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ロングツーリングの記憶ー7 名寄の向こう

文章でロングツーリングの心の風景を書く試み。文章でGo To トラベル。文章での旅は無料な上に、へんなウイルスに感染しないのね。

ある年の5月連休、神奈川を出発して八戸でフェリーに乗った私は、苫小牧から雪の残る北海道をどこまで行けるだろうと思いながら、北へ向かった。

これまでの話はマガジンから読めます。


*   *   *


朝、フェリーから下りたわたしは
苫小牧から夕張を抜けて、
祖父母の家に着いた。

事前に連絡せずに
インターホンを押してしばらくすると
二人でてきた。

朝からあまりに突然のことで
私が誰なのか理解できていない。

それ以前に二人とも
私がバイクに乗っていることも知らず
もちろん今ここにいることさえ、
つい数秒前まで知らなかった。

防寒着に身を包んだ、見知らぬ若者。
身内が、他人に向ける顔でこちらを見る、
というのも新鮮だ。

私はヘルメットをかぶったまま
「久しぶり」
と言った。
祖父が私だと気づいたようでとぼけた声を出す。
「・・・孫か?」
あったり〜。
ヘルメットを脱いだら
二人とも懐かしい顔になった。


祖父母への挨拶もそこそこに
私はまたエンジンに火を入れる。
どこまで北に進めるのか。

道央自動車道を名寄へ。
トンネルを抜け上川盆地に入ると
視界に入る雪の量が急に増えて
そろそろ限界かな、と思う。
けれどもまだ「路面凍結」という文字を見ない。
路温も0度以上を保っている。
大きな道はまだ大丈夫だろう。


まず無事に帰らなければ意味がない、と思う。
私はめずらしく頭をはたらかせて
今まで見てきた地形と路温の関係を思い出していた。
夕張から山の間を走ってきて旭川で路面が凍ってなければ
おそらくもう少し北へいけるだろう。
頭をはたらかせた一方で
気持ちの大きくなっていた私は
そう思っていた。


その後
国道40号を北へ向かう。

途中、緩やかな峠を越える。
道が途切れてその先が青空になっている。
道路と青空。
岸田劉生の作品を思い出した。
土手と塀はなくても、道路と青空。

絵画であれば
あの登り坂の向こうに何があるのか。
作品を目の前にして
その筆致、色遣い、画家の履歴を思い
向こう側の景色を想像する。

今見えている景色が
岸田劉生のそれだとしたら。

私は画家の描くフレームの中へ飛び込んで
その先を見ようとしている。

その先に何が見えたか。

決まっている。
坂をのぼりきったら次は下りだ。
それが現実だ。それが事実だ。
事実の先に観念なんて無い。
事実の先は、事実だ。
事実の上に事実を積み重ねて走り続けている。
私は事実の堆積で成り立っている。

私とは何か。
味気ないような重みのあるような言葉になった。
一人で走っていると
とりとめのないことをぐるぐると考えるものだ。


一台、向こうからあの音が聞こえてきた。
ハーレーだ。
身軽な装備なので地元ライダーの慣らし運転だろう。
バイク乗りの親しみを込めたすれ違いざまの挨拶。
彼の顔は「この先はダメだ」と言ってなかった。

これでまだ北へ走れることがわかった。