている環境に死ぬほど文句もたれていたので、たぶんこんなこと言われても、黙れ。って答えると思う。

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