見出し画像

株式会社モスフードサービスのハンバーガー事業(国内モスバーガー事業)の事業戦略変遷

モスバーガー、本当に美味しいですよね〜★モスバーガーの美味しさの秘密を経営の視点からまとめてみましたー!経営分析などのお仕事あればお気軽にご相談下さい!

0.【モスバーガー事業 戦略の変遷 全体像】

画像1

1.【株式会社モスフードサービス企業概要/業績概要】

 株式会社モスフードサービス(以下:モスフードサービス)はフランチャイズによるハンバーガー専門店「モスバーガー」の全国展開および海外での展開、その他飲食事業などを事業内容としている。(株式会社モスフードサービス公式ホームページ)
 モスフードサービスは1972年の創業から1990年代後半にかけて売上・利益及び店舗数は右肩上がりに推移した。1973年6店舗、1974年21店舗、1975年44店舗、1976年67店舗(髙頭弘二「「モスバーガー」経営の味」1991年7月)、1977年売上33億円(売上前年比165%)90店舗、1978年6月88店舗、同年12月113店舗、1979年1月100店舗、1983年8月200店舗、1985年6月300店舗、同年11月株式公開、1988年3月東証2部上場、1990年3月900店舗。(日経流通新聞「外食サービス産業」1978年3月27日、株式会社モスフードサービス公式ホームページ)1990年頃から2000年頃にかけても、店舗数は増加して行く。1991年3月1000店舗、1992年3月1100店舗、1993年6月1200店舗、1994年9月1300店舗、1996年7月1400店舗、同年9月東証一部上場(二部より指定替え)、1998年10月1500店舗。(株式会社モスフードサービス公式ホームページ)
 しかし1999年3月期に、1973年の創業以来、初めての減収減益となった。(「ハンバーガーチェーンの比較経済分析」http://www.t.daito.ac.jp/~t037785/zemi_12ki/burger.htm)2009年3月は、売上高557億2百万円、営業利益20億700万円、1323店舗。(株式会社モスフードサービス有価証券報告書2009年3月期)現在でも国内のモスバーガー事業が売上高654億24百万円1287店舗と、海外を除くモスフードサービス全体の売上高689億85百万円のうち、94.8%の売上高を占めている主力事業である。(2020年3月期株式会社モスフードサービス決算発表資料)
 これら業績および店舗数の推移を元にして、大きく2つの事業戦略の変遷期間として、「成長期」と「成熟期」に大別することができる。

2.【ハンバーガー業界概要】

 日本のハンバーガー産業は1971年7月に藤田田率いる日本マクドナルドが銀座三越にマクドナルド1号店を開業したのが始まりとなっている。その翌年1972年6月モスフードサービスによるモスバーガー1号店(東京都板橋区の成増)、同年9月ロッテリア1号店(高島屋日本橋店)と続いた。(「夢みる雑草たち モスバーガー路地裏経営の解明」加藤勝美1988年5月)バブル崩壊後の1990年代に日本はデフレ不況となり、ハンバーガー業界も含め外食産業全体は多大な影響を受けた。1992年にハンバーガー業界は生産量が初めてマイナス成長した。(日本ハンバーガー協会)
 日本のハンバーガー業界において最も高いシェアを誇っているのは日本マクドナルドであり、モスバーガー事業にとっても最大の競合であると言える。1986年にモスバーガーが外食業界で初めて47都道府県への進出を達成し、翌年1987年にはマクドナルドの店舗数を抜き、全店舗数(591店舗)で日本一となった。しかし、1995年頃からのマクドナルドを始めとした業界全体での値下げ抗争となり、モスバーガーは次第にマクドナルドに引き離された。当時から業界内で比較すると、基本的にマクドナルドはコストリーダーシップ戦略を取り、モスバーガーは製品差別化戦略を採用していたと言える。業界第3位のロッテリアもコストリーダーシップ戦略に近く、メインプレイヤーで製品差別化戦略を主な事業戦略としていたのはモスバーガーのみであった。
 1998年をピークにモスバーガーは後述する市場変化への適応を迫られたがそれまでの成長性が停滞した。マクドナルドは大幅な値下げ戦略が功を奏し、2001年にジャスダック市場に株式上場を果たした。
 その後マクドナルドは業績不振もあり藤田田が退任したが、2004年より原田泳幸による回復期を迎えた。(日本マクドナルド公式ホームページ、「マクドナルドの経済学」原田泳幸・伊藤元重 2012年)ハンバーガー業界は1970年代の創世記から1980年代後半までモスフードサービスを含む主要プレイヤーと共に成長拡大し、バブル崩壊後のデフレを起点とした値下げ競争でマクドナルドをワントップとした形成に様相が変化した。
 また、2010年代後半より東京都内や主要都市の繁華街を中心に展開する、単価1000円前後とハイエンド価格帯のハンバーガーを販売する「プレミアムバーガー」の日本進出も生じた。それまでハンバーガー業界全体で製品差別化を主な事業戦略とする企業はモスバーガー、それに対しマクドナルドを始めとする企業群がコストリーダーシップ、という構図であったが、モスバーガーの製品以上にハイエンドな製品を扱う企業群が参入していることでモスバーガーを製品差別化戦略と固定する見方もやや薄れて来る可能性はある。現在、国内モスバーガー事業はローエンドとハイエンド双方からの圧力がかかりシェアの維持向上により強い企業努力を迫られている状況となっている。

