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小説 フィリピン“日本兵探し” (25)

アキラが洞窟に戻ると、タカシと宮田が言い争いをしていた。宮田の携帯電話がつながらない状態で、大使館や本省への連絡のため、衛星携帯電話をタカシに貸してほしいというのだが、タカシは、1時間後、夕方4時のテレビのOAが終わるまで貸せないと断っていたのだった。
「タカシさん、旧日本兵発見の知らせを大使館と政府に入れて、谷口四郎少尉の帰国準備に入りたいんです。持っている衛星携帯電話を貸してくださいよ!」と宮田。
「宮田さんは、他人の仕事を何だと思っているんですか?それなりに命を張ってここまで来ているんですよ。このスクープを電話中継で報じるまで待ってください」、タカシは反論した。

時刻は午後3時を回っていた。戻って来たアキラは、「タカシさん、ジュンとマリアに船を奪われました」と興奮気味に伝えた。今から、大使館経由で船を呼んでも夕方6時、サマール島に戻れるのは夜8時を過ぎるだろう。護衛のない旧日本兵を無防備に人が多くいる場所に連れて行くのも危険と思われた。本省の本郷課長からは、旧日本兵がいた場合、臨機応変に対応し、無理な報告は必要としないと言われていた。そのためか宮田が思いついたのは突拍子もないことだった。宮田はタカシにある提案をした。
「そのニュースの電話中継に私も出演させてもらえませんか。政府の見解は述べることはできませんが、今後の対応の見通しや、大使館職員である私の谷口少尉に対する印象などを伝えることはできます」、宮田は、谷口少尉がダバオでの空港テロとは関係なく、現時点で武器も所持していないことを、国内だけではなく、国外にもいち早く発信しようという狙いだった。あと谷口少尉が日本に帰りたいと言っていることも重要だった。
「分かりました。キー局のデスクとは、その方向で調整してみます」
タカシはまず、福岡のデスクのノブに電話を入れた。
「ノブさん、一報は全国ニュースで入れさせてください。谷口四郎少尉の電話インタビューと大使館の宮田一等書記官のインタビューがメインです」
「なんで大使館の職員のインタビューとか入れるんか?いらんやろうが。日本兵タニグチ一本でいけ!お前ほんとニュースが分かっとらんの」、ノブが命令口調で怒鳴った。
「3日前のダバオの空港テロがあるじゃないですか。あれとか共産ゲリラとかとは、谷口少尉は関係があるようには見えないので、その部分をしゃべってもらえば、大使館職員の見立てはあった方が世界ニュースとしての価値が出ると思います。実際に谷口少尉はテロ事件のことは知らないし、54年前に戦争が終わっているということも知らなかったようです」、タカシが説明すると、ノブは東京のキー局のデスクにつなぐことを了承した。

キー局とはいいながらも、テレビ関東は名前の通り、関東ローカルの空気を引きずっていた。系列局は九州局を含め5局、他の系列のテレビネットワークに比べると、発信力に大きな差があった。この日のニュースデスクは唐沢デスク。ワシントン支局長の経験があり、外信ネタを好んで採用する国際政治好きのデスクだった。けたたましく鳴るデスク席の受話器を取ると、相手は九州のデスク、ノブだった。
「唐沢さん、きのう電話で話した旧日本兵の話。うちの記者が接触したと今しがた連絡がありました」
「本当ですか?どうします?原稿と地図で本記を入れて、こっちの解説で、横井庄一さんや小野田寛郎さんのVTR を作って、どれだけ歴史的に大きなニュースであるかを伝えるという感じでどうですか?」
「こっちができることとしては、原稿はきょうの情報が上がってきているので固まった最終稿を送ります。それと、衛星携帯電話を持っていっているので、記者、谷口少尉、大使館職員の生中継インタビューができます」
「それはすごい。番号を教えてください。スタジオと掛け合いができるようにしておきます」
さらにノブは、「あと谷口少尉は、富山の方で大阪テレビにきのうから動いてもらっています。ご家族のインタビューと写真、それと本人の墓ですね。大阪の山川さんから連絡があると思うので、映像素材や取材メモは東京で受けて、こっちにも共有してください」と伝えた。
唐沢は旧日本兵のニュースに急いで3人の部員を割り振り、VTRの受けや電話中継の準備に当たらせた。

すでにタカシは、東京の担当部員、ゲンタと中継の中身について連絡を取り合っていた。特に確認しておきたかったのは、3日前の、ダバオの空港テロの映像入手だった。すでに政界や官公庁、財界では、ダバオのテロに、旧日本軍や共産ゲリラが何かしら関係しているのではないかという情報が少しずつ広がり始めていた。
「タカシさん、谷口少尉は、あのテロと関係があるんですか?」
「それはないと思う。それを言わせるため、大使館の宮田さんに電話中継の出てもらおうと思うんよ」

テレビ関東のニュースデスク、唐沢が全体構成について、部員に指示を出していたときだった。ピーコと呼ばれる通信社のアナウンスが報道フロア全体に響いた。
「きょう午後3時ごろ、フィリピン・マニラの旧米軍施設近くで、合同訓練のためフィリピン訪問中の米軍兵士など数人が倒れているのが見つかりました。フィリピン政府軍が現場で見つかった毒物とみられる液体の処理に当たっているということです」

ピーコを聞いて、唐沢は「電話中継でこの事件も触れるから、タカシさんに逐一、情報を伝えるようにしておいてくれ」と国際部に伝えた。

島にいる一行と谷口少尉は、洞窟から外に出ていた。空が見えないと衛星携帯がつながらないからだ。タカシは皆に、東京のゲンタが教えてくれた、今度はマニラで米兵士が被害に遭う事件が発生していることを伝えた。午後3時40分過ぎ、全国ネットの「ニュースフォーカス」の放送まで、時間は20分を切っていた。

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