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形式論理学と企業

同一律 AはAである
矛盾律 AはBである AはBでない
これら二つに命題は成立することができない、ともに成立しないこともできない
排中律 矛盾の中間はない

これが、形式論理学で、近代の基礎です。

さて、企業とは共同体でしょうか?機能集団でしょうか?
機能集団とは、ある特定の目的のために合理的に組織された人間の集団であると言われています。まあ、一番は、軍隊とかがそうだと言われています。
しかし、この機能集団って、数が多いと思いますか?
考えてみれば、人間は機械ではないので、こんな集団は一時的にしか存在し得ません、軍隊ですら、長くやっていると、共同体になってしまうものなのです。

企業というのは、機能集団でしょうか?共同体でしょうか?長く、機能集団であるとの誤解があったようですが、企業というのは本質的に共同体なのです。ですから、企業というのは労働を売りにいく場ではなく、そこで生活する場だととらえるのが正しい。

もちろん、企業は簿記に基づく合理性がなければ、倒産してしまうものですから、企業に機能集団としての一面があるのも否めません、つまり、その土台は機能集団であるけれども、その上部は共同体であるという、直接的統一物として、企業、会社は見なければなりません。

共同体とは何か?

それは、ファミリー(家族)だということです。

ここにおいては、私的所有権は消滅し、全てが共有物となります。
会社内、企業内の序列は年功序列になります。古いほど偉い、能力は極めて長い時間をかけて判断されます。
賃金に差をつけるのは、嫌われます。
重要なのは、社内の飲み会、パーティー、試練を通じた儀式、入社式、さまざまなお祭り、セレモニーなどが重要となってきます。

社長は経営者というより、父親なので、とにかく忘年会、飲み会、社員の結婚式、葬式に顔を出すことが仕事になります。

会社は社員の生活する場なので、エアコン、冷蔵庫、食料、おやつ、ビール、お酒、つまみ、ベット、寝袋、シャワー、できれば社員食堂、などあらゆる生活に必要なものが整備されなければなりません。

社員は会社の利益のためというより、共同体維持のため働くようになります。

共同体内部での社員の望むことは、賃金よりも共同体内部における賞賛などです。

社員をやる気にさせるには、ボーナス出すより、若い社員には、「今度、経理の🟡🟡さん、お前と付き合うように紹介してやってもいいぞ」などと、課長あたりからささやいいた方が効果的でしょう。

共同体とは、そこで生まれてそこで死んでゆく生活の場です、ですから企業は一度雇ったら一生面倒を見るというのが正しい。そこで生まれ、そこで死んでゆくのです。

つまり、会社内で結婚相手を見つけ、結婚し子供を作り、子育てをし、もう一つの共同体を作り(人間は複数の共同体に所属することができる)そして、死んでいくのです。

一応、企業というのは株式会社であれば株主のものであるということになっていますが、現実にはそんなことありません。
株主は、お金出して株式買ってるだけで、企業がどういう仕事してるのかなんて、ほとんどわかるはずないのです。
ですから、現実には、会社は、経営者と従業員のもので、株主などが、あまり口を出すものではないと、私は考えます。



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