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ブッダ・心のことば ウダーナ第2章6 妊婦の経  わかりやすい版

2 ムチャリンダの章
2.6 妊婦の経(16) 
 
  命には本当はお金も名声もないと知っているひとは
  お金も名声もないことは楽に感じる
  自分のお金や名声があると錯覚している人の苦を見よ
  そんな人はしがらみで、どうにもならない
 
 あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
 ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園に、臨月のバラモン僧は、夫のバラモン僧に。
「あなた、油を持ってきてくださいな、お産をするから」
 そのバラモン僧は女性バラモン僧に、
「おまえ、どこから油を持ってくるのだい」
 このような会話がかわされた同じころ
 コーサラ国のパセーナディ王の蔵では、バラモン僧用に、バターや油が、飲みほうだいではあったが、お持ち帰りは駄目だった。
 そこで、そのバラモン僧は、
「そんなら、お産のためにコーサラ国のパセーナディ王の蔵で、油を飲んで家に帰って、吐き出してみよう」
 バラモン僧は、蔵で油を飲んで家に帰った、飲んだ油を吐き出せないし、下すこともできないので、メチャクチャ苦しくて、ころがり回りのたうち回った。
 お釈迦様は、朝早くにサーヴァッティーに托鉢に入り、そのバラモン僧が、メチャクチャ苦しくて、ころがり回り、のたうち回っているのを見ました。
 
    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
解 説
 執着するかしないかで、生きることが重荷になるか、軽々生きるか決まります。
 油は余分な食べ物のたとえです、悟った人は、心になんの荷物もありません、食事も体を維持するのに必要なものだけ取ります。
 鳥が空に足跡を残さないように、悟ったひとの行方には、足跡も残らないです。
 
 
 

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