CA時代、バリのフライトに乗務した日。 激ヤバインド人男と仕事が一緒になった。 仕事をとことんサボるとか、堂々と嘘をつくとか、そんなことはもう可愛いレベルで、 自分のサービスすべき範囲のお客様へ機内食を配るのを途中でやめて、お菓子を食べ始めるような男だった。 機内の大事な物をなくす、クルー用の食事を1人で7人分食べ散らかす、お客様をごりごりに怒らせてトイレに逃亡する、サービスの時間になったら忍者レベルになり姿を消す。 サービスが落ち着いたタイミングで、私はその日が初対
飛行機のスケジュールはとても変わりやすい。 遅延、機材トラブル、キャンセル。 遅延とか、乗り継ぎは間に合うのかとか、フライトスケジュールの変更に対して不安を抱えながら旅行をしている人は多いと思う。 それは乗務しているクルーも同じ。 乗務するフライトが大幅に遅れたら、その翌日からのフライトスケジュールがガラッと変わることもめずらしくない。有給の予定が初日から崩れたりもする。 CAとして働きはじめの頃、先輩CAにあたるクルーがその日の機長 (初対面) に向かってこんなこ
タイで触れた象があまりにも愛らしくて、もっと触れ合える場所とかないのかなあと調べていた時に目に留まった、「象使いの免許取得」の文字。 あ、これやん、と思った。絶対に取らないといけない気がした。 決めた。私、象使いになる。 ほんまに意味わからんからやめてほしい、という母の言葉を聞き流し、宿と飛行機だけを予約し1人でラオスへと向かった。 タイのバンコクで乗り継ぎ、ルアンパバーン空港へ。小さくて田舎の空港感たっぷり。 荷物を受け取りタクシー乗り場へ向かう。 ドライバーによ
ノリで行ってしまったモロッコ旅の続編。 マラケシュ2日目は、少し足を伸ばしてマジョレル庭園へ。イヴ・サンローランが愛した庭園として有名な場所。 初日からハードなことが起こりすぎて、無事辿り着くのか不安になりながら出発。 たどり着くまでの道中、チャイナ!チャイナ!と声をかけられる。(ほぼ叫ばれている。) スルーしたら石が飛んできた。 石でビビると思うなよ。こっちはすでに火投げられてんねんぞ。 たくましくなった私たち。 無事庭園に到着。 喧騒から隔離された素敵な空間
将来ボケたとしても、モロッコ旅行のことは絶対に忘れないと思う。 CA時代、弟みたいに可愛がっていたお友達と、たまたま4連休くらいのお休みがまるっとかぶったことがあった。 どっかいこっか!という話になり、 「モロッコどうですか?」「いいよー!」 くらいのノリで決めた(決めてしまった)私たち。 モロッコで寝泊まりできる場所といえばホテルの他にも、リヤドと呼ばれる宿泊施設がたくさんある。 古い邸宅を改装していて、庭園とか中庭の周りを囲うような形で建てられている。伝統的な建築
ポルトガルの首都、リスボン。 有給を取ってゆっくり行ったひとり旅の記録。 スペインから飛行機で2時間くらい。 ホテルに着くなり、荷物置いてすぐにお散歩へ。 もうとにかく、街が可愛い。 そこらじゅうの建物の色合いだけでワクワクできる。 ぼーっと歩いてるだけで満たされるくらい街が素敵。歩いてるだけで楽しい。迷子になっても全然イライラもしない、病的方向音痴にぴったり。 ふらっと海にも行けました。 京都の鴨川で等間隔で座ってるカップルに匹敵するくらい、等間隔で椅子に座る人た
とにかくいろんな場所に行きたくて、いろんなものが見たくて知りたくて、CAになった。 私はワクワクする時間と経験にお金を使いたい。 客室が死ぬほどカオスになるフライトも、トイレがお祭り騒ぎになるフライトも、行き先の国でやりたいことがたくさんあるから頑張れていた。 一方で、やっとの思いで地球の裏側レベルに離れた国へ到着したようなフライトの後でも、 給料日前でお金キツイから出かけない。 今月ハイブランドのバッグも靴も買っちゃってカツカツだからホテルから出ない。 というよ
私には、忘れられない人がいる。 異性として好きになったとかじゃない。逆に、ものすごく恨みがあるわけでもない。 ただただ、癖が強くて存在が忘れられない。 カナダの農家で一緒に共同生活をしていた、カイという男。 (共同生活の序章はこちら。) カイは私と同い年で、ファームステイをしながら生活をしていた。 なぜ母国で農家を渡り歩く生活をしているのかは分からない。 何者なのかも、家族がどこにいるのかも、よく分からない。 聞いたら答えてくれるとは思うけど、なんとなく、聞い
