ブッダ・心のことば ウダーナ第2章1~10 (完全版)
2 ムチャリンダの章
2.1 ムチャリンダの経(11)
このように、わたしは聞きました。
ある時、お釈迦様はウルヴェーラーに住んでおられた。
ネーランジャラー川の岸辺のムチャリンダ樹の根元で、悟りをえてすぐのころお釈迦様は、七日のあいだ、瞑想姿で坐ったまま、解脱の安楽を楽しんでおられた。
巨大な雨雲が現われ七日のあいだ雨となり、冷たい風の荒れた日々となった。
龍(ナーガ)王のムチャリンダは自らの住まいから出て、お釈迦様の身体を七重の蜷局(とぐろ)で取り巻いて、頭上高くに巨大な鎌首をもたげて立った。
「お釈迦様が寒くてはならない、お釈迦様が暑くてはならない、お釈迦様に虻や蚊や風や熱や蛇が近づいてはならない」
お釈迦様は、その七日が過ぎて瞑想から覚められた。
龍王のムチャリンダは、雷雲が、離れ去り天が晴れたことを知って、お釈迦様の身体から七重の蜷局(とぐろ)をとき龍(ナーガ)の姿から若者の姿になり、お釈迦様の前に立ち、合掌しお釈迦様に礼拝しました。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
離れて満足するのは楽しい
真理を学び体験するのも楽しい
世に対して害する心ないのは楽しい
生きとし生けるものに節度あるのも楽しい
世に対して執着が無いのは楽しい
もろもろの欲望を超えることも楽しい
私がいるという実感をなくす
このことが最高の楽しいこと(13)
以上が第一の経となる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お釈迦様が、覚りに達して六週間目のこと、伝道活動を始める前の出来事として設定されています。
覚者のこころの状態はどうなっているのかということを説明するウダーナで、他人を諭すために説かれた説法ではありません。
ムチャリンダというのは蛇の名前です、当時インドでは蛇は脱皮することなどから、生まれ変わる生命の象徴として信仰されていました。
内容は難しいかも知れませんが、解脱の境地を相対的に理解できるとおもいます。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Sukho viveko tuṭṭhassa,
離れて満足するのは楽しい
sutadhammassa passato;
真理を学び体験するのも
Abyāpajjaṃ sukhaṃ loke,
世間に対して害する心ないのは楽しい
pāṇabhūtesu saṃyamo”ti.
存在する生命に節度あるのも
Sukhā virāgatā loke,
世に対して離れるのは楽しい
kāmānaṃ samatikkamo;
もろもろの欲望を超えることも
Asmimānassa yo vinayo,
我慢をなくす
etaṃ ve paramaṃ sukhaṃ”ti.
このことが、最高の安楽
解 説
Sukho viveko tuṭṭhassa,
離れて満足するのは楽しい
*Viveko 離れている、離れて生活している人。
*俗世間の煩わしさから離れる。出家生活するとは一般的な意味です。
*生きるとは、眼・耳・鼻・舌・身・意から入る 色・声・香・味・触・法
という情報の刺激に依存することと、更に期待することで(煩悩が現わ
れて心が汚れます)、覚者の心は情報の刺激に依存しない期待しない境
地に達しているのです。
*tuṭṭhassa 満足している。
*人は期待どおりの刺激を受けると、一時的に満足する場合もありますが
、満足は長持ちしません。覚者は色・声・香・味・触・法の刺激を期
待しないのです。心が安穏に達しているので、要求するべきものはあり
ません。
*この状態は「常に満足」なのです
sutadhammassa passato;
真理を学び体験するのも
*suta学ぶという意味で、dhamma は真理です。
*解脱に達する以前、お釈迦様は「真理とは何か?」と徹底的に探し求め
ていた
*passato 見るという意味
*この場合は、「体験する、経験する、発見する、実証する」という意味
で使用されます。
*お釈迦様は前提を調べたのです。
*sutadhammassa 自分がスタディしたことをちゃんと実践して実証したと
いうこと
*理解があった真理を実証したのです。
Abyāpajjaṃ sukhaṃ loke,
世に対して害する心ないのは、楽しい
pāṇabhūtesu saṃyamo”ti.
