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介護

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認知症の介護をしていて、薬剤師さんに助けて頂いた話

コロナ禍でみんなが普通の精神状態じゃなかった時、 両親の認知機能が一気に悪化して、私がやらねばならない事が激増し、 追い詰められていた頃の私の話。 日本中、外出制限になり、母は趣味の俳句とコーラスのお稽古がなくなった事で、 曜日感覚がなくなった。 生活に張りがなくなり、認知症が悪化した。 ある日、実家のタンスを開けると、処方薬が未開封のままどっさり出て来た。 通院して薬は貰ってくるが、飲んでいなかったのだ。 理由を聞くと 「シートからプチプチ出すのが面倒なんだもん」との事。

認知症行方不明者1万9039人

去年だけで 1万9039人との事! いつもの道を一本曲がり間違えただけで永遠に帰って来られなくなる。 一人で徘徊をしてしまい、帰宅困難になる事もある。 両親に、いつその時が来るかわからないので私が実行している事は、 印鑑のシヤチハタさんが販売している おなまえスタンプ おむつポン 大人用 に、私の携帯番号をセットし、全てのオムツに押してある。 老人は歩き続けると冬でも暑くなり、身に付けている物全てを脱ぎ捨てるそうだ。 靴も服も全て脱ぎ捨ててしまいパンツだけになってし

辰年の今年もあと半分!

両親 (父90歳、母80歳)が認知症の私。 本日また父に新しい病気が見つかった。。。 二人とも延命は望まない宣言をしているので、 それぞれに新しい病気が見つかるたびに 「延命は望んでないので、“とりあえずそっとしておく”  と言う選択肢はありませんか?」 と先生に伺うのだが、 「いやーお元気ですからここでやらないと後々だいぶ苦しむ事になると思います」 と病気が見つかるたびに言われるので、治療の選択をして来た。 なんやかんやで二人とも仲良く楽しそうに過ごしているので 今回

「たくましくなりましたね」

認知症外来の先生に、私が言われた言葉だ。 両親が認知症の私。 もう10年以上3人で通院を続けている。 毎回3ヶ月間に起きた事を日記形式のお手紙で診察前に提出しているので 全ての事情を知ってくれている先生が、 診察中に、私をまじまじと見て、とても嬉しそうに言ってくれた。 2回も「たくましくなりましたね」と言ってくれた。 私のイメージするたくましいは “がっちり太ってる人” みたいなイメージだったので、 この10年そんなに見た目は変わってないので、 どう言う意味だったのか周囲

ゆっくりなレジ

とあるスーパーのレジがTVで紹介されていた。 現在主流のお待たせしないスピーディーなレジとは別に、 お店の方が、ゆっくり対応し、小銭もゆっくり一緒に数えてくれて、 会話を交えながらお会計をする昔ながらのゆっくりレジの列に人気が出ているらしい。 このレジは研修生もプレッシャーを感じる事なく学ぶ事が出来るので、 回転が悪かったとしてもお店にもメリットがあるそうだ。 認知症の母が、近所のコンビニで買い物をする様子を 私が遠くから観察していた時に、 一万円札をお店の方に渡すと、

「偉いね、私だったら受け入れられない」

久しぶりに会った友人の一言だった。 私の母は『スーパー専業主婦』で、家事全てがパーフェクトさんだった♪ まだYouTubeもパソコン検索もない時代だったので 色々な友人が母のレシピを習いに来たり、 アイロンの掛け方を習いに来たりで、母はみんなのお手本だった♪ その母がこの5年くらいでかなり認知症がひどくなった。 いつも介護でてんてこ舞いの私を見て、 昔の母を知る友人が心配してくれる。 「よくやって偉いね。あんなに完璧だったお母さんなのに。  親の変わりっぷりを受け入れる

「独身だと思われちゃうわ」by母

家から出る時は、きちんと身支度をして必ず指輪もつける80歳の母。 認知症になってもそれは変わらない。 ただいつもリビングの色んなところに指輪を置くので いつかなくなるだろうなぁとは思っていたけれど、 いよいよ指輪がなくなった。 物に執着しないタイプの認知症の母は、 指輪がなくなってもあまりショックではない様子。 ただ一言「独身だと思われちゃうわぁ」 と、本気で困り顔! エッそこ?    と思ってしまった娘なのでした♪

