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責任持って、”自分のせい”にする


「ゴメン、私のせいだ」


最近気付いたのだが、自分のせいにしている人ほど、自分のせいにしていないことが多い。自分のせいにしていないから、「自分のせい」なんて言える。

何を言っているのかと言うと、「自分のせいだ」と発言することで、要因解明も解決策も放棄するのだ。「自分のせい」。はいはい、今日も自分が悪かったのね、と自分の行動や存在のせいにすることで、その問題を完結する。このままでは、向上できない。

本当に自分のせいにしている人は、

・何が悪かったのか
・今からできることはないか

これらを必死に状況を把握して、打開策を導く。しっかり自分の人生を生きている。

私はこれまで、何かと選ぶたびに、自分の行動に後悔してきた。
「あの時もっとこうしておけば」「もっと頑張れた」「なんでこっちを選んじゃったんだろう」、自分の努力が足りなかった、と。どんな行動をしても後悔がつきまとう。それはなんでだろうって考えていたら、よく「自分のせい」にしてきていることに気付いた。

自分のせいは楽だ。

その一言で、面倒なことが一気に片付く。しかしながら、「自分のせい」といのは魔の言葉で、自分自身の肯定感も下げるし、自分という人間の成長を止めてしまう。自分のせいにしている人ほど、本当の意味で自分の人生を自分で生きていない。考えることから、向き合うことから、自分から、逃げてしまっているんだと思う。

この問題について、
自分のせいにするのでなくて、自分の行動に責任を持つことが重要だと思っている。
これらはイコールで結びつかない。自分の行動に責任を持つとは、「結果を導くプロセス」にも、自分の意思が宿っている。「だって自分で選んだんだもん」、これを自信を持って言えることが大事だと思う。

一方で、人からのアドバイスをもらうのは大いに結構。しかしながら、そのアドバイスを自分に憑依させ、それがうまくいかなかった時にも、はいはいその意見を聞いた自分のせい、としてしまうと、人間は成長しない。しっかり最後は自分で「選ぶ」。

「私がこれを選んだんだから、間違ってない!」

これを胸を張って言える毎日にできたら、きっと今日の自分と笑って過ごせるんだと思う。他人に自分の人生を歩ませてはいけない。
今日も「自分で」、今日を積み重ねよう。読んでくれた人の人生に最高の1ページが追加されますように。

励みになります。