生きとし生けるものに節度あるのも、楽しい
Sukhā virāgatā loke,
世に対して執着が無いのは楽しい
kāmānaṃ samatikkamo;
もろもろの欲望を超えることも楽しい
Asmimānassa yo vinayo,
私がいるという実感をなくす
*アラカンの境地です
etaṃ ve paramaṃ sukhaṃ”ti.
このことが、最高の楽しいこと
(意 訳)
足るを知り満ち足りている人は真実の教えを学んだ人
あるがままに経験している人は悟りの境地にいる人は楽しい
世間に対して傷つける心ない人
生きとし生けるものに慈悲喜捨の心で接する人は楽しい
世間に対して執着がないこと
執着を離れることは楽しい
わたしがいる、という実感がいつわりであるとしること
これこそ最高の安楽である
生きるとは、かかわりを持つということでもあります。それは苦(ドッカ)つまり苦聖諦です、第二章は生きる喜びを含めて苦・楽が語られ、かかわるということでは重要な、慈悲喜捨の心を説いています。
悟りは最高の安楽であるが、残酷な心でかかわるな、つまり生きるなという、お釈迦様のもう一つの教えです
生きるとは、眼・耳・鼻・舌・身・意から入る 色・声・香・味・触・法という情報の刺激に依存、触れることと、更に期待することです。つまり膨大な勝手な概念を作り出し、私という概念を作り「私」、「私の物」に執着して煩悩を拡大生産し、この現象により煩悩で心が汚れます、この汚れが無明であり渇愛・執着です。
これが生きるということです。
生きるとは、情報の刺激に触れること、世間とつながりをもつことです、このつながりを「離れる」のが悟りです。
覚者の心とは情報の刺激に依存しない期待しない 境地に達していること、つまり「viveko」「離れている」これが真意です、悟りそのものを表すひと言です
2.1 ムチャリンダの経は覚者のこころの状態はどうなっているのかということを説明する偈です、解脱の境地は言葉では説明できません、リンゴを食べたことがない人に、リンゴの味を説明するようなことですが、相対的に例えなどをつかい説明することはできます。
とても難しいことですがウダーナという経典はこのようなブッダのつぶやきが、悟りに達したひとの言葉が、ちりばめられています。
2.2 王の経(12)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様はサーヴァッティー(舎衛城)に住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園(祇園精舎)で食事のあと奉仕堂に集まって坐っている大勢の修行者に暇つぶし合間の論議が起こりました。
「マガダ国のセーニヤ・ビンビサーラ王とコーサラ国のパセーナディ王どちらの王が、財産があり、財物があり、蔵があり、領土があり、戦車があり、軍隊があり、権力があり、強い力があるのか」
修行者たちの暇つぶしの話は終わることがなかったのです。
お釈迦様は、夕刻時に瞑想から覚められて、奉仕堂のあるところに近づいて坐り、修行者たちに語りかけました。
「ビクたちよ、どのような話のために、集まって坐っているのですか。どんな話を続けていたのですか。暇つぶしの話とは、どのようなものですか」
「尊き方よ、食事のあと、托鉢から戻り、奉仕堂に集まって坐っている、わたしたちに、この暇つぶしの話が起こりました。『マガダ国のセーニヤ・ビンビサーラ王とコーサラ国のパセーナディ王どちらの王が財産があり、財物があり、蔵があり、領土があり、戦車があり、軍隊があり、権力があり、強い力があるのか』と、尊き方よ、わたしたちの暇つぶしの話です。そのとき世尊がおいでになったのです」と。
「ビクたちよ、良家の子息たちとして、信によって家を捨て出家したあなたたちにとって、ふさわしいことではありません。あなたたちが集まったときに、二つのなすべきことがあります。
法(教え)の話であるか、聖なる沈黙の状態であるかです」
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
この世における欲望の安楽も
天におけるこの安楽も
渇愛のつきた安楽の
十六分の一にも値しない(14)
以上が第二の経となる。
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ビク達は話し合っていたのです。
テーマは 「マガダ国のセーニャビンビサーラ王とコーサラ国のパセナーディ王とではどちらが裕福だろう、どちらの方が財産は多いだろう」などなど
お釈迦様の答え:この話は出家に相応 ふさわしくない。
ビクが集まった時は、
dhammī vā kathā ariyo vā tuṇhībhāvo.