3.【株式会社モスフードサービスの創業期】

 モスフードサービス創業者である櫻田慧は証券会社勤務時代の1960年代、アメリカ駐在中に初めてハンバーガーを食べた。櫻田はアメリカでトミーズというハンバーガーショップで食べた味をモスバーガー創業当時のモデルとしていた。櫻田が構想していた企業モデルは次のような条件であった。①粗利益の低いものはしない②流行に左右されないもの③手形商売はしない④在庫を多く持つものはしない⑤大きな投下資本がいるものはしない⑥フランチャイズができるもの⑦日の当たる成長産業であること、これらをまとめて「粗利益大、現金商売、流行に左右されない、小投下資本」とした。(「夢みる雑草たち モスバーガー路地裏経営の解明」加藤勝美1988年5月)アメリカのハンバーガーショップで食べたハンバーガーの味やその店舗での生産販売システムを見て、まだ日本で1店舗もハンバーガーショップが無かった時代に、前述の理想としていた事業モデルを満たすとして、日本でその導入を試みた。
 日本で最初にハンバーガーショップを出店したのは1971年に日本マクドナルド創業者の藤田田率いる藤田商店であった。その翌年1972年にモスバーガーを東京都板橋区成増に出店した。また、ロッテリアは同年に高島屋日本橋店で出店した。競合店の1号店がそれぞれ都会の1等立地であり、外資との合弁会社、すなわちアメリカのハンバーガーチェーンのフランチャイズシステムを踏襲したモデルであったことに対し、モスバーガーは二等立地であり、アメリカのハンバーガーショップをモデルにしたものの、外資が入っているわけではなく、オリジナルの業態であったことは特異であったと言える。
 経済資本より人的資本、オペレーティングシステムより組織能力、コストリーダーシップより製品差別化、など、競合他社と比較した時にモスバーガーを特徴づける性質の違いは創業当初の歴史的経緯を踏まえた面がある。

4.【「モスバーガー」成長期の事業戦略】

 現在のモスバーガー事業の事業戦略の基礎を作り上げたのは、1973年の創業から15年前後にあたる成長期の期間であると言える。創業間もない頃から一貫して実施し、モスバーガー事業の最大の特徴とも言える事業戦略に、製品差別化と戦略的提携が挙げられる。業界概要で述べたように、ハンバーガーショップが日本に上陸して以来、業界最大手のマクドナルドがコストリーダーシップ戦略を、モスバーガーが製品差別化戦略を採用しているという対比ができる。
 モスバーガーの製品差別化の源泉としてロケーション戦略が挙げられる。モスバーガーの1972年6月1号店の出店立地は板橋区の成増であった。その前年の7月マクドナルド1号店は銀座三越で、1972年9月ロッテリアの1号店は高島屋日本橋、1977年9月ファーストキッチンの1号店は池袋東武百貨店と、モスバーガーを除く同業他社は1号店から都心の1等立地であり、モスバーガーのみが二等立地と呼べる。さらにモスバーガーは、1973年3月の2号店は日大構内、3号店はフランチャイズ1号店を愛知県内、というように、意図して都心の1等立地ではなく、2等立地に出店を重ねて行った。1987年時点でモスバーガー事業における売上高賃借料率、すなわち家賃比率はわずか1.3%であった。一般的な飲食店の家賃比率はおよそ10%前後であり、同業他社とグラフの比較(図2)を見れば、モスバーガー事業の家賃比率の低さは極めて異質であることがわかる。(加藤勝美「夢みる雑草たち モスバーガー路地裏経営の解明」1988年5月、「週刊ホテルレストラン」1987.9.4)

