【小説】夢遊小説は幽玄にて
昨日見た夢は、きっとかけがえのない創作品。
こんなキャッチコピーを掲げたWeb夢投稿サイト”Dreamy”が始まってはや4年が経つ。朝目覚めるとサンタクロースが置き配したかの如く自分の記憶から産出された創作品があり、投稿して、いいねが付く世界も随分普及した。サービス開始当初は整合性の欠片も無い夢を創作物だと認める人は少なく無視されていたが、今や夢が持つトンデモ展開や人智を超えた発想がありふれた娯楽の海で優先して咀嚼したい一大コンテンツとなりつつある。
私はしがない小説家の夢地修造だ。このペンネームはかの夢野久作先生へのリスペクトを込めて付けた名だが、皮肉なことに夢の字を孕んでしまっている。かつては栄華を極めていた小説投稿サイトの「小説家になろう」で数多の作品を書いていたのだが、Dreamyに食われて砂の惑星と化したこのサイトで創作活動を続けることに孤独感を覚え、渋々とDreamyの会員登録ページを埋めている。
「Dreamyへようこそ! 会員数約5億4000万人の広大なインターネットの海で、新体験の創作活動を楽しみましょう!」
「これまで不可能に思われていた夢の具現化、それをDreamy社は文字、映像、体験型VRの三つの媒体に変換しSNSに投稿出来るようになりました。夢は貴方の人生の全てを材料として創作に当てます。それは貴方の人生に無駄な時間など無いと証明する何よりの証拠となります。さぁ素敵な夢を見て、退屈な夜をかけがえのない創作の時間にしましょう!」
さて、今夜から夢の創作を始めるのだがさほど期待感は持っていない。確かに夢はその人を映す最も大きい鏡だ。だが本質は継ぎ接ぎで伝えたいメッセージ性も何も無い。AI生成画像は随分リアルになったが、映像はまだまだ統一感無く、気持ち悪さを伴っているのと同じ話だ。考えを練って、まとめる事こそが創作の醍醐味と考える私とはどうも噛み合わず今まで毛嫌いしていた訳だ。
もう一つ毛嫌いする理由があるから、ついでに言ってしまおうか。それは全人類に思考を伴わず創作を可能にしたことだ。元来考えの一つもまとまらず上手く話せない認知症の方々の存在は死んだも同然、澱みを待つ水のような扱いだった。しかしDreamyは彼らを救済してしまった、寝たきりの彼らでも創作活動が行えるように。その夢の楽園を築き上げた罪は大きい。それは家族がその夢のアウトプットだけで会話をした気でいるからだ。自分達家族の記憶の欠片が垣間見えるような夢が出てきて、号泣する家族のドキュメンタリーを見ていると、なにか生命に対する侮辱すら感じる。彼らにとって夢はもはやコミュニケーションを補うサプリメントのようなものになっている。実質的な死から目を背けられる口実としてもってこいだから、高齢層の人口増加を後押ししている。だが、誰一人としてその事実にツッコむ専門家はいない。
私の寝る30分前のルーティンは紅茶を添えて小説を読むこと、これに尽きる。いつもより本棚とにらめっこする時間が長くなってしまった。それは前日見た景色や情報は特に夢に現れやすいという特性を知っていたから。タイトルも覚えていない曲だが、「この夢があの日に読んだ本の続きだったらいい」という歌詞があるのを何故かよく覚えてるように、インプットから夢に繋がるロマンを自ずと求めてしまっている。私はあえて自分の作品を手に取り読み返した。完成された傑作品に続きが生まれるなら作者本人が堂々と読んで評価してやろうと思ったからだ。ここまでDreamyを酷く言ってきたが、自身の夢の世界が文体となるのは楽しみである。良い夢を。おやすみ、夢地。