真理について語るか、聖なる沈黙を行うか、
どちらかにするべきなのです。
「どちらがより豊かで贅沢に過ごしているのでしょうかという題なので、幸福を決める基準が必要になります。」
それについて、お釈迦様は偈を唱えます。
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Yañca kāmasukhaṃ loke,
世間での欲望の楽しみは
yañcidaṃ diviyaṃ sukhaṃ;
さらには天での楽しみは
Taṇhakkhayasukhassete,
渇愛を滅する安楽の
kalaṃ nāgghanti soḷasiṃ”ti.
十六分の一にも値しない
解 説
Yañca kāmasukhaṃ loke,
この世における欲望の安楽も
yañcidaṃ diviyaṃ sukhaṃ;
天におけるこの安楽も
*何かに依存することで幸福を感じるます
*幸福度は、以前感じた不安・不満に(対して)対照的に感じる楽です。
Taṇhakkhayasukhassete,
渇愛のつきた安楽の
*幸福にしていても、より幸福だと思われる人に会うと、自分の幸福感が
消えます
*依存する人も、依存の対象も変化するので、幸福は安定しません
*俗世間では幸福を感じることがあっても、満足できません
kalaṃ nāgghanti soḷasiṃ”ti.
十六分の一にも値しない
*何かを得ることで、何かに依存することで、何かに頼って幸福を感じま
す
*しかし、渇愛を滅尽することで、こころは何にも依存しない状態に達す
るので、究極の幸福を感じます
2.3 棒の経(13)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園にて、大勢の少年がサーヴァッティーとジェータ林とのあいだの道で、棒で蛇をいじめていたのです。お釈迦様は、朝早くに衣を着て鉢と衣料を手にとってサーヴァッティーに托鉢のために入り、大勢の少年が、サーヴァッティーとジェータ林との中途で、棒で蛇をいじめているのを見て
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナ唱えました
幸福を求める生きものを
棒で傷めつけて
自分の幸福を願う者が
この世を去ってのち、来世で幸福を得ることはない。
幸福を求める生きものを
棒で傷めつけることなく
自分の幸福を願う者は
この世を去ってのち、来世で幸福を得る(16)
以上が第三の経となる。
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子供達の行為を見たお釈迦様は解脱の安穏を思い出したので、歓喜の偈、二つを歌ったのです。一つ目の偈で幸福から後退する道と、二つ目の偈は正道を語ります。
二つの詩が対になってつづられています
業(カルマ)のことを詩っているのですが、同時に因と果、つまり縁起の詩です
二つの偈は、意味は単純なようにみえますが、一般的な道徳と同時に真理を示す言葉でもあるので、ウダーナにお釈迦様の言葉として入れてあります。
日常のできごとを、あたりまえの道理で語っているように思えますが、ここで語ろうとしていることは、深遠な業と縁起の道理です
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Sukhakāmāni bhūtāni,
楽しみを欲する生物を
yo daṇḍena vihiṃsati;
棒で害するなら
Attano sukhamesāno,
自己の安楽を求めつつ
pecca so na labhate sukhaṃ”ti.
死後の彼は、安楽を得られない
Sukhakāmāni bhūtāni,
楽しみを欲する生物を
yo daṇḍena na hiṃsati;
棒で害さないなら
Attano sukhamesāno,
自己の安楽を求めつつ
pecca so labhate sukhaṃ”ti.
死後の彼は、安楽を得る
解 説
Sukhakāmāni bhūtāni,
幸福を求める生きものを
yo daṇḍena vihiṃsati;
棒で傷めつけて
*蛇は怖い。殺した方が良いと思い、蛇を虐めることは子供達の幸福・安
全対策で、これは一つの生命の幸福のために、別な生命が不幸になるべき、という理論です
Attano sukhamesāno,
自分の幸福を願う者が
*一方的に自分の安楽を求める人のこと
*一時的な安全(生存欲・渇愛)に目が眩んでいるのです。
pecca so na labhate sukhaṃ”ti.