画像2

 日本マクドナルドの創業者藤田田が「銀座が流行の情報発信基地、銀座で話題になれば商売も必ず成功する」と述べたように、ハンバーガー産業が日本に導入された頃、その認知を広げるために、都会から一気に全国各地へ広げて行く、という発想とは逆に、モスバーガー事業は地方郊外から認知度を高める地域密着のハンバーガーショップを目指していた。
 同業他社の選定立地であれば、都会の流入商圏で対象顧客の人口が多く、全国的にも新規性の高い業態として、通りかかった人が店舗に入る衝動来店型の入店も多い。賃貸コストを大きく負担する必要はあるが、その分マスに向けた認知度を高めやすいと言える。
 その反対として、モスバーガー事業の選定する二等立地である場合、対象となる顧客人口は店舗の周辺地域のみを対象とし、都心の一等立地と比べれば圧倒的に少ない。店頭通行量なども一等立地と比較すれば少なくなり、業態の新規性は都心の店舗同様に高いものの、他社ほど新規顧客の来店者数は高めにくく、限られた対象顧客に対して来店頻度を高める施策が効果的となる。
 当時、日本でハンバーガー業界自体が導入期であり、モスバーガーがハンバーガーショップの全国的な新規性に依存するだけの事業運営であれば、二等立地で出店コストを抑えられることは、逆に他社の参入障壁を低い状態に保つ、すなわち脅威となる競合が参入するリスクが高いことを示す。実際、モスバーガーの1号店である成増店のすぐ近くに1978年8月、日本マクドナルドが出店を仕掛けマクドナルド成増店をオープンした。(「夢みる雑草たち モスバーガー路地裏経営の解明」加藤勝美1988年5月)当時、マクドナルドの出店に際する平均的な設備投資額は7,000万円・店舗面積264平米、同モスバーガーは740万円・34平米(図3、4)であるため、マクドナルドにとってモスバーガーの選定する立地に出店すること自体は、比較的容易であったと見られる。(日経流通新聞「レジャー産業」昭和3年(1978年)7月号)

図3、4 店舗面積と設備投資総額の比較

画像3

画像4

 しかし、この抗争においての結果は、マクドナルドが当初意図していたものとは異なっている。当時、モスバーガー成増店の1978年7月の平日の平均売上は18万〜19万円であった。同年8月19日金曜日にマクドナルド成増店が開店し、マクドナルドのオープン初日にモスバーガー成増店は売上27万円強と休日並みの売上であり、この月に8月として過去最高売上の847万円を記録した。(「夢みる雑草たち モスバーガー路地裏経営の解明」加藤勝美1988年5月)結果として、マクドナルドの近隣への出店はモスバーガーにとってはむしろプラス要素となった。ハンバーガー市場自体の成長性が高い時期であったので、マクドナルドにとっては双方にとってメリットが生じる、という見込みも無かったと言い切れないが、マクドナルドのマネージャーの心理を考えれば、モスバーガーに攻勢を仕掛けたという見方が自然であり、マクドナルドの想定していたシナリオ通りには進まなかったと考察できる。モスバーガーは日本でのハンバーガーショップの新規性という面のみでの事業運営ではなく、競合に対する優位性を保持しており、その模倣困難性は高かった、少なくとも経済的資本投下のみでは取り入れることが困難な要素であった、と見ることができる。
 モスバーガーの1987年時点での売上対原材料比率は65.1%であった。他社飲食企業の収益モデルでは売上対原材料比率は30%程度であり、モスバーガーのそれは異質であることがグラフ(図5)からわかる。(「週刊ホテルレストラン」1987.9.4)家賃比率を低く保った分を原材料に転化、製品の売価に対し顧客が感じる食材の味覚を中心とした製品価値を高め、製品差別化を実現していた。
 製品、ロケーション、顧客、収益モデルが異なれば、店舗運営のやり方やノウハウ、ブランディングの方法、多店舗展開の困難性など、複雑な要素が相互作用し、同じ業界内でも事業体の活動は大きく異なって来る。

