見出し画像

わたしがnoteを始めたきっかけ

 noteをちょっとやってみよう、と思ったのにはきっかけがある。

どこをどうやってたどり着いたのか覚えていないのだけれど、
さちさんの投稿を目にしたのだった。

たしか、PCではなく、スマホで見ていた。


思い出というのは、
その事実から遠ざかっていくにつれて物語の性格を与えられ
定形的なフレーズに固定されて、
いつ眺めても同じ景色になっていく。

その思い出がそこにある安心感がある。


けれどもわたしは
さちさんの文章を読んでいくうちに、
見慣れた景色になっていた自分の思い出の表面がひび割れて
自分の経験した事実の見逃していた面が
おもてに現れるような感覚になった。

ヘルメットの肌触り、
バイクのキーの大きさ、
キーをバイクに挿してひねったときの感覚、
サイドスタンドを足で払った音、
膝のあたるタンクの硬い質感、
エンジンを切ってからバイクを押す重さ・・・。

そう、そうだった。
当たり前のように感じていたひとつひとつの風景が、
五感を通じて立ち上がってくる。


そういうものをいくつも思い出して
体中の血管が開くような感じがした。


ああ、この方はバイク乗りだ。
本物のバイク乗りだ。
しかも、ただ乗るだけじゃない。
対象を正しく捉えて、精緻な言葉に落とすことのできる方だ。


読めてよかった。



わたしはもう何年もバイクに乗っていない。

けれど、バイク乗りである。

ずっとそう思ってきた。
noteですてきな文章にであって、その思いを強くした。


そういうきっかけがあって、
ぽつぽつと文章を投稿しているのである。

あとから考えると
自分のみた景色を共有できる場所を探していたのかな、と思う。


すてきな文章に出会えたことに感謝いたします。




この記事が参加している募集

#noteでよかったこと

48,204件