この世を去ってのち、来世で幸福を得ることはない。
*しかし、「与えたものを獲得する」という業の法則によって、これは
「後に不幸を招く」行為です
Sukhakāmāni bhūtāni,
幸福を求める生きものを
*生命は幸福・楽しみ・安らぎを目指して努力し、苦しみを無くす努力を
している
*しかし、幸福になったことも、安らぎに達したことも、苦を無くしたこ
ともないのです。
*逆に自分の努力の結果、苦が増して行くのです
*方法・道は間違っているに違いありませんが、歩む道が間違っている
ことに気づきません
yo daṇḍena na hiṃsati;
棒で傷めつけることなく
Attano sukhamesāno,
自分の幸福を願う者は
*慈悲により、すべての生命の幸福を願う人
pecca so labhate sukhaṃ”ti.
この世を去ってのち、来世で幸福を得る
*苦しみを乗り越えるために、お釈迦様は正道を示したのです
*しかし、理性のある人でないと理解できません。仮に理解しても、実行
してみる気にはなりません。
2.4 尊敬の経(14)
このように、わたしは聞きました
あるとき、お釈迦様はサーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、お釈迦様は人々から尊敬され、重んじられ、慕われ、捧げられ、うやまわれ、衣料や飲食物や寝具や薬を得ていた。
修行者の僧団も人々から尊敬され、重んじられ、慕われ、捧げられ、うやまわれ、衣料や飲食物や寝具や薬を得ていた。
異教の遊行者たちは人々から尊敬されず、重んじられず、慕われず、捧げられず、うやまわれず、衣料や飲食物や寝具や薬を得られなかった。
異教の遊行者たちは、お釈迦様への人々の尊敬を耐えられずに、修行者の僧団への人々の尊敬を耐えられずに村でも林でも修行者を見ては粗暴な言葉でもって、ののしり、ひぼうし、悩ませ、困らせていました。
大勢の修行者は、お釈迦様のところに行き、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐り、お釈迦様に、こう申し上げた。
「尊き方よ、世尊は人々から尊敬され、重んじられ、慕われ、捧げられ、うやまわれ、衣料や飲食物や寝具や薬を得ています。修行者の僧団も人々から尊敬され、重んじられ、思慕され、捧げられ、うやまわれ、衣料や飲食物や寝具や薬を得ています。異教の遊行者たちは人々から尊敬されず、重んじられず、慕われず、捧られず、うやまわれず、衣料や飲食物や寝具や薬を得られないでいます。
尊き方よ、異教の遊行者は、お釈迦様への人々の尊敬を耐えられずに、修行者の僧団への人々の尊敬を耐えられずに、村でも、林でも、修行者を見ては、粗暴な言葉でもって、ののしり、ひぼうし、悩ませ、困らせます」と。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
森であろうと、林であろうと、苦楽に触れたなら
それを自分に由来するとも他人に由来するとも思ってはならない
苦楽を感じるのは執着による
執着がなければ何によって苦楽を感じることが起こるであろうか
(17) 以上が第四の経となる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Gāme araññe sukhadukkhaphuṭṭho,
村や林で、楽・苦を感じたなら
Nevattato no parato dahetha
自己からでなく他者からでもなくと定める
Phusanti phassā upadhiṃ paṭicca,
拠り所を縁として、触れることを感じる
Nirūpadhiṃ kena phuseyyu phassā’’ti
拠り所がないものは、なにに触れることを感じるのか
解 説
Gāme araññe sukhadukkhaphuṭṭho,
森であろうと、林であろうと、苦楽に触れたなら
*色々な悩み苦しみに人間と言うのは何処でも遭遇します。その時はどう
しましょうかということです。
Nevattato no parato dahetha;
それを自分に由来するとも他人に由来するとも思ってはならない
*例:あの人が私を罵(ののし)った。
*「あの人が」とは「他」ですね。「他人がいる」とみなすことです。
*「私を」とは「自分」ですね。 「自分がいる」とみなすことです。
