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【小説】「ヒーリング・サークル」第3章 サロンHal

 待ちに待った土曜日、私はサロンの玄関の前で緊張していた。予約時間の20分前に着いてしまって、あまり早く行くのも良くないだろうと、駐車場で時間を潰していた。5分前になって、その古民家の玄関ドアの前に立った。手前に、「サロンHal」と、黒く塗った木の板に白字で手書きした看板が置いてある。すぅ、と息を吸い込んで、チャイムを鳴らした。
 「おはようございます!お待ちしてました。」
ニコニコと、笑顔の50代くらいの女性が引き戸を開けて現れた。色が白く丸顔で、顎に大きめの黒子がある。肩までの髪は染めずに自然の黒髪で、ゆったりとした草木染めっぽい服を着ていた。
 「はじめまして、野沢エリです。ヒーリングを仕事にしています。よろしくお願いします。」
 「はじめまして、よろしくお願いします。」
 エリさんは自己紹介をしてペコリと頭を下げてくれて、私も慌ててお辞儀をした。
 「今日は2時間のコースでよかったですか?温めたストーンとオイルを使って、体をほぐして行きますね。」
 「はい、よろしくお願いします。」
 「このオイルの中から、好きな香りを2、3種類選んでください。1種類だけでもかまいません。」
 エリさんが8本のアロマオイルの小瓶をベッドの上に並べた。私は一つ一つ開けて匂いを嗅ぎ、3本選んだ。
 「じゃあ服を脱いで、この大きなタオルとタオルの間に横になってください。OKになったら、呼んでくださいね。」
 そう言って、エリさんは部屋を出て行った。部屋の中は間接照明で薄暗く、その暗さにホッとした。私はノロノロと服を脱いで、ベッドに横になった。体のだるさが、24時間抜けなくなっていた。
 「用意できました。」
と向こうの部屋にいるエリさんに声をかけたら、彼女はそっとドアを開けて入ってきた。
 「では、背中から始めていきますね。」
 施術が始まった。まず温めた石を背中に乗せて、その後石を取って、さっき選んだアロマオイルが混ぜられているだろうマッサージオイルを塗られ、マッサージされてゆく。気持ちよくて、眠たくなってきた。
 背中が終わり、仰向けになるように促された。
お腹にも温めた石が置かれて行く。石の熱さと重みに、なんだか安心する。
 ある程度体が温まったら石が取り除かれ、またマッサージされて行った。
 「ああ、ここに塊があるね。」
と、エリさんは私のお腹の下の方を触った。ちょうど子宮のあたりだ。たしかにそう言われたら、 そのあたりが少し固く、シコリがあるように感じられた。
 「ここを中心にほぐしていきますね。」
 そうして、エリさんは円を描くように手を動かして、優しくしかし力強くお腹を揉んで行く。 そしてシコリのあたりを揉む時は、手のひらで小さく円を描いてはフッと小さく息を吐いた。その動作を3回ほど繰り返す。なんの意味があるのかはわからなかったが、その動作とともに、シコリがほぐれていくような気がした。
 そうして、施術が終わった。ここに来るまでは末端まで冷えていた体が温かい。硬くなっていた体のあちこちが、やわらかさしなやかさを取り戻したような気がした。
 「お疲れ様でした。白湯とコーヒーを持ってくるから、少し待っていてね。」
 エリさんはそう言って出て行って、しばらくして戻ってきた。
 小さなテーブルに、白湯の入った湯飲みと、マグカップとコーヒーの入ったサーバーが置かれた。コーヒーの、少し酸味のある香ばしい香りが部屋の中に漂った。
 「このコーヒーね、うちで豆から焙煎してるのよ。」
 エリさんはマグカップにコーヒーを注いでくれた。
 一口飲んでみる。果物のようにフレッシュな酸っぱさがある。酸味のあるコーヒーは苦手だったのに、とても美味しい、と思った。
 「美味しい…すごく美味しいです!」
 そう伝えるとエリさんはうれしそうににっこりと笑った。元々細い垂れ目が、さらに細く下に伸びる。
 「すごく体が硬くなって冷えていたけど、できる限り柔らかくしたから。少し楽になると思います。お仕事、大変なのね。」
 そう言いながら、エリさんはテーブルを挟んで向かいの椅子に座った。
 「ええ、少し忙しい部署で…。この間結婚もしたばかりで、うまく仕事と家のことを回せなくて。嫌になっちゃいます。」
 ぽろ、と右側の目から涙がこぼれた。落ち着いて聴いてくれる人が欲しかった、こんな風に、と思う。
 それからは、1時間くらいずっとエリさんが私の話を聞き続けてくれた。同じ課の女性の先輩と気が合わないこと。陰湿な係長に目をつけられていること。夫が私が職場の話をしても大して親身に聞いてくれないこと。口うるさい義両親のこと…。よくこんなに色々と抱えているな、と自分でも思う。何一つ、割り切れないことばかりだった。
 ひと段落した時に、私は聞いてみた。
 「あのう…。マッサージしてくださっている時に、フッと息を吐かれていることがあったと思うんですけど、あれはどんな意味がある動作なんでしょうか?」
 気になっていたことを思い切って聞いてみた。
 「あの呼吸はね…こういうことを言うと引いてしまう人もいるからアレなんだけど。」
 エリさんは、髪を右耳にかけながら私に向き直って言った。
 「除霊してるの。その人に憑いた霊をマッサージしながら私の体に吸い取って、息を吐くことで外に出すのよ。」
 「除霊…。」
 反芻しながら私は考えた。それは、私に霊が憑いていたということ?
 幽霊の存在を、これまで信じ切ったこともないが否定したこともなかった。でも最近の体の重さダルさを振り返って、そう言われるならそうなのかもしれない、霊が憑いていたせいかもしれない、とも思えた。
 「信じられなくてもいいのよ。でも今回、きちんと取り除いておいたから。安心してね。」
 エリさんは、私の目をしっかりと見つめて、微笑んだ。
 そう言われて、私も少し笑って頷いた。ありがとうございます、と小さな声が出た。そう、この人は私にくっついていた悪いものを取ってくれたのだ。ありがたい。
 サロンを出た時は、入った時からもう4時間近く経っていた。施術後にずっと話を聞いてくれたエリさんに感謝をした。帰り道は心も体もとても軽かった。また行けたら行きたいな、あのサロンに、エリさんに会いに、と思いながら、私は家まで車を走らせたのだった。

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