見出し画像

自分は何者なのか。

しばらく忘れてたことなんだけど
ふと思い出したから書き留めてみる。


昔からどこか自分は周りと違うんだろうな。

周りの視線からも自分の体感からも感じる。

うまく周りと馴染めない。

一番古い記憶は保育園の頃、
友達と遊びたいのに避けられているように感じてうまく馴染めなかった記憶がある。

大人になった今もそう。
どこか自分だけ浮いている気がする。

最近気づいたのはうまく馴染めないのは私の居場所ではないという心のサインだということ。

誰とでもすぐに仲良くなれる子が羨ましくて、そんな自分が嫌でしょうがなかった。

友達を作らないと一人になってしまう孤独という怖さ、大人なんだから自らコミュニケーションとれるようにならないという焦り。

小さい頃から今も変わらず
孤独と焦燥感と闘っている。



大人になって憧れの人を見つけては、その人のようになりたいと思っている自分がいる。

使ってる化粧品、洋服、雑貨等
お揃いにして使っている時は一時的な嬉しさと幸福感がある。

考え方、価値観に触れてみたら自分にはないもので溢れていて生きやすくなったり、自分を改めるいいきっかけにもなった。

尊敬している気持ちや人として大好きだという想いは変わらずにあるけど、結局は自分以外の何者にもなれないということ。

自分とは何者なんだと問われたら
自分以外の何者でもない、自分。

誰かにゃ到底なれやしないな
自分だけが持つ
種を忘れるけど

Mrs.GREEN APPLE/Doodle

大好きなMrs.GREEN APPLEが歌ってくれている。本当にこの歌詞の通りだなって思うけど誰かになりたいと願うけど叶わない事実。それは自分を見失っていて私という存在、個性を忘れている瞬間なのだと思う。

あなたとの相違は
私である為の呪いで
卑屈は絶えないが
そんな自分を
本当は嫌えない

Mrs.GREEN APPLE/コロンブス

他人と比較して落ち込んで、真似してみても誰かにはなれない私である為の呪い。

その後に続く歌詞

“そんな自分を本当は嫌えない”

なりたい自分になれない自分を好きになれるわけないと少し前の私だったらそう思っていたのかもしれない。

ここ最近、私だけが持つ唯一無二なことなのなもしれないというものを見つけられた。
声を大にして言えることではないし、本当に小さいこと。けど誰かにとっては希望なのかもしれない。

きっと心の奥底では、自分が好きという思いが眠っているのではないかと思う。

でも、今の私は自分自身が好きではないと言い切れる。本当にひねくれてて頑固だなと思う。


私が私らしく生きれることに希望を持ちたい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?