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化学がすき という前置き
そういうことである。
このような記事を書いたことがあった。
そこへこう書いたのであった。
わたしは化学者である。
化学ってなんですか。
と聞かれることがあるけれども、
これにこたえるのはむつかしい。
わたしは化学に携わってはいるものの、
もじゃもじゃの白髪を振り乱し、
グルグル眼鏡をかけ、
白衣を着て、
「イッヒッヒ」と試験管を弄ぶ、
そのような人間ではない。
一歩外へ出れば
「あの人、顔の焦点合ってないけど大丈夫かしら」
と思われる程度の、凡庸な一個人である。
さて
化学とは、何であろうか。
化学とは、そこを軸足にして物理の世界にも親しみやすく、生物の世界にも親しみやすい分野。
そのように思った。
けれどもそれは
「化学とはなんですか」
の直接的な答えにはなっていない。
化学とは。
さまざまな物質の構造・性質および物質相互の反応を研究する、自然科学の一部門である。
だそうである。
物質の構造・性質および物質相互の反応を研究する、とは。
たとえば有機化学を突き詰めて、とある分子がどのように反応するかを考えていくと、電子の偏り具合を考えざるを得なくなる。それは物理化学であり、計算化学の世界でもある。
物性を測る方法、分光吸収測定であったり、X線回折測定であったり、NMR測定であったり、質量分析測定であったりする。これはもともと物理学で発見された原理を元に構成されていて、その原理や特性を知らないと、何を測定していて、合っているのか間違っているのかさえわからない。
そして、有機化学の手法で出来た化合物がたとえば、生物に何かしら影響するものであれば、生体の中での振舞いをみることもある。そうなると生物化学、分子生物学という分野に足を踏み入れることになる。
上に出した分野は、ここで出していない分野の名前と取り替えることもできる。それに、大雑把に「物理学」というと、その道の専門家に「雑すぎる」と怒られそうである。
分野について言い出すときりがない。
それぞれが「●●学」という名前を持っている、ということはつまり、それぞれの専門家がいるのであって、化学とひとくちに言っても、何をどう説明するのがよいのか、よくわからないのであった。
そして、知れば知るほど、自分の知っていることなどちっぽけなものでしかないことを思い知らされるのであった。人は学び続けても、ほんとうに少しのことしか理解できないような気がする。それでも学び続ける。
化学の分野に身を置いて、いろんな物事に触れることで、そういった世の中の広大さを教わった気がするのであった。
前置きが長くなった。
このくらいで本題にいこうと思う。
本題である。
去年は難しいと思っていた
15mmで仕込む干しいも
が上手にできたと思うので、
再現できたら記事にしよう
などとと思うておる。
そして
干しいもを作るにあたって
調べて、考えられたのは
化学を学んで得た
「調べ方」や「解釈の道筋のつけ方」
があったからだね。
本題はここで終わりである。
………本題はここで終った。
そういえば
このものがたりはこれで終った。
という締めは、ドストエフスキーの罪と罰(工藤精一郎・訳)であった。
窒息しそうな読書体験から解放されたような気になった記憶がある。