やなぎまち

自己紹介に書けることを探してます

やなぎまち

自己紹介に書けることを探してます

マガジン

  • 日々の随筆

    単発で書いた短い記事をまとめています。

  • 仕事のための随筆

    実生活に関わる内容の文章を上げるマガジンです。

  • 自己紹介を(哲学)する

    今手元に『当事者研究-等身大の<わたし>の発見と回復-』という本がある。 その中に、こんなことが書いてあった。 「コミットすべき価値を自ら選び取らなくてはならないという近代の規範」 かみ砕いていえば、「どのように生きていくかは、個々人が選んで決めなきゃいけないのが近代だよ」ということだろうか。 僕は今の社会のなかに、コミットするべき価値を見つけることができない。 だから、自分でそれを作ることにした。 このマガジンはその軌跡です。

  • ゲームを(哲学)する

    実は昔、ゲーム会社でシナリオライターをしていたことがあります。 ゲームについての想いをつらつら書き残す場所。

最近の記事

  • 固定された記事

自己紹介を(哲学)する

始まり  2022年1月1日、僕は「自己紹介とは何か」を考えようと思った。 自分を紹介する文章が必要だと、思い立ってのことだった。 1章:自己紹介とはなにか  自己紹介とは、2つの要素によって成り立っている。 ひとつは、自分の過去。 ひとつは、自己規定だ。 それぞれ見ていこうと思う。  自分の過去とはなにか、考えてみるとこのように言えるだろう。 今までの自分の人生を通してどのような出来事と遭遇し、自分がその体験をどのように受け止め、どのように記憶として保存したか。その

    • 日常的な延命作業

      「ナナルイ」という出版社から、『日常的な延命「死にたい」から考える』という本が出版された。 物心ついたときから「産まれてこなければよかったのにな」という考えに憑りつかれていた私は、早速この本を読んでみた。 ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ 『日常的な延命』は、批評に擬態した手紙なのかもしれない。 そこに記されているのは、著者自身によって行われたと思われる延命作業の軌跡である。著者自身があるときに「死にたい」という思いに憑りつかれ、

      • 福岡伸一哲学のエッセンス:ロゴスとピュシスのあいだ

        ☆この記事では、下記のようなことが語られます☆ 1.ロゴスの力によって世界を把握することで、「種」ではなく「個」としての生命の価値を見出す2.人間はロゴスによって文明や文化を作りつつも、ピュシスに依拠し、それを受け入れざるを得ない3.ロゴスの行き過ぎがもたらした最大の害悪は、富が腐らなくなること こんにちは、ヤナギマチです。 今日は、生物学者の福岡伸一さんについて勉強したいと思います。 突然ですが、「DIG THE TEA」というwebサイトをご存じでしょうか? 第一線で

        • プロとアマの区別を通じて、人生はお金ではないことに気づく

          ~はじめに~この文章は、自身のアマチュア性をどう肯定できるかということをテーマに展開されます。 普通アマチュアとは、プロフェッショナルという言葉と対になっており、プロフェッショナルが素晴らしいもの、アマチュアは劣るものとして対比されます。 始めは、プロフェッショナルの何が素晴らしいのか、から考えてみようと思います。裏側から覗いてみるわけです。 そうしたら、アマチュアはやはり、「プロフェッショナルに比べて劣っていて、存在の価値が低い物、優先されないもの、推奨されないもの」

        • 固定された記事

        自己紹介を(哲学)する

        マガジン

        • 日々の随筆
          8本
        • 仕事のための随筆
          3本
        • 自己紹介を(哲学)する
          3本
        • ゲームを(哲学)する
          2本

        記事

          厚顔無恥という言葉から考える、いじめの発生と現実

          厚顔無恥、という言葉があります。 あつかましく、恥を恥と思わないこと。 つらの皮があつく、恥を知らないこと。 そんなふうな意味です。 この言葉はたいてい、他人を貶すときに使われるでしょう。 「あいつは、厚顔無恥だな」というと、 相手を恥知らずな奴だといって、批判するような意味になります。 この言葉の面白いところは、使う相手が強い人間か、弱い人間か、によって意味が変わることです。 どういうことでしょうか。 先述の例は、自分よりも強い人間がいて、その人だけ得をしているとき

          厚顔無恥という言葉から考える、いじめの発生と現実

          世界は、自分の生きている社会よりもずっと大きい。

          世界は、自分の生きている社会よりもずっと大きい。 インターネットが発達したことで、 遠くの世界のことも、ウィンドウを開けば見えるようになった。 この錯覚にめまいを起こす。 到底共感なんてできない距離。でも現実。 だから、僕たちの町も、僕たちの家族も、 あのようにして死ぬと、見るたびに思い返さなければならない。 それが辛いことだとしたら、正しい。 そのように辛いことが、さらに辛いことが、現実に起こっている。 それでも、自分は自分の人生を生きるしかない。 二重性の重さに耐えながら

          世界は、自分の生きている社会よりもずっと大きい。

          この世から無駄なミーティングをなくす「チャリタブルリーディング」

          こんにちは、元シナリオライターのやなぎまちです。 みなさんは、「チャリタブルリーディング」という言葉がをご存じでしょうか? これは文章を読むときの姿勢、について示唆する言葉なのですが、その内容は「欠点があったら補う」「長所があったら伸ばす」ような形で、相互補助していく読み方のことです。 先日発刊された講談社現代新書の『独学の思考法』の中で紹介されています。 このチャリタブルリーディングですが、社会人なら誰でも経験する「ミーティング」において、とても重要な姿勢だと感じました

