我々の正義の戦い(松本)我々は一片の容赦なく呵責なく闘う。
最高の政治家、必ずしも最高の人格者とはいえぬ、どころか相反することもある。
芸術家、文学者として最高の人間が、道徳上、最高の人間だなどと言うことは、決してありえない。
芸術、文学、政治も一個の才能なのであって、「最高の道徳」などとは無縁のものである。
基本的人権を守るための行為は、それがいかなる結果をもたらそうとも、正当化されることがある。
個人固有の権利は、それがいかなる結果が生じても、これに対して責任を負う必要はない。
人は誰しも、あらゆる手段を行使して、自分の「権利」を守るべきである。
かくのごとく行動して良いのであって、また、かくのごとく行動しなければならない。近代法は、「権利の上に眠る者の権利」など守ってくれないのだ。
また、それが正当な行為である以上、当然の権利なのだから、その結果に対して責任を負う必要はない。
我々はファミリーは権力のために権力を求めるのだ。
我々は人間の幸福などには一切興味はない。ただ、権力だけに興味があるのだ。
金がなんだ、贅沢な暮らしがなんだ、長生きしてどうする。幸福などなんの意味を持つ。そうではなく権力だよ、純粋な権力なんだよ。
では、純粋な権力とは何か?
説明しよう、我々は過去におけるすべての少数独裁体制と全く異なっている。彼らは我々に比べれば、臆病者で偽善者だった。
その点我々の行動は計算ずくだ。
ナチスや共産党だって「権力のために権力を求める」とは言えなかった。
権力は単なる一つの手段ではなく、目的なのだ。
殺人の目的は、殺人にあり。拷問の目的は拷問にあり、権力の目的は権力にあるのだ。
わかったかね。
We must exterminate our family enemy.
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