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ひらめきの人、松本人志

松本人志の件で世間で騒がれているが、今回は松本人志の笑いの部分について語ろうと思う。

●横山やすしから怒られた事について
ダウンタウンが若い頃、横山やすしが「チンピラの立ち話」と批判された事がネットに上がっており、ダウンタウン批判に引用されている。しかし、残念ながらダウンタウンは漫才をむしろしっかりと受け継いでおり、横山やすしこそ異端なのだ。なぜなら、漫才作家の秋田実が「漫才は立ち話」と言っているからである。てなもんや三度笠の作家の香川登志緒は「昭和16、7年にいとしこいしが登場してきたときと同じ衝撃を受けた」と語っている。

また、上岡龍太郎もダウンタウンの漫才を番組で評価している。昔のダイマルラケットの漫才を見ると、松本人志と発想がものすごく似ている事があり、まさしくダイマルラケットの後継者こそダウンタウンだったと自分は思う。

●コント師やストーリーテラーではない
松本人志が過大評価されているのはコントの部分である。ごっつとかビジュアルバム見ても、設定ありきでそれを展開していく能力にかけている。

●着眼点に才能がある。ただし・・・・・
松本人志はひらめきの人であり、着眼点の人である。だから漫才という一つのボケを積み重ねる漫才という芸能があっている。それが良い方向に向いたのがビジュアルバムの古賀という作品である。これはある人物の無意識の行動をネタにした作品だけど本当に面白い。またある番組で村で一人だけの美容師のニュースが流れた時に「ではあの美容師の髪はだれが散髪しているんだろう」とつぶやいていて、こういう視点はまさに松本人志の真骨頂である。映画の大日本人も現代のスーパーヒーローをリアルに描いたら?という着眼点の下、作った作品でシンゴジラにも影響を与えていると思う。
しかし、その着眼点がしばしば独善的で浅くなる事も多く、「しんぼる」とかはラジオで語っていた運命についての考察が元ネタだと思うけど、それが一人よがりで最悪だった。働くおっさん劇場とかもいじめにしか見えなかった。松本人志には常にそのアイデアや着眼点を客観的に見えるイエスマンじゃない人物が必要だったのである。(それは幼馴染の放送作家 高須光聖ではない)

●松本人志の活かし方
自分としては上記の事から考えると松本人志の才能は「物語ノオチを考えたりテレビ番組のアイデア出し」など裏方で活躍するのが一番向いていたのではないかと思う。しかし、それを指摘してくれる友達もいず、自分を客観視できるほどの知性もなくここまで来てしまった。もうここまでの女性からの報告が出てしまった結果、笑ってはいけないどころか笑えない松本人志になってしまった。もし女性の告発が本当なら、今まで芸能界お疲れさまでした。



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