画像5

 モスバーガー事業の成長期における2つ目の大きな事業戦略は戦略的提携である。戦略的提携には、業務提携(①ライセンス契約、②供給契約、③配送契約)、業務・資本提携、ジョイント・ベンチャーなどがあるが、(ジェイ・B・バーニー「企業戦略論【下】全社戦略編 -競争優位の構築と持続-」2003年)モスバーガー事業は主にライセンス契約の部類に入るフランチャイズシステムにより提携を推進した。店舗ビジネスは多店舗展開が進めば、1ブランドあたりの認知度は向上し、顧客からの信頼性や収益力は増加する。規模の経済性は大きくなり、1製品あたりの経済コストや1店舗あたりの運営コストを他社よりも下げることができる。多店舗展開を実施するためには複製するコストが必要となる。物件や店舗の建物といったハード面だけでなく、生産販売する製品および原材料や運営する人材、または運営する事業体の機能やノウハウなどの方法論を含めたソフト面も必要不可欠な要素となる。モスバーガー事業はこれら必要な要素を効率的に満たす施策としてフランチャイズを選択した。1990年4月時点で、モスバーガー事業は、直営店52店舗、フランチャイズ加盟店863店舗、直営店比率5.7%となっている。ハンバーガー業界および飲食業界の中で比較してもその比率は突出して高い。同年同時期のマクドナルドは、直営店605店舗、フランチャイズ加盟店108店舗、直営店比率84.9%、ロッテリアは、直営店424店舗、フランチャイズ加盟店223店舗、直営店比率65.5%(図6)と、同じハンバーガー業界内でもフランチャイズ店舗の比率が圧倒的に高いことがわかる。(髙頭弘二「「モスバーガー」経営の味」1991年7月)

図6 ハンバーガーチェーンの直営店比率

画像6

 モスバーガー事業がここまでフランチャイズ展開を業界内でも突出して進めることができた理由の1つは、前述した設備投資や店舗面積において、圧倒的に低い資本力で開業が可能な点である。
 また、二等立地であることのメリットとして、家賃比率が低いことでの経済効果を製品差別化戦略で述べたが、戦略的提携においてもプラスの経済効果が生じる。二等立地をロケーションとして選択をすると、出店時の物件取得費用を始めとした諸経費を一等立地の場合よりも低く抑えられる。さらに、モスバーガーは物件や建物を同業他社と比べると小さな店舗スケールで運営できるモデルを所持している。すなわち、出店に際する初期費用を低く抑えることができ、賃料が低いことも相まって、損益分岐点が低く、投資回収速度が他社業態よりも早い。人的資本、経済的資本、組織資本などのリソースが小さな事業体でもリスクを低く、運営できるビジネスモデルとなる。これらの要因によって、地方の家族経営の企業や中小企業や個人など、比較的低資本の事業体もモスバーガー事業へのフランチャイズ加盟を希望し、モスバーガーの出店と運営を実現した。
 モスフードサービスにとってこの戦略的提携であるフランチャイズ戦略を推進することは、モスフードサービスの所持していた資本、コンピタンス、ケイパビリティを加味した上で、モスバーガーの多店舗展開の実現可能性を効率的に高める事業戦略であった。具体的には、モスフードサービスにとって、他社資本を活用し、リスクを分散できるという点である。(ジェイ・B・バーニー「企業戦略論【下】全社戦略編 -競争優位の構築と持続-」2003年)モスフードサービスの創業は特定の企業体や財務資本の大きな資本家によるものではなく、マクドナルドやロッテリアのように外資資本が入っているわけでもなく、創業者含めた個人3名が集まって創業された企業である。当時の資本的な体力が限られた中で条件を満たせる手段であった。
 また、運営上においても加盟店を含めた食材の一括購買による規模の経済やフランチャイジーへの食材供給でフランチャイズ本部を収益化するという範囲の経済が働いた。実際、モスフードサービスの1991年3月期の売上の80%はフランチャイズ加盟店への食材・包装資材供給、同5%はフランチャイズからのロイヤリティで成り立ち、モスバーガー事業の収益源はフランチャイジーに対するサプライヤーとしての機能の寄与が大きかった。(東洋経済新報社「会社季節報」1991年春季号)

