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東京駅は、「マイペース」を許さない空間だ。 通る度に、息苦しさを感じている。 せかせか歩くマジョリティによって、そこのスピードは決められており、ゆっくり歩いていたりすると、必ず邪魔になる。 ただ自分のペースで歩くだけで、誰かの走行を妨げてしまう。 ぶつかられたり。 舌打ちされたり。 睨まれたり。 私自身も、その故とても進みづらい。 だから、東京駅にいると、自然と速く歩くようになる。 目に見えない大きな流れに強いられて、そうせ
無から文章を一つ作り出すというのは、結構大変だ。 気持ちや考えが既にまとまっている時は、比較的スラスラ書けるのだが、そんなことは滅多にない。 ほとんどの場合は、ネタにしようとしている考えが脳内でぼんやりとしていて、ちゃんとした形になっていないのだ。 現在、毎週最低2篇のエッセイ記事を書くようにしているが、大抵は不安の中で書き始める。 あまりにも考えがまとまらず、脳内で全く文章としてなっていないからだ。 がしかし、一旦執筆を始めると、面白い程にどんど
人はしばしば、周りの誰かが羨ましく感じ、その人には不足が無く、恵まれているように思えてしまうことがある。 ついその人が持っているものだけに着目してしまうからだ。 それも無理はない。 というのは、持っているものは、実体として見えやすくなっているのに対し、失ったものは見えにくいからだ。 だから、まるで相手は今まで何も失っていないかのように感じてしまう。 ただ、実際は決してそうではない。 私達は皆、何かを得、また、何かを失う。 誰もが、他の人にない
ある日のことだった。 急に身体が思うように動かせなくなった。 完全にコントロールが効かなくなったという程ではないが、明らかに脳の指令に対し、「NO!」と拒んでいた。 脳内では、まだやるべきこと、終わらせなければならないことを思い巡らしている。 あれこれと用事が残っている。だから作業開始せねばと考えていても、どうしても身体はそれを嫌がるのであった。 力がどんどん失っていくのを感じ、しまいには横になる以外、何もやりたくなくなった。 どんなことに対して