Phusanti phassā upadhiṃ paṭicca,
苦楽を感じるのは執着による
*Upadhi (拠り所)とは、色・声・香・味・触・法という情報を受け入
れる準備をして構えていることです。要するに「執着」のことです。
*執着を縁にして、苦楽に触れる(感じる)ということです
Nirūpadhiṃ kena phuseyyu phassā’’ti,
執着がなければ何によって苦楽を感じることが起こるであろうか
*執着がなければ、苦楽は感じないということです
*聖者は情報に依存しないで。頼らないで流せる。一切は無常なので執着
する必要はありません。
*私がいるという実感から解放された人に、他がいるという気持ちもな
いのです。
*罵られることがあっても、それは、ただ「耳に触れる音」だけです。
音は無常です。
*こころは動揺しないので、動揺は不可能です。
2.5 在俗の信者の経(15)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園にて、あるひとりのイッチャーナンガラ村の在俗の信者がサーヴァッティーに着いたのです。用事があってその在俗の信者は、サーヴァッティーでその用事を済ませて、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐りました。その在俗の信者にお釈迦様は、こう話しかけた。
「あなたは長い時間かかって、ここにやってきたのですね。」
「尊き方よ、わたしは長いあいだかけて、世尊にお目にかかるため参りました。
あれやこれやと用事があり、多忙でありまして、わたしは世尊にお目にかかることが出来ませんでした
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
人々は人々に執着している
所有物がある人々は悩み苦しみに陥っている
真理をよく学んで見極めている人には
何一つの所有物からも楽しみは感じない(18)
以上が第五の経となる。
(日本語訳は趣旨を明確にするために順番を変えています)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「長い時間かかって来たのですね」と声をかけた、お釈迦様
「用事があり、多忙であってお会いできませんでした」と話した、一般の信者さん
こんな会話は毎日どこかで交わされているでしょう、今日もあったかもしれませんし、
二千六百年前のお釈迦様の時代も同じというお話
次の2-6 とは対になっている内容です
世間の人々が、束縛、執着、義務、用事などで忙しいことがあることで充実感・喜びを感じるが、聖者には何一つも喜びの対象ではありません、このことを前提に読んでください。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Sukhaṃ vata tassa na hoti kiñci,
何であれ所有物から楽はない
Saṅkhātadhammassa bahussutassa;
法をよく学びよく聞く人には
Sakiñcanaṃ passa vihaññamānaṃ,
もの持つ人を見よ、害われている
Jano janasmiṃ paṭibandharūpo’’ti.
人は人の存在や関係に縛られている
解 説
Sukhaṃ vata tassa na hoti kiñci,
所有物がある人々は悩み苦しみに陥っている
Saṅkhātadhammassa bahussutassa;
真理をよく学んで見極めている人には
*Saṅkhātadhammassa
*Dhamma とは、法、真理、現象となります。
*Saṅkhāta とは、ありのままに観察して見極めていること。
*法、真理、現象を見極めていることです。
*bahussutassa
*学識があること。この場合は真理を学んでいることです。
Sakiñcanaṃ passa vihaññamānaṃ,
何一つの所有物からも楽しみは感じない
*Sakiñcanaṃ
*自分に色々用事あること。やるべきことがある。所有するものがあると
いう意味で使います。
*vihaññamānaṃ
*悩んでいる、困っている、 苦しんでいる。特に精神的な悩みです。
Jano janasmiṃ paṭibandharūpo’’ti.