図7 モスフードサービスの売上構成内訳

画像7

 反対の側面として、フランチャイズ展開では加盟する事業体が本部から提供されるフォーマットを模範的に運営できるかどうかという点に大きなリスクがある。日本マクドナルドを運営する藤田商店は直営店を主体としてマクドナルドの多店舗展開を進めたが、モスフードサービスと同様に、自身の資本、コンピタンス、ケイパビリティを加味し、フランチャイズ展開に関してもリスク評価した上で、モスフードサービスとは異なる意思決定に至ったと考えられる。
 モスフードサービスではモスバーガーをフランチャイズ展開するためにこのリスクに対し、どのように対処をしたか考察したい。モスバーガー事業への加盟を希望する事業体は1977年に年間490件あった。しかし、490件のうち実際にフランチャイズ加盟できたのはわずか32件のみである。モスバーガー事業に加盟するには、始めのステップとして、フランチャイズ本部によるフランチャイジーとの面談があった。これをモスフードサービスでは通称「ジー面」と呼んでいたが、このジー面により、あらかじめフランチャイズ加盟を希望する事業体が、本当に模範的にモスバーガーを運営できる事業体かどうかの見極めをし、スクリーニングを行っていた。見極めのポイントとして、モスバーガー事業の運営理念に共感しているかどうか、他のフランチャイズ事業も見て比較検討したかどうか、店舗マネージャーを含めて人員配置や人材育成をどのように行うか、収益性を高めるためにどのような施策および企業努力を施せるのか、など多角的な視点で擦り合わせを周到に行った。(「夢みる雑草たち モスバーガー路地裏経営の解明」加藤勝美1988年5月)
 創業当初は、財務資本や収益力の見込みなど、経済的側面のみを中心に加盟企業の選定および擦り合わせを行っていた。しかし、知人や友人の紹介で安易に加盟を認め、相次いで失敗をし、フランチャイズ戦略が機能しなかった。(「羅針盤の針は夢に向け」木下繁喜 2011年)そのため経済資本力の比較大きな事業体であっても加盟を許可しないケースもあり、逆に加盟店が少ないエリアで物流を始めとした店舗運営効率が多少悪くなっても、物心両面においての加盟条件を満たせば加盟企業として受け入れるケースもあった。モスバーガー事業は成長期に、これら製品差別化と戦略的提携としてのフランチャイズ戦略を主な事業戦略として飛躍的に成長性を高めた。

画像8

5.【外部環境の変化】

 モスフードサービスは1996年9月に東証一部上場を経て、1990年代後半から国内モスバーガー事業は成熟期となって行くが、大きな要因として、内部環境と外部環境の変化を挙げる。1989年に日経平均終値3万8915円の史上最高値を付けその後バブル崩壊、日本全体にデフレが訪れ、国内で消費に対する意識が変化した。外食産業の市場規模は1997年をピークに縮小の一途を辿る。(「外食産業市場規模の推移」外食産業総合調査研究センター)
 ハンバーガー業界においてもマーケットの変化への対応が求められ、マクドナルドを筆頭に、各社が値下げ競争へと踏み切った。1995年、マクドナルドはそれまで210円(過去最高値)だったハンバーガーの価格を一気に130円に変更した。さらに1996年にマクドナルドはハンバーガーを80円とし、2000年にはハンバーガーを平日半額65円と急激な値下げを行った。これに対抗し、追随する形でロッテリアも1997年、ハンバーガーをマクドナルドと同額にするなど、ハンバーガー業界内で各社が値下げを進めた。(「ハンバーガー消費者物価指数」ハンバーガー協会、日本マクドナルド公式ホームページ)競合他社が値下げ競争を進める中で、モスバーガーはハンバーガーを10円下げる程度の、わずかな値下げに踏み留まった。これは「一番売れているタバコの値段を元に値段を考える」という創業者櫻田のポリシーであった。(ハンバーガー大全集http://hamburgerdaizen.seesaa.net/article/34190904.html)他社ハンバーガー企業が客単価を低くする分、低コストの商品開発や客数の増加による収益性の維持及び向上を目指したことに対して、モスバーガーはこれまでの業界内でのブランドも踏まえ価格帯を維持した上での事業運営を目指した。
 しかし、環境の変化に適応し切れず、1999年3月期に、1973年の創業以来、初めての減収減益となった。国内モスバーガー事業の拡大が鈍化して行く中、1991年に設立された台湾での合弁会社MOS FOOD INDUSTRY CORP.〔モスフード・インダストリー社〕による海外モスバーガー事業の拡大や2000年代には強みの1つである購買関連を活かし、垂直統合化をさらに加速した農業法人の設立など国際戦略及び多角化といった、全社戦略に活路を見出す。国内モスバーガー事業の戦略変遷は、各全社戦略との関連性も強いため、全社戦略についても言及する。

