緑のガラス片

まだまだ、気候が分からないよね。雨が降ったりね、止んだりね、してるの。最近はでもね、昔見た起き抜けの朝焼けを手の中で転がしながら、心地良い気持ちを纏って、雨の日も外に出るの。
ひどい気分の時もあるでしょう、隅の方で賑やかな音に耳をすましながら、冗談じゃない時がほとんどよ。本当にそういう時、体のサイズが分かっちゃうんだけどね、実際はもっと大きいの。気持ち悪いよね、デロンとしてて、異物だと分かって、そのことでまた一段階辺りが暗くなって、でも、頭だけ人工物で照らされているような気もするの。これを、違和感として捉えてはダメなのよ。違和感と捉えた瞬間に、それはただの違和感としてそこに存在してしまうわ。こんなこと、言うまでもないけどね。甘えてるのよ、私今、頭がゴチャゴチャしてるでしょう、あなた、でもね、良く目を凝らして、絡まった灰色の塊を一つ一つほどいていくのよ、最後には何も残っていないわ。そこでもう一度、ほどく過程を思い出してみるのよ、あなた、何もないところで一人、一体何をしていたの?ってね。

ほら、あなたのも聴かせて。あなたの手に持っているものは何なの?あなたが持っているものも、私は知りたい。
頭の右上で、金属音が鳴り止まないの。カンカンキンキン、一定の間隔で、掴めそうなのに掴めない。触れそうなのに、いつだって右上、どこを向いていても、それを追いかけてぐるぐるぐるぐる、犬みたいね。でも私の音じゃないの、それだけは分かるわ。
風が必要なの、分かるでしょう。あなたの持っているもの、あなた自身なのかも、私、風が…!
ああ、前後の記憶なんて何もないんだけどね、夏の昼下がり、海へ続く細い道を歩いていたの。私の横には元が何色かも分からないフェンス、それにツルが絡まってくにゃくにゃ、背の高い木も沢山あったわ。草木が生い茂ってその隙間から、磨く前の宝石みたいな慎ましさで木漏れ日が、私を撫でるの。数えたくなくなるくらいの木漏れ日、つまりね、数えたら数が分っちゃうでしょう、数えられてしまいそうな危うさがある、愛しい木漏れ日達。私、彼らに撫でられている場合じゃないのよ、ほんとに。
それでね、海まではあと少しなんだけど、まだあんまり海は見えない。その時、あの風が私に触った気がしたわ。手が届くの。音はしないわ。…ごめんね、嘘、耳をすましたの、私、そうしたら、遠くから何か聞こえてきたわ。蝉…、蝉の鳴き声が、一匹聞こえる。一匹だけよ、他のみんなはどこ行ったのかしら。あんなに沢山いたのに…。なんで沢山いたのか知ってるかっていうとね、彼らが今、息を潜めてそこにいることが分かっているからよ。私にはね、ほら、彼らの気配が、視界をなぞって形を整えていくのが見えるでしょう?これが全て剥がれ落ちた時に、水面を滑るように一匹の鳴き声が、私の手元にやってくるの。じいじいと鳴き声がね、私の小さな手元の中で完結していて、それでやっと静かになったのよ。

夏の昼下がり、私は誰と居たかも分からないの。もしかしたら一人だったのかもしれない。そうだとしたら寂しいけれど、その方がぐっすり眠れるわ。本当は、歩いていたかも分からない。何にも分からないの。ただね、この静かな景色が、私は結構好きでね、終わっちゃう前にスローにして再生するんだけど、そうしたらコマどりみたいにカクカク動きだして、そんな静かさは、私はいらないの。でも私は意地悪だから、この静かさが欲しい人がもし居たとしても、私はあげない。私だけが嫌いでいるの。あなたではダメなの。それでも私は、あなたの全部が欲しいけどね。

ねえ今、暖かい白い壁に囲まれて、中くらいの窓も二つあって、そこから光が差し込んで、私の手を白く包んで、そういう和やかな陽は、どんな気持ちも優しく世界と繋ぎ止めてくれるでしょ?良くも悪くもだけどね。でも悪くても良いの、どっちかでも手に入った方が、私は嬉しい。嬉しいでしょ、あなたも。辛いとか悲しいとか、私はまだその総量なんて分からないから、どんなものでも少しずつ色が違っているはずだから、何も考えなくても次々と袋に入れていけるの。私はほら、とっても世界を信じているでしょう?とっても世界を信じていたでしょう?だからもうやめてね、こんなことはね。ちょっとほら、ガタガタ音が聞こえる、外れるよ、ほら!
色が外れないで!あなた、そこに見えるでしょう、いつからかなんて分からないけど、ずっと分かってなんかないけど、今までのこと全部かき消してくれるような、いや、弾いて静かにしてくれるような、キラキラした光が!見えるでしょう!足元にほら、もう反射したくない、聴こえたくなんかない!
ねえ、そのままやめないで、変わらないで!今はもう、淀んだ私が移動して、そこに風通しの良いあなたがね、あなたが香ってきて、透き通ったガラス片が一つ、緑色の、それが拾われる数秒先の未来が何故か見えなくて、私もあなたもいなくなったのに、いつまでもそこにあることが分かって、それで、あなたを纏って緑のガラス片は、まだいつまでもずっとリアルに。そこにあるの。
窓の外、うっすら見えるでしょう、あの木漏れ日が、指先ほどの小さな光が、ガラスの光と一緒くたになって全てまとまるわ。光に定まるの。
あなたは風じゃない、だけど、あなたはいなくなっちゃうでしょう。いなくなれば、風が香るわ。風通しの良いあなたが、私じゃダメなの。

だけど、私もいなくなるわ。私がいちゃダメだもの。素敵な光が集まって、そこにあなたが香ってきて、ねえ、私今、初めて安心して眠れるのよ。

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