人々は人々に執着(愛着)している
*人は人に結ばれている。束縛されていること。
*人は無執着を嫌がり、関係を築く(世間とつながる)ことは成功だと思
うという意味
この詩のポイントは、世間は結び、関係、束縛、執着などから楽しみ・幸福・成功を期待するが、それこそが悩み、苦しみの種であると知らない。気づいても無視する。ということです
2.6 妊婦の経(16)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園に、妊婦で臨月の若く幼い夫人の女性遊行者(妊婦)は、夫の遊行者に、こう言った。
「あなた、油を持ってきてくださいな、お産をするのに必要ですから」
このように言われたとき、その遊行者はその女性遊行者に、
「愛しい人よ、どこから油を持ってくるのだい」
「あなた、油を持ってきてくださいな、お産をするのに必要ですから」
二度また、その遊行者はその女性遊行者に、こう言ったのです。
「愛しい人よ、ではどこから油を持ってくるのだい」
三度また、その女性遊行者は、その遊行者に、こう言ったのです。
「あなた、油を持ってきてくださいな、お産をするのに必要ですから」
コーサラ国のパセーナディ王の貯蔵庫では、修行者やバラモンのために、バターや油を、運び出すことはできませんが、飲むことが許されています。
そこで、その遊行者は、
「コーサラ国のパセーナディ王の貯蔵庫では、修行者やバラモンのために、バターや油を、運び出すことはできないが、飲むことが許されている。それなら、お産のために必要だからコーサラ国のパセーナディ王の貯蔵庫に行って、油を飲んで家に帰って、吐き出して与えよう」
その遊行者は、コーサラ国のパセーナディ王の貯蔵庫に行って油を、飲んで家に帰って、飲んだ油を吐き出すもできないし、下すこともできずに強く激しく辛い苦痛におそわれ、ころがり回り、のたうち回った。
お釈迦様は、朝早くに衣を着て鉢と衣料を取って、サーヴァッティーに托鉢に入りました。お釈迦様は、その遊行者が強くて荒激しく辛い苦痛におそわれ、ころがり回りのたうち回っているのを見ました。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
生命には本来、所有物がないことを知っている人に、
所有物がないことは安楽です
所有物があると思う人の苦悩を見よう
人は人に束縛されているのです(19)
以上が第六の経となる。
(日本語訳は趣旨を明確にするために順番を変えています)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Sukhino vata ye akiñcanā,
なにものも持たない人は、楽である
Vedaguno hi janā akiñcanā;
なにも持たない人は、真の知を得ている
Sakiñcanaṃ passa vihaññamānaṃ,
もの持つ人を見よ、害われている
Jano janasmiṃ paṭibandharūpo’’ti.
人は人の存在や関係に縛られている
解 説
Sukhino vata ye akiñcanā,
所有物がないことは安楽です
*akiñcanā
*2-5教のna hoti kiñci,は、なにものも(kiñci)存在(hoti)しない
(na)、という意味です。
Vedaguno hi janā akiñcanā;
生命には本来所有物がないことを知っている人に
*akiñcanāは、なにものも(kiñci)ない(aとは否定詞)、ということで、
akiñcanāは、私はない、という意味になります。つまり無我です
Sakiñcanaṃ passa vihaññamānaṃ,
所有物があると思う人の苦悩を見よう
*Sakiñcanaṃ 所有物があると思う人とは、私を持つ人と、所有するもの
がある・自分に色々用事あること・やるべきことがある・という二つの
意味があります
Jano janasmiṃ paṭibandharūpo’’ti.
人は人に束縛されているのです
2-5教は在家が2-6は行者(出家者)の物語になっています。
二つのお経は、似たように見えますが、異なる内容です
2.7 独り子の経(17)
このようにわたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、ひとりの在俗の信者の、愛しく可愛いい一人子が命を終えたのです。
そこで大勢の在俗の信者が、濡れた衣、濡れた髪で、朝早くから、お釈迦様のところにやってきて、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐り、それらの在俗の信者たちに、お釈迦様はこう声をかけられた。
「どうしてあなたたちは、濡れた衣、濡れた髪で、朝も早くからやって来たのですか」
このように言われたとき、その在俗の信者は、お釈迦様に申し上げた。
「尊き方よ、わたしの愛しく可愛い一人子が命を終えたのです。それで、わたしたちは、濡れた衣、濡れた髪で、朝も早くからやって来たのです」
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
神々人間が可愛い姿に夢中になる
病と老いるという領域を持つ死王に抑えられる
可愛い対象の病と老いで悩む
可愛がる主体が 病と老いで悩む
昼も夜も
不放逸に可愛いと思われる対象を棄てるならば
その人は悩みの元を
乗り越えがたい死王の対象を取り除く(21)
以上が第七の経となる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
独り子を無くした悲痛な人がお釈迦様をのもとにやってきたお話
この時代のインドでは悲しみが癒えない間は、濡れた衣、濡れた髪のまま過ごすという風習がありました
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Piyarūpassādagadhitāse,
可愛い姿に縛られて
Devakāyā puthu manussā ca;
天の神々も多くの人々も
Aghāvino parijunnā,
苦しみ老いで悩み
Maccurājassa vasaṃ gacchanti”ti.
