受け入れるものと受け入れないものの分かれ目
前書き
こんばんは、お久しぶりです。たくさんの物を吸収しすぎる高野豆腐です。
最近、人と会話していく中で、どうしても「こうしたほうがいい」「こう考えたほうがいい」「こういわれるのが嫌だ」「こういわれるのめんどくさい」などいろいろな人から矛盾したことをたくさん言われて、全部受け入れて何とか改善しようとしたことで、疲弊してしまうことは増えました。
でも、全部聞かない!というと自分の糧になるアドバイスも聞き逃してしまうのではないか
今回はその葛藤の中で見つけ出した、自分が受け入れる言葉と受け流す言葉の判断基準についてのお話です。
お時間がありましたら、最後までぜひお聴きください。
人から自分の言動・考え方に対して、「それは違う」「こうしたほうがいい」「何でそうなるの、理解できない」など言われることが多い。
そうすると反射的に「指摘されたところを改善しなければ!」となるのだが、どうしてそう思ったのか、何がダメなのか、どう改善したらいいのかを聞くと嫌な顔をされる。「そういうことじゃない」と言われる。
人の意見を踏まえて改善しようとするのはおかしいことなんだろうかと思っていた。
でも、答案の添削をしていただいた時に、その添削内容を踏まえて、「こうやって改善しようと思うのですが」と深堀して言うと、「そうやって変えるといい感じだよ!」とかより詳しく指摘された点について説明してくれたりとかする。
そう考えると、深堀して嫌な顔をされるとき、相手はただ自分の意見を、私に投げつけているだけで、それに対する私の反応(私が指摘されたことについて改善したりとか)は望んでいないのかなと気づいた。
ということは、私に変わってほしくて意見を言っているときは、私がそのことについて理解しようと質問しても返してくれるけど、
ただ言いたいだけの時は、質問すると嫌な顔をするのではないか。
私は、アドバイスを糧にして成長していきたいから、取り入れたいのはきっと前者になると思う。
だから、深堀しても嫌な顔をされないときに言われた言葉を受け止めて、あとは「相手はそう考えるんだな」とスルーしよう。
そしたら、なんでも受け入れようとして、ブレブレになって疲れたりしないかな。そうあってほしい。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また次回お会いしましょう。
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