CAになって、初めてのステイ先はシドニーだった。 トレーニングバッジが取れた状態での初めてのフライト。 右も左も分からない私にフライト中ものすごく優しくしてくれたクルーのみんなと一緒にシドニーでお出かけすることに。 ここで私がCAになって最初にびっくりしたことが発生する。 突如始まる、モデルごっこ。 歩いていたら要所要所で撮影会が勃発する。 1つのスポットで毎回何十枚もお互いを撮り合うのだが、はいチーズ!とかじゃない。ピースしてる人なんかいない。 もう、それはそれは
よく分からず行ってみたらめっちゃよかった国ランキング、上位5位に入るであろう国の備忘録。 フライトで行くことになったボスニア・ヘルツェゴビナ。 得体の知れない国だったので、首都サラエボに着いたら他のクルーと一緒にとりあえず街に出てみることに。 待ち合わせの時間の少し前にロビーに降りる。 窓の外の雪景色が綺麗でぼーっと眺めてたら、インド人のクルー(男)がピッチピチ白タンクトップ1枚で現れた。なかやまきんに君もびっくり。 I only have this one エヘヘヘ
今日だけは真面目に更新しようと思います。 1月2日の飛行機事故について。 もう客室乗務員の仕事から離れて5年以上が経つけど、あの仕事の経験があるという視点で思うことを少しここに残させてください。 昨日の事故、A350についてだけ言及すると、400人近い乗客、乗員が全員無事だった1番の要因は、間違いなくCAの力だと思う。 緊急脱出の時点で機体は炎上、脱出用スライドは使える場所と使えない場所がある。 あの状況で全員が避難できたのは、昨日乗務されていたCAさんの判断力と日頃
気づけば今年も今日で終わりということで、大晦日のお話。 数年前の12月31日、仕事で北京フライトが入った。人生で初めての中国。 初、中国。首都、北京。 来たからには万里の長城行っとかなあかんやろ、という使命感に駆られて、同じフライトで働いたクルー4人で一緒に行ってみることに。 その時の天気が、こちら。 今まで生きてきて、こんなん見たことない。 長時間フライトでの疲労、とにかく寒すぎる、ということでホテルから万里の長城までのタクシーの道のり、記憶なし。 ここからロー
アラサーに差し掛かりかけている年の夏、友達に誘われトルコ旅行へ。 最初の目的地はカッパドキア。 不思議な形をした岩だらけの、世界遺産になっている地方都市。 この旅行であまりにもこの場所が気に入ってしまった私は、半年後に再びカッパドキアへ行くことにした。 (魅力を語りたいのは山々だけど、それを書き始めてしまうと死にかけエピソードに辿りつかないので今回は割愛。) 前回のトルコ旅行は夏、2回目は冬だった。 気球に乗って上空から見た景色がどうしても忘れられなくて、前回の旅と
アメリカに留学していた時。 要領がつかめてきた2学期目、私はExceptional people という授業を選択してみた。 直訳すると、“例外な、特別な人々"。 ざっくりしすぎているけど、なんとなく想像はつく。 私には重度の知的障害、自閉症のある弟がいる。 おそらくそのような環境の人たちのことも扱う授業だろう。海外ではどんなふうに関わりを持っているのかなと、ふと気になった。 そんなちょっとした興味と、仲の良い現地学生の友達が一緒に授業取ろうよと言ってくれたことで、あ
CA時代、ブラジルのサンパウロ線を担当した時の話。 飛行時間15時間ほどのドーハ→サンパウロ線の後にサンパウロに1泊、 翌日はサンパウロ→ブエノスアイレス→サンパウロと働きサンパウロに1泊、 その翌日、サンパウロ→ドーハとまた15時間働いて帰ってくる、なかなかハードなフライトだった。 そのブエノスアイレス→サンパウロ線の時にちょっとした事件が起きた。 フライト後、私はすぐに客室責任者 (インド人 女) に呼び出され、めちゃくちゃ怒鳴りつけられた。 お客様の座席トラ
カナダのニューブランズウィック州という場所で、農園に滞在していたときのこと。 (農業生活のはじまりはこちら) 農家に住み込み始めて数日後。 ジェシーがこんな事を言いだした。 今日は仕事はしない。ハイキングに行こう! 昨日摘んだラズベリー入れて焼いたクッキー持って行って、着いたらみんなで食べよう! うわ〜なんて素敵な響き!って思った。 海外のハイキングってどんな感じなんやろう。 ワクワクしながらジェシーとカイと共に出発。 普段、裸足がデフォルトのカイ。 彼はこの日