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後悔しないために

12年前の5月25日、ドッグが死んだ日。

家族会議で決定権を持つ兄に、犬と命名されそうになったこの犬は、母の可哀想のひとことで、それを回避し、めでたくドックと名付けられた。僕の1番古い記憶の中にも登場する。ドッグは約18年生きた。

学校帰りの僕に気付くと、いつも嬉しそうに尻尾を振ってぐるぐると走り回っていた。遠くからその様子を見て僕も嬉しくなった。でも、いざ玄関に着くと、わざと知らんふりをして僕が来るのを待っている。僕も気付かないふりして家に入ろうとすると、ワンと小さく鳴いて、また知らんふりで目を逸らして伏せをする。でも、尻尾はブンブン振っている。待ってましたと飛び跳ねて喜ぶ姿が今でも目に浮かぶ。

田舎だったから、外で飼う犬の方が多かった。
隣の家は50mほど先にある、いとこの家。そこにはブルドックのラブがいた。黒くてあんまりかわいくないラブ。そしてその子どものラッキー。とてもドッグに似ている犬だ。猫のドラもいた。ドラは大きくて賢い猫だった。子どものちょっかいに怒ることなく、逃げるでもなく、すべてを悟って受け入れていた。

散歩は1日1回だった。
夕方5時のチャイムが鳴ると、散歩に行くぞーーと遠吠えをしていた。
一応、散歩と言うけれど、中身は散歩じゃなかった。山道を全力疾走で30分。まずはラブに挨拶をして、それからずっとダッシュする。マーキングのポイントもあるけれど、テンションが上がっていたらそれも素通りして、ひたすら走っていた。ドックの走りには3段階くらいあって、母と妹とはトコトコ走りで、父とはジョギングで、兄と僕の時は全力疾走だった。家に遊びに来た友達は、全力疾走でバタバタ走る兄を見て爆笑していた。

変に賢いから、誰も散歩に行ってくれない日が続くと、自分で鎖を外して脱走していた。学校から帰ってきて、ドックが小屋に入って元気ないなって時は、だいたい鎖が外れてて走り終わった後だった。そんなこんなで、きっとラッキーはドックの子だ。全力の散歩だから途中で転んだりしてリードを手放してしまうこともあった。それに気付くと、追いかけてくるのを待って、リードを掴むギリギリでまた走るみたいなことを永遠やらされる。こっちは必死なのに。

僕はなるべくドックがストレスなく走れるように心がけた。
全力の時は飛ぶように走るから、なるべくそれをキープできる速さで走ったり、リードが足に引っかからないように一定の余長を保ったり、石垣をジャンプして上るときは、助走と膨らむスペースも合わせたり。散歩の後に疲れた様子だったら僕は大満足だった。

ドックの思い出はいっぱいある。
車で予防接種受けに行ったときにガクガク震えて可哀想だったこととか、脱走した近所の犬が攻撃してきたから一緒に戦ったり、テレビで犬のマッサージってのやってたから試してみたらちょっと怒られたり、頭おかしい父親に家から追い出されたときに、一緒に小屋で寝たり、名前読んでも気付かないふりしてるけど尻尾が喜び隠せてなかったり。いつも僕が1人でサッカーしてるの見ててくれたね。

僕が中学生になったころから、ドックの全力疾走が減ってきて、石垣も前より高いところに飛ばなくなって、おじいちゃんになってきたんだなってことが増えてきた。だから僕は、少しでもドックが喜ぶことをしようと思って、お小遣いでおやつやおもちゃを買った。いつも僕の散歩の後は、リビングの窓からおやつをあげてた。カーテンを開けるともう既にお座りして待ってる姿がかわいかった。ポイって投げるとそのままキャッチして食べるの上手で嬉しくてついつい多めにあげてしまった。おもちゃはチョロQみたいな引いたら進むネズミのおもちゃで、買った後にこれは猫用だったなって気付いたけど、とりあえず使ってみたら捕まえたはいいけどガリガリ食べようとするからすぐに取り上げた。日を開けて何度か試してみたけどダメだった。あんまり自分で高い買い物したことなかったから、少ないお小遣い貯めて二千円くらいする買い物にドキドキして猫用って気付かなかったな。とても悲しかったの今でも覚えてる。

ドックは僕より先に死んじゃうから、その時に後悔しないようにって、いろいろしてきたつもりだった。就活で家に帰っていたある朝に、慌てた母が、ドックが動かない、と叫んでいた。リビングのカーテンを開けると、横になってるドックがいた。いつもなら僕のカーテンが空いたらこっち見て、僕に気付いたらお座りしておやつを待ってるドックが、横たわったまま、お腹の白い毛だけが風に揺れていた。触ってみると、冷たく、硬くなっていた。目を開けたまま、そこに横たわっていた。いつもは小屋で寝ているから、きっと苦しくて窓のところまで来てたんだね。助けてあげられなくて、気付いてあげられなくてごめんね。前の日もいつもどおりに散歩行って、ご飯食べて元気だったのに。我慢してたのかな。

動かなくなったドックを母親とふたりで車に積んだ、こんなに重たかったんだね。大学の共同葬に連れて行った。前は車が苦手でガクガク震えてたのにね。それが僕とドックの最後の思い出。

しばらくしてから、その日に父が泣いていたと聞かされた。
何も世話してないのに、よくそんなに悲しめるなと当時は腹が立ったが、ドックからすれば、どんな形であれ思ってもらえるのは嬉しいものかもしれないなと今は思う。もう今は忘れてると思うけど。

あの日、もっと散歩に連れて行ってあげたらよかった。行きたいとこまで自由に歩かせたらよかった。おやつももっとあげたらよかった。それともあげなければよかった?後悔しないように生きていても、後悔する。もっとこうするべきだったと何度も繰り返し思う。取り返せないものが人生にはある。後悔しないよう、もっとおおいに気を付けて生きないといけない。

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