6.【株式会社モスフードサービスの全社戦略】

 本論文は事業戦略の変遷がテーマであり、主にモスフードサービスグループの(国内)ハンバーガー事業に関する論文であるが、この事業戦略の変遷には全社戦略の内容が大きく関わって来るため、グループ全体での重要な示唆として全社戦略について言及する。前述した外部環境の変化により、モスフードサービスはこれまでと異なる方向性への事業展開を求められた。
 高い成長力を誇る事業として2020年現在、9ヵ国400店舗を展開している海外モスバーガー事業での国際戦略が挙げられる。(株式会社モスフードサービス公式ホームページ)国内市場の停滞する中、外食企業の中でも早々と海外展開に着手し、中でも最も成功している国としてモスバーガー281店舗を展開している台湾がある。1991年、台湾台北市に合弁会社、MOS FOOD INDUSTRY CORP.〔モスフード・インダストリー社〕を設立。1991年2月に台湾のモスバーガー1号店が台北市内でオープンした。(株式会社モスフードサービス公式ホームページ)2004年9月に台湾におけるモスバーガー100号店「民権西路店」をオープンした。(株式会社モスフードサービス有価証券報告書2009年3月期)2020年現在は、アジアを中心にオーストラリアなどでも更なる店舗拡大を試みている。ここでは詳細は割愛するが、基本的に日本でモスバーガーが培って来た、ファーストフード業態でありながら競合他社と異なり、地域密着のブランドを作り上げ現地適応する、という戦略が実践されていると言える。
 国際戦略に続き、2つ目の全社戦略として挙げられるのは多角化である。特に、後方垂直統合を加速させ、2006年に農業生産法人「サングレイス」を設立、全国各地で農業法人「モスファーム」を立ち上げている。(株式会社モスフードサービス公式ホームページ)成長期当初からモスバーガー事業は一貫して製品差別化の戦略を軸として、品質及び購買価格の高い原材料を用いている。自社グループ内で直接農場を持ち原材料の一部を生産し、各農家に対しても情報やサービスを提供することで仕入れ交渉の優位性を維持するなど、モスバーガー事業の原材料の品質向上及び購買原価の抑制に機能している事業であると言える。
 しかし、自社で農場を運営するということは大規模な投資や店舗運営との異なるオペレーティングなど様々なリスクも想定される。同業他社が店舗プロモーションの一部や断片的な情報に留まる範囲での地産地消や健康志向や安全性を訴求することに対し、同類内容の訴求について、モスフードサービスグループでは事業規模での多角化をし、これは模倣困難性と稀少性が高い、モスバーガー各店舗での施策及びサービス提供を実現し、バリューチェーンを広く取り込んだ範囲の経済を見込んでいる。
 3つ目の全社戦略としては多角化戦略の一つに入ると言えるが、前述したバリューチェーンの範囲の拡大、すなわち垂直方向への拡大ではなく、既存のモスバーガー以外の新しい店舗ブランドを展開するといった並列方向への事業多角化である。1999年3月に摘みたて紅茶の店「Mother Leaf(マザーリーフ)」1号店「東銀座店」をオープン、同年6月「四季の旬菜料理あえん 自由が丘店」をオープンした。(株式会社モスフードサービス公式ホームページ)2020年現在、国内で8店舗展開しているマザーリーフを筆頭にして、モスバーガー以外の外食事業では5ブランド26店舗を展開している。(株式会社モスフードサービス公式ホームページ)
 全社的には前述した外部環境の変化をきっかけとし業績が低迷しているが、FCオーナーすなわち提携企業マネージャーの高齢化などもある。1997年はフランチャイズ加盟店1413店舗、オーナー694人であったが、2016年には、フランチャイズ加盟店1097店舗、オーナー435人となっている。(「日経ビジネス」https://business.nikkei.com/atcl/report/15/110879/030800270/?P=2&mds)
 国内事業の成長に苦戦している自社グループ全体の停滞状況を踏まえ、国内モスバーガー事業に次ぐ主力となる新規ブランドの確立が急務である。しかし未だ1ブランドを事業単位として認識できるほどの事業を確立、すなわち全社的な収益性への強いインパクトを与えるほどの国内事業は輩出できていないと言え、外食事業の開発に関わるイノベーションの不活性はグループ全体の国内市場での大きな課題と言える。