          この世から無駄なミーティングをなくす「チャリタブルリーディング」

          良い文章ってなに? -チェックリスト編-

          前編を読んでくださった方も、こちらの記事から読んでいるかたも、こんにちは。元シナリオライターのやなぎまちです。この前編/後編の記事では、良い文章とは何か、について考えています。 (⇩前編⇩) こちらの記事では「良い文章とはなにか」について、その条件となる部分を見通つつ、それをチェックリストとして活用していただけるような内容にしたいと思います。 早速本題ですが、前編の内容を踏まえて「良い文章とはなにか」を定義してみると、 「コンセプトがハッキリとしていて、それを伝えるた

          良い文章ってなに? -チェックリスト編-

          良い文章ってなに? ーココロとカタチとコトバの関係-

          良い文章とは、いったいなんなのか…… 今日は、元シナリオライターのやなぎまちが、仕事で悪戦苦闘することになった「良い文章とは?問題」について、少し実務を離れたところから考えてみたいなと思います。 「良い文章とはなにか」を考えるにあたり、評価基準をどこに定めるか、という問題があります。 文章には評価基準があり、その基準に則って、みんな「これは良い文章だ」とか「これは悪い文章だ」とか言ったりします。 ポイントは「評価基準が2つある」ことです。 その2つの判断基準が互いに

          良い文章ってなに? ーココロとカタチとコトバの関係-

          自己紹介を(哲学)する:第二話 幸せの研究

          はじめに 前回の記事は、自己紹介から始まり「コミットするべき価値」を探す旅にでようと決めたところで終わりました。 今回の記事は、旅にでる前の準備といいますか、鞄の中を整理して、地図を用意して……そんなことをやっていくようなイメージで文章を書いていきます。 いま目の前に広げた地図には、まだ何も書いてありません。白地図です。 その地図に、今自分がいる場所を書き込みます。 そして、今まで自分が辿ってきた道を振り返ってみます。 そうすることで、これから自分がどの方向に向かっていきた

          自己紹介を(哲学)する:第二話 幸せの研究

          落ちることのない恋について

          みなさんは、愛のことをどのようにお考えですか? とある広告が、こんなPRをしています。 「わが社は、あなたに<落ちる>ことのない<恋>を提供します。」 みなさんはこのPRについてどうお感じなりますか? 安心するでしょうか、利用してみたいと思うでしょうか。 私はそう思いません。 なぜなら、恋は「落ちる」ものであるからです。 自由な恋とは、落ちるものなのです。 街を歩いているときに、バナナの皮ですべって転び、そのときに助けて起こしてくれた異性こそが、あなたと生涯を共にする相手

          落ちることのない恋について

          東大の赤門と事件と死とコロナと輪廻

          僕は今日、東大の赤門前を歩いていた。 数日前に、17歳の少年が、受験生を刃物で刺した場所。 その近くだった。 街には、特に変わった様子はない。 冬の曇りの午後だった。 僕は歩道を歩いていた。 歩道に人が行きかう。 1分の間に、5、6人とすれ違うくらいの間隔で。 グレーのアスファルトが、まっすぐ伸びている。 右手には、あまり派手ではない商店や、コンビニエンスストアが並んでいた。 左手には、ガードレールが設置されていて、等間隔に銀杏の木が植えられている。その向こうは車道。 僕

          東大の赤門と事件と死とコロナと輪廻

          ゲームと自己表現の関係について

          ゲームは常に、自己表現と結びついている。 それを説明するためには、人間が持っている「自己表現に対する欲求」について理解しなくてはいけません。 人間は、自分がどのような存在であるかを確かめたい、という欲望を常にもっています。 その思いは、自分がどのような存在であるかを、他人に対して披露したい、という感情とセットになっています。 今日は、ゲームが上記のような欲望や感情と、どう関わっているか、について考えてみたいと思います。 1:ゲームは要素の複合体 ゲームは様々な要素の複合

          ゲームと自己表現の関係について

          リングフィットが与える経験 ―人生がRPGだということ―

          コロナ禍での生活。運動不足。リングフィットアドベンチャーは多くのひとにプレイされた。 実際に遊んでみて得られた経験は、私にとって新しいものだった。 どんな経験だったか。 多くのゲームは、キャラクターを動かすとき、コントローラーで信号を入力する。動かす必要があるのは、指くらい。十字キーを押しこむと、キャラクタが移動する。 翻ってリングフィットでは、実際に全身を動かしながら、キャラクターをコントロールする。 自分の動きに対応するキャラクターと画面に映る景色を眺めていると、あた

          リングフィットが与える経験 ―人生がRPGだということ―

          千葉雅也さんのつぶやきについて

          千葉雅也さんつぶやきをみて、脳が刺激された。 色々な思考が浮かんできた。 そのまま忘れてしまうのは嫌だと感じ、書き留めることにした。 書き留めると、それを誰かに読んでみてほしいという気持ちになった。 拙い、取り留めのない思考の軌跡だが、誰かに読んでもらえたら嬉しい。 下記に、千葉雅也さんのツイートを引用する。 この呟きについて、文章を記載する。 この呟きは、今の自分にとって重要な物に思える。 この呟きの上に様々な出来事が重なっていような気がした。 この呟きは交差点である

          千葉雅也さんのつぶやきについて