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日本人営業マンの奮闘 in ヨーロッパ Part1

2023年が始まった。 
私は、2019年の夏に、会社の辞令を受けドイツへと赴任してきた。
なので、もう3年半が経つことになるが、この間、営業マンとしてヨーロッパ中を飛び回る(かっこ良くいえば)仕事をしてきた。
来てみてよくわかったのだが、欧州市場というのは、日系の会社にとっては、非常に厳しい市場であり、名だたる日本の大企業ですら、欧州では十分に成功できていないケースが多々見受けられる。
私なりに、多くの失敗も含めた経験をしてきたので、同じ境遇の海外で頑張る営業マンの方や、将来海外で働く営業を志す方に共有したいと思っている。
自己紹介も兼ねて、まずは、私の過去をお話したいと思う。
長々と書き連ねるかとは思うが、自らを振り返る回顧録としても一度整理したいので、ご容赦いただきたい。

経歴

私は、九州の田舎から東京の私立大学に進んだものの、いわゆる、典型的なダメ学生で、都会の誘惑に早々に流され、いきなり留年をするという親不孝ものであった。
その後、なんとかギリギリで卒業に漕ぎ着けたものの、就職氷河期という言い訳もあるが、思うような企業へ就職ができず、小さな専門商社へ入社した。そこで、私は営業という職種についた。それ以来、約18年間、営業一筋で今日までの社会人経験を積んできている。

1社目の会社で7年ほど勤務した後、当時33才で転職を決意した。これは、ある挫折経験が元になっているのだが、いずれにしても、私の転職の大きなモチベーションは、

「日本の優れた技術を世界中の、まだ知らない人に伝えたい」

という、まぁ有りがちな青臭い理想論だった。

転職先の会社は、所謂、化学メーカーだが、ある特定の製品では世界でもトップクラスの技術、シェアを持っているが、アジアに偏っており、欧米でのシェアや認知度がまだまだ低いという課題を持っていた。

私は、このような会社こそ、自分の理想を実現するに相応しいと感じ、なんとか中途採用を勝ち取った。
タイミングよく、会社はヨーロッパと北米に拠点を拡大し、販路拡大を目指すべく人を送り込んでいる矢先でもあった。

結果、すぐに海外へと派遣されたかというと、全くそんなことはなく、名古屋の営業所への配属が決まり、主に自動車メーカーの下請けであるティア1と呼ばれる会社の担当を任されることになった。もちろん、欧米の顧客ではなく、日本の会社である。

後に、ここでの経験は大いに役に立つことになるのだが、当時は、どんどん海外へ派遣される同僚を羨ましく思いながら仕事をしていたことを覚えている。

その後、6年ほど日本で勤務したあと、ようやく海外への辞令が出た。
行き先は、ドイツである。
そこからは、最初に触れた通り、3年半を過ごし今に至る。
主な業務は、自社の製品である化学製品を欧州の企業に販売するための戦略立案、実際の顧客へのアプローチ、案件の発掘、クロージングとなる。
また、既存ビジネスの日々のメンテナンスも同時に行う。具体的には、日々のオーダーの状況のフォローから、販売予算管理、トラブル対応などである。

以上が、私のざっくりとした経歴であるが、次回以降は、以下について書いていこうと思う。

  • 海外で働きたいと思ったきっかけ(主に失敗談)

  • 実際にヨーロッパで働いてみて感じたこと

  • 海外駐在員のメリット、デメリット

  • 海外で営業する上で、大事なこと


次回へつづく

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