7.【「モスバーガー」成熟期の事業戦略】

 1990年代後半から2020年現在まで、国内のモスバーガー事業は成熟期であると呼べる。この理由は主に業績によるものである。成長期では右肩上がりであった業績が現在は停滞状態となっている。1998年に国内モスバーガーの店舗数が初めて1500店舗に達成したが、外部環境変化を主なきっかけとして、1999年3月期に創業以来初めての減収減益となった。そこから10年を経過した2009年は同グループ全体で売上高557億2百円、営業利益20億7百万円、国内モスバーガー店舗数1323店舗と、10年で200店舗近く減少し、(株式会社モスフードサービス有価証券報告書2009年3月期)さらに約10年後の2020年現在は、1287店舗とやはり停滞状態となっている。(2020年3月期株式会社モスフードサービス決算発表資料)海外事業部門は全社戦略で言及した台湾を筆頭に飛躍的に成長しているが、国内事業は成熟期(もしくは衰退期)という位置にあると言える。
 現在を含めた成熟期の国内事業の主力であるモスバーガー事業について述べる。成長期に培った立地選定の独自性などを含む製品差別化戦略、フランチャイズ展開での戦略的提携、これらを成熟期でも引き継いでいると言える。まず製品差別化であるが、成長期より消費者マーケティングを強めた。(ジェイ・B・バーニー「企業戦略論【中】事業戦略編 -競争優位の構築と持続-」2003年,「消費者マーケティングへの傾注」(実証的に導き出された製品差別化要素))1995年11月に特別栽培農産物の健康野菜「モスの生野菜」を導入開始した。1997年7月に「モスの生野菜」などを全店導入した。2004年にはロゴや看板を赤から緑へ、「赤モス」から「緑モス」へと変更した。(株式会社モスフードサービス公式ホームページ)2005年11月から食材に関する原産地情報として、生産者の氏名や地域などを店内で掲載し顧客に情報提供している。2000年代に店内飲食スペースを徐々に拡大し、1978年には標準店舗面積が10坪であったが現在はビルインで30坪、ロードサイドで建物35坪(敷地300坪)がモデルフォーマットとなっている。(「モスバーガー フランチャイズ加盟のご案内」)店内でゆっくりと食事をできるようにしており、「ファーストフード」より「ファストカジュアル」の店舗となった。(外食.biz https://gaisyoku.biz/article/story/mosfood/31/)これらの取り組みは全てモスバーガーのこれまでの強みをさらに魅力付け、地域密着、地産地消、健康志向といった近年の潮流(2005年 農林水産省 食料・農業・農村基本法の基本計画において、食糧自給率の向上に向けた取り組みを制定)を踏まえたブランドイメージを深耕する戦略であると言え、経営論としては消費者マーケティング施策に位置付けられる。
 成熟期の製品差別化として消費者マーケティングの次に挙げられるのが、流通チャネルの拡大という点であるが、戦略的枠組みで見ると(後方)垂直統合と呼べる。取引農家3000軒(株式会社モスフードサービス公式ホームページ)との購買やイベントでの連携は消費者マーケティング同様に成熟期に強化された施策である。モスバーガー事業の後方垂直統合度を高めることで、生産者に直接アクセスし、同業他社には得難いコストに対する原材料価値をモスバーガー事業は得ることができ、より高い品質の製品開発や販売を行える、範囲の経済を獲得することができる。この垂直統合は全社戦略の多角化戦略である農業法人モスファームとのシナジーが高いが、成長期に培った戦略的提携であるフランチャイズないしそこで形成された各フランチャイジーへの食材供給網がインフラとして働いていることも模倣困難性を高める源泉となっている。全社戦略で取り上げたように、(後方)垂直統合化や多角化をすれば、範囲の経済を獲得することができる反面、人的及び経済的資本力やオペレーティング上のリスクを店舗運営に留まらず背負うことになる。その点、モスバーガー事業では成長期に基盤を作ったフランチャイズの仕組みにより、規模の経済を働かせるための大きなロットで生産ラインを拡大しても、供給先となるフランチャイジーが存在しているため、フランチャイジーとリスクを共有し分散することができる。
 モスバーガー事業の成熟期の事業戦略は、消費者マーケティングの強化においても、全社戦略と連携した垂直統合度の向上においても、成長期に培ったモスバーガー事業の優位性を活かした事業戦略であると言える。しかし、模倣困難性や稀少性が高い事業戦略であるものの、業績を見れば国内モスバーガー事業は成長性が高いとは言い難い。これら成熟期の事業戦略は、あくまでもこれまで手掛けて来た既存市場の中あるいは既存顧客に対しての施策であり、新しい市場への参入や新しい顧客の獲得に向けた取り組みでは無い。
 業界概要で述べたプレミアムバーガーの進出やファーストフード業界の競争激化により、国内モスバーガー事業は徐々にマーケットのシェアすなわち業績を下降しているが、そのシェア及び業績の維持できる時間を可能な限り引き延ばすことを目指した施策であると言える。すなわち、このモスバーガー事業の成熟期の施策はモスバーガー事業自体の成長性を伸長させるためというよりも、モスフードサービス全社の中での役割が大きく、全社戦略の国際戦略である海外モスバーガー事業の飛躍や新規ブランドの事業開発、その他の多角化戦略が事業として国内モスバーガー事業に匹敵するほどのドメインとして成長するまでの時間的及び経済的猶予を得るためであると位置付けることができる。