死神のもとに行く
Ye ve divā ca ratto ca,
昼も夜も
Appamattā jahanti piyarūpaṃ;
怠らず可愛い姿を捨てるなら
Te ve khaṇanti aghamūlaṃ,
苦悩の根を掘り出す
Maccuno āmisaṃ durativattan’’ti.
乗り越えがたい死神の利益を
解 説
Piyarūpassādagadhitāse,
可愛い姿に夢中になる
*心が縛られた人のこと
*Piyarūpa(可愛い姿)は、自我が生まれるのと同じ仕組みで生まれます
*このPiyarūpa(可愛い姿)のしくみを見てとっているのが聖者です。
*この一言が悟りの世界を暗示しています
Devakāyā puthu manussā ca;
神々人間が、可愛い対象の病と老いで悩む
*可愛い対象とは、例えば子供、親、兄弟など
Aghāvino parijunnā,
可愛がる主体が 病と老いで悩む
*可愛がる主体とは、自分自身や眼、鼻などの自分の肉体など
Maccurājassa vasaṃ gacchanti”ti.
病と老いるという領域を持つ死王に抑えられる
*病になり、老いて、死んで、生まれて、というサイクルのこと
*輪廻転生を表している
Ye ve divā ca ratto ca,
昼も夜も
Appamattā jahanti piyarūpaṃ;
不放逸に可愛いと思われる対象を棄てるならば
*昼も夜も怠らず修行すればということ
Te ve khaṇanti aghamūlaṃ,
その人は悩みの元を
*aghamūlaṃ悩みの元
*輪廻の苦の根源、放逸、
*khaṇanti取り除く
*根絶すること
Maccuno āmisaṃ durativattan’’ti.
乗り越えがたい死王の対象を取り除く
*durativattan乗り越えがたい
*それよりも外に逃げもどることが出来ない
*Maccuno āmisaṃ死王の対象
*死神の餌とも言われる、苦の根源のこと
この詩も縁起の形で詩われています
2.8 スッパヴァーサーの経(18)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、クンディカーに住んでおられた。
クンダダーナ林で、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーが七年のあいだお腹に子供がいた、お産は七日掛かり、強烈な辛い苦痛におそわれたが、三つのことを考えて耐えていたのです。
「世尊は正しく目覚めた者です。この苦しみを捨てるために法(教え)を説き示すお方」
「世尊の弟子の僧団は善き修行者です。この苦しみを捨てるために道の修行者として正しく歩んでいるのです」
「涅槃は安楽です。そこではこの苦しみがまったくないのです」
コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、主人に語りかけました。
「あなた、世尊のおられるところで、世尊の足に額をあててご挨拶(あいさつ)してくださいませ。
病苦、病悩少なく、軽やかで、お元気で、平穏にお暮らしであるかを伺ってください。『尊き方よ、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、世尊の足に額をあててご挨拶(あいさつ)します。病苦、病悩少なく、軽やかで、お元気で、平穏にお暮らしであるかを尋ねます』と、お伝えください。
『尊き方よ、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、七年のあいだ、お腹に子供がいた、お産は七日掛かり、強烈な辛い苦痛におそわれておりますが、三つのことを考えて耐えていたのです。
世尊は正しく目覚めた者です。この苦しみを捨てるために法(教え)を説き示すお方
世尊の弟子の僧団は善き修行者です。この苦しみを捨てるために道の修行者として正しく歩んでいるのです
涅槃は安楽です。そこではこの苦しみがまったくないのです』」
「すばらしい」と、コーリヤ族の子息(夫)は、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーに答えて、お釈迦様のおられるところへ出かけ、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