「カネ払ってるんだから」な感じ

両親が認知症の私。 父の人格変貌が最近顕著に現れて来た。 昔から “ お父さんイヤイヤ反抗期 ”もなくて仲良し親子だったのに、 最近いやな事を、いやな言い回しで言ってくる父はさすがに嫌いになってきた。 人格が変わる病気なんだ!とは、わかっていても割り切れない。。。 90歳を超えても家業をずっと一人で切り盛りしてきたが、 いよいよポカが増えてきて私を頼るようになった。 でも、全てを頭の中に管理してきたアナログ経営だから、 頭が壊れた今、上手く私に引き継げる訳がない

血圧下げる薬を3倍量使ってしまった父

人生で一番 “血の気が引いた話 “ 両親が認知症の私。 母(80歳)は、薬局で一包化して貰っているので薬管理は安心。 父(90歳)は、 「何を飲まされてるか把握が出来ないから、  薬局から受け取った薬は、手をつけず袋のまま渡してくれ」と言い、 薬の辞書を片手に、自分が何を飲んでいるかいつも確認している。 今回、貼り薬と、使い方のややこしい目薬が新しく増えたので、 『何の薬なのか』と、『使い方』を、 大きな紙に、油性ペンで、大きく書いて、大きな声で説明して、 事故が起

心がモコモコ

朝から認知症の父の病院の付き添い。 まだ数時間しか一緒にいないのに、 心がヘトヘト、モコモコしてきた。 今日はまだまだ長いなぁキツいなぁ こうなると自分に余裕がなくなり、 父に【ゆっくり優しく穏やかに接する】という事が益々負担になって来る私。 父が一人精密検査に行っている間、時間が出来たので、 こちらの記事を読ませて頂くと、 一気に現実世界から救い出してくれた🎵 秋の運動会にタイムスリップ♪ 自分もしろさんが走るグランドで大笑いしながら、 声援を送ってはしゃいでいる姿

寿命

両親が認知症の私。 二人とも、年並みの疾患が多々あるので、 認知症外来以外の各種病院の付き添いも結構大変。 昨日も90歳父の通院日だったので、一日中二人きりで過ごした。 「お前も付き添いばっかりで大変だなぁ。  俺もだいぶ手がかかるようになったから申し訳ない」 と珍しくしおらしい事を言った。 でもそれはほんの一瞬の事。 【頑固で、譲らなくて、すぐ怒る。】 脳の病気だから、一筋縄では行かない事だと、重々承知なんだけど、 こちとら女神ではないので、“そこまで望むかね?” と言

季節の服が選べない

80歳、認知症の母。 昔から引くほどオシャレさんだった。 私がちょっとでもおかしなコーディネートをしていると 「その服の人と歩くのやだわ〜」と言うほど(汗) でもある時から、お出かけの時に、いつもグレーのトックリしか着て来ない事に気がついた。 そういえば、ブローチやイヤリングもして来なくなったかも。。。 理由を尋ねると 「このトックリ気に入ってるから」 「手先が鈍くなってブローチやイヤリングは煩わしくなったの」 との事。 まーそう言うものなのかなぁ と思っていたけれど、

【温泉宿】という名にショートステイ🎵

81歳・認知症の母は、当初ショートステイを猛烈に嫌がった。 そりゃそうだ。 自分が壊れ始めている自覚があるのに、新しい事をするなんて不安で心細いに決まってる。 だから『嘘も方便作戦』で毎回なんやかんや理由をつけて行ってもらうように頑張った。 「区に温泉宿が出来たらしいのよ。今度一緒に行きたいから、私のために下見に行って来てくれる?」 とか、 「今度お父さんも温泉宿に行きたいらしいから、上手にエスコート出来るようにせっせと潜入調査行って来てくれるかしら?」 とか、「家族の為に

お仕事 ありがたい!

今日も頑張ったーッ♪ イラストのように踊っちゃうくらい頑張ったーッ♪ 両親の介護が大変で、常に頭の片隅が悩みで占拠されている。 でも仕事中は、まばたきも忘れる程集中しているから、 全てを忘れられる時間になる♪ このお仕事に繋がるように学費を出してくれて応援してくれたのは両親♪ 感謝感謝です♪ よーし♪ 明日からも頑張るぞ♪♪♪