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ふゆのにおい

私にとって、ふゆのにおいというのが確かにあって、
それはこどもの頃の記憶をそのまま引き継いでいる。

わたしはこういうことを考える人だ、という点では、
この文章はちょっとした自己紹介のようなものでもある。


秋が深まる11月中頃になると、かすかに燻すようなにおいを感じるのだ。
ふゆのにおいである。
幼い頃の私は、
わけもなくそのにおいをロシアからのにおいだと信じ込んだ。

真っ白なツンドラで生きていくために
ロシアの人たちは火をおこしているのだ。
そのにおいがここまで届いてきて
遠いとおいところに住む私に、冬が来たことを教えてくれるのだ。

テレビの断片的な映像や、絵本や図鑑などの記憶から、
そんな理屈をたてたのだろうと思う。
そのことについて
こうして文章に起こすまで誰にも話したことがなかった。


小学校も高学年になり、頭が働くようになったころ、
私は自分の考えに疑いを持った。

あれは、近所の焚き火のにおいとちゃうやろか。

当り前の仮説だった。
自転車で近所を確かめて回った。
私の住んでいた場所は団地が林立していたこともあり、
焚き火をする場所は限られていた。
それに、
毎年同じ時期に焚き火をするのなら、
誰かがそれを知っているはずだった。

私は、焚き火の証拠をつかむことができなかった。
においの出処に関する何ものも、捉えることができなかった。

 地図帳を開いて、ロシアは途方もなく遠いところだと知った。
こんなところのにおいがなぜわかるのか。

しかし、
一度自分のなかでできあがってしまったイメージを覆すだけの情報にたどり着くことができなかった。私にとってふゆのにおいはロシアから来るもののままで、理屈に合わないと感じながらもそれを受け入れ続けていた。

そのまま中学高校へと進み、
その間も毎年冬のにおいに気づいていたものの、
ばかばかしくて考えることはしなかった。


そのうち学生ではなくなり、社会人となった。
社会人となった私は、
初めて関西を離れて会社の寮で毎日を過ごすことになった。

寮は恵まれた環境だった。
深夜まで明るいわりには静かで、
歩ける距離でたいていの物事を済ませることができた。
いわゆる都会に属する地域だった。


 

何度めかの冬に、
私は社会人になって初めて部屋のなかでかすかなにおいを感じた。
藁を燻すようなにおいを。
深夜も明るい都会にまでふゆのにおいが届けられたのか。
いろんな記憶がいっぺんによみがえった。


冷たい空気に溶けこんだふゆのにおいは、ここにもやって来た。
懐かしい友達が訪ねてきたような気持ちになった。

どこか遠いところからやってきたにおいは、
私に冬が来たことを知らせてくれたのだ。
こどもの頃の自分を慈しみ、包み込みたいような気持ちがうまれてきた。

大人になった私は初めてそう思い、
自分には歩いてきた足跡のあることを知った。

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