8.【総括】

 国内モスバーガー事業の事業戦略およびそれを裏付ける市場動向と競合を始めとした外部環境変化より、1973年の創業に始まる成長期、1990年代後半から現在に至る成熟期まで、事業戦略の変遷を考察した。また全社戦略と事業戦略の関係性についても、成長期に築き上げた経営地盤やモスフードサービスの全社的な強みを活かした戦略の意図が垣間見える。今後の展望として国内モスバーガー事業自体は現在のままでは停滞から縮小の一途を辿るという路線が導出される。しかし、モスフードサービス全体としては、全社的な多角化戦略により新たな主力となる事業創出を目指しており、実際台湾での現地展開など一部の事業は成果を挙げていると言える。2010年代からのプレミアムバーガーの日本進出などによるマーケットの変化や内部環境としてはFCオーナーの高齢化など、国内市場においてモスバーガー事業ないしはモスフードサービスの更なる環境適応が求められている。

9.【参考文献リスト】

・株式会社モスフードサービス公式ホームページ
・髙頭弘二「「モスバーガー」経営の味」1991年7月
・日経流通新聞「外食サービス産業」1978年3月27日
・「ハンバーガーチェーンの比較経済分析」http://www.t.daito.ac.jp/~t037785/zemi_12ki/burger.htm
・株式会社モスフードサービス有価証券報告書2009年3月期
・2020年3月期株式会社モスフードサービス決算発表資料
・「夢みる雑草たち モスバーガー路地裏経営の解明」加藤勝美1988年5月
・日本ハンバーガー協会
・日本マクドナルド公式ホームページ
・「マクドナルドの経済学」原田泳幸・伊藤元重 2012年
・「週刊ホテルレストラン」1987.9.4
・日経流通新聞「レジャー産業」昭和3年(1978年)7月号)
・ジェイ・B・バーニー「企業戦略論【下】全社戦略編 -競争優位の構築と持続-」2003年
・東洋経済新報社「会社季節報」1991年春季号
・「羅針盤の針は夢に向け」木下繁喜 2011年
・「外食産業市場規模の推移」外食産業総合調査研究センター
・「ハンバーガー消費者物価指数」ハンバーガー協会
・ハンバーガー大全集 http://hamburgerdaizen.seesaa.net/article/34190904.html
・「日経ビジネス」https://business.nikkei.com/atcl/report/15/110879/030800270/?P=2&mds
・ジェイ・B・バーニー「企業戦略論【中】事業戦略編 -競争優位の構築と持続-」2003年,「消費者マーケティングへの傾注」(実証的に導き出された製品差別化要素)
・外食.biz https://gaisyoku.biz/article/story/mosfood/31/
・「モスバーガー フランチャイズ加盟のご案内」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?