見出し画像

人から発せられる言葉って意外と言葉通りの意味だよね…

私は、人から「頑張れ!」とか「大丈夫?」とか「こうするのはダメ!」といった言葉をかけられると、つい
「この人私のこと信用してないのかな」「結果を残せなかったら失望される」「プレッシャー掛けられてる」と重くとらえてしまう。

そしてそれが自分の中で大きく膨らんで、勝手に行動するのが怖くなって、行動できないことに落ち込んで、自己嫌悪に陥るという負のループに入る。

その言葉をかけてくれる人たちが自分を想って言ってくれているのもわかる。
だからこそ、自分を想ってくれる人たちから、失望されて見放されるのが怖いと思っていた。

でも、そもそも重くとらえてしまう原因に、自分の中に、「応援や心配をしすぎると相手の負担になる」「口出しをするとその人に嫌な思いをさせる」という価値観(思い込み)があり、それを基に相手の言葉の真意を決定していることにあると気づいた。

つまり、自分の価値観で相手の行動を理解しているわけだ。

でも、相手の言動は相手の価値観や考え方がもとになっているから、自分の価値観と違いということは大いにある。
上の例でいうと、「頑張れ」「大丈夫?」という言葉は、人にプレッシャーを与えたいわけでも、信用していませんよと言うアピールでもなく、
単純に応援している・心配している。ただそれだけの意味であるという価値観のもと発せられたものということだってある。
というかおそらく後者である可能性の方が高い。

そうやって考えてみたら、自分にとって深刻にとらえてしまう言葉を人から投げかけられたとしても、この人にとっては単純なコミュニケーションの一つでそこまでの意味は込められていないのだなと割り切って、聞き流すなりしんどすぎたら離れるなり、対処法を冷静に考えられる気がした。

それに、こうやって人の真意を少し穿って考えてしまうということ、それが事実ではないことがわかると、そうやって考えてしまうことにも原因があると考えられ、その苦しみの原因にも目を向けやすいと思った。

私の場合は、色々あるけど、主に中学生の時に、遠回しに嫌悪感を相手に伝えようとする人(先生を含む)がそれなりにいて、それの対象によくなっていたから、自然に「人の言葉には裏があるんだ。ちょっとしたことで(相手にとっては大きなことなのかもしれないけど)簡単に見捨てるんだ。」と学んでしまったことにあると思う。
高校のときもそういうことがあったし。そこで頭の中に定着してしまったのかもしれない。

でも今はたとえ裏があっても、そういう人への対策法が持っているし、持っていなくたって新たに編み出せばいいと思える余裕もある。
そう考えると、このトラウマチックな出来事も自分を永遠に傷つけるものではなくせるかもしれない。

長くなったけど、結論は、自分の価値観=相手の価値観ではないし、そう思い込んだきっかけもあるかもしれないよ。あと、人が話す言葉は意外とそのまんまの意味だったりするよ。と言う話でした。

追記:HSPの性質も関係しているのかななんて思ってます。


最後まで見てくださりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?