寝起きは悪い方だ。アラーム音が茨のように頭を苛む。3回目のスヌーズでようやく朝日を浴びて、昨夜見た夢が仮投稿された。全ての夢は全自動でSNSの海に流される。投稿後24時間のレビュー数といいね数の合算によってランキングが決定する。恥ずかしい一面が反映された夢などの為に削除も可能だが、基本プライバシーはお構いなく公開している人が多いらしい。さて、処女作を拝読しようか。ダージリンを注いだティーカップはまだ熱かったので食パンを一齧りして、MYページへと移動する。ふむふむ、起承の流れまでは小説通りだ。主人公が友人を殺害してしまい、罪悪感を感じつつ腐敗していく彼の死体と逃避旅行へ向かうあらすじを文字違いはありながらもしっかりなぞれている。しかしここから夢想家夢地修造が本格的に遊び出した。趣味のFPS要素が拾われたのか、主人公が突如街の人々をショットガンで殺めていく。そして友人同様旅のお供に死体を連れて、綺麗な景色が見られる観光地へ行くごとに一体づつ埋葬していく。なんて滅茶苦茶なオチだろうか。正直腹を抱えて笑いそうになった。原作破壊にも程があるだろうと思うくらいの支離滅裂さに。だが前半は見事に書き写せていた。52%くらいだろうか、小説家の私が書いた綺麗な文章がしっかり反映されていた。小説家夢地と夢想家夢地の文が可視化された今、改めて自分がやってきた事が間違ってなかったと確認出来る。副産物として逆説的な創作の安堵が貰えただけでもDreamyを始めた元は取れただろう。
それからは夜のルーティンに新たな作業が加えられた。自分の作品を見返し、夢に反映されるよう願いながら文字をなぞる。たまに失敗して夢想家が遊びに遊んだ文も作られるけど、日に日に自分の文の比率は増えているし、ランキングも徐々に上がってきている。トンデモ展開がなんだ、結局まとまったものが読みたいんだろ、人間なんてのは。そう言い切れる日を目指して、研究としてノートには夢想家の私が書いた物語の改変点を記した。
・今日は小説の主人公が殺した相手が中学生の時の初恋の女の子だった。
・今日は天動説が正解の世界で宇宙を目指す主人公がいつの間にか兄弟設定になっていた。
・今日は巨人として小人の国を襲う話だったのに我々も鳥籠の中に囚われている話になった。
・今日は生まれ変わりがテーマの作品なのに同じ彼氏が映るデジャブの現象が起きた。
こんな風に夢想家の一面も隅々まで見て何か特徴を探そうとしたが、日々何が書き記されるか検討もつかない。呆れつつもどこか魅せられている自分もいる事にふと気付いた。やはり夢は大きな写し鏡。今まで摂取してきた好物は形を変えても好きになれるみたいだ。
Dreamyの方針とは逆を突く私と異なって世間は夢を主軸に置いた姿へ変貌しつつある。大学教授らは「起きてる時間こそ中途半端なインプットの時間、夢に集中出来るよう活動時間の短縮を。」と訴えて、ホワイト企業を中心に昼間の活動時間を減らす取り組みが流行っている。確かに、分からなくもない。大学の90分間の講義で真剣に聴いている時間とぼーっとしている時間どちらが多いかなんてアンケートするまでも無い話だろう。また国もこのビッグウェーブに乗り出して全国一斉睡眠の日を設けると決定した。午後4時に帰宅、午後8時には一人残らず夢の世界へ誘って、皆で大長編の夢を描こうと言うものだ。ただ国は馬鹿なので土曜日に設定していて、普通は水曜日だろ!週末じゃ意味無いんだよ!と大いに批判が飛び交っている。まだまだ表面的な変化かもしれないが、この国のグラデーションは濁りつつある。その澱みを掻き分けて、かつての常識だった枝木にしがみつき、再び目立つところに植林し直す。それが小説家としての私の責務だと思っている。逆光が何だ、スポットライトは固定していないのだからまた輝ける日は来る。決意のエスプレッソは猫舌の私でも一気に飲むことが出来た。
来たる全国一斉睡眠の日。どうせ努力義務程度の束縛だろうと思ったら、割としっかりとした罰則付きで実施されるみたいだ。Dreamyの取り組みの他に最近流行りのすやすや教の概念がここで役立つとは。だが、罰則は会社単位に限った話であり、個人単位での監視は付いていない。午後7時55分。いつもはゴールデンタイムのテレビは23:55の特番がやっていた。私も準備を始めなければ。そう、睡眠では無く創作の。机に原稿用紙を配置し、万年筆とカプチーノを添える。街に静寂という名の号砲が轟く。NHKは誰も見てないとはいえ、万が一起きてる人がいた場合に備えて焚き火のASMRを垂れ流している。それが今の私の創作意欲の様に燃え盛る。作戦はこうだ。起床予定時間の1時間前までに1つ新作を書き上げ、それをインプットして1時間の仮眠で夢にアウトプットする。目指すは95%以上の反映、リハーサルでは92%まで上り詰めれたから無理な話では無い。そしてランキング上位に選ばれたら勝利のファイティングポーズを決めてやるって流れ。あぁ、創作はやはり心地好い。ねむるまちで静寂を切り裂く万年筆と原稿用紙の摩擦音。焚き火の爆ぜ散る火花と網戸から流れ込む秋風のハーモニー。今夜、世界は私だけのものだ。「あっちの世界」で創作に精を出す彼らも立派だ。それに異論は無い。ただ意識というものは思考というものは起きてる間しか享受されない。苦労無くトントン拍子で創作が進み朝起きたら出来ていましたなんて、何が楽しいのだろうか。頭を抱えて飲むカプチーノが一番美味いに決まっているだろう。ふと気付いたら日の出の斜光が机に一つの線となり現れた。丁度スポットライトに照らされるは私のペンネーム夢地修造の字。夢の地は自分で修正して造り上げるもの。そんなメッセージ性を込めた名を背負ってるんだ。あともう少し、書き上がてやるぞ。
寝起きは悪い方だ。アラーム音が茨のように頭を苛む。5回目のスヌーズでようやく目覚ましじゃんけんの音に気付く。書き上がった勢いそのまま寝落ちしていたみたいだ。眠気は究極に達しているが、仮投稿の為に一度目を覚ます。ここではあえて確認しない。ランキング発表後に盛大な成果報告会を開けばいい。とりあえずは夢の世界へ帰ろう。おやすみ、夢地。
ことさら当芸において幽玄の風体第一とせり。室町時代の能役者、世阿弥の言葉だ。物事の趣が奥深く計り知れないことを幽玄と彼は呼ぶ。まさに夢は幽玄だ。来る日も来る日もその人が蓄積してきたありとあらゆる知識が姿を変えて登壇する。だが小説だって幽玄だ。思考の渦がその人固有の文体となって現れ、バックグラウンドから思想まで垣間見えてくる。小説だからこそ出来る幽玄さを、忘れて欲しくなかった。そんな願いの元、造り上げた小説を反映させた夢は日本国総合ランキング第一位を獲得した。人が報われた時に感じる感情は喜びより安堵が先だ。胸を撫で下ろし、燦然と輝く金メダルを酒のあてとして、白ワインを抜栓する。淡い柑橘の匂いが部屋を舞い、原稿用紙に匂いが移ったかもしれない。それもまた趣深く感じられるほどに、栄光に、酔い浸たれるは十五夜。
酔いも醒める午前1時。帰ってきた理性君が違和感の注意報を勧告する。妙だ。コメント欄が
・最後の一文でハッとされました!道理で起承転結が綺麗にある夢だなって思った訳だ!
・それは…ありなのか? ちょっとDreamyの方針と合わないしルール違反な気がするが…。
・面白いからいいんじゃない?誰だって出来る事では無いし、夢の新境地だよこれは。
という感じで、最後の文体についての感想が目立つ。最後は丸く納めたのでそんなどんでん返しは無いはずだが何が起きているのだろうか。ようやく私は傑作となった私の夢を拝見する。あぁなるほど。小説は100%きっちり写せていたが、夢想家の私はご丁寧に余計な一言を足していたみたいだ。やはり夢は幽玄だ。何が起きるか分からないし、計り知れない趣がある。ようやく分かった。1位受賞の決めてとなったのは締めのカミングアウトなるこの一文のようだ。
以上でこの夢は完とする。
全て、脳裏上に潜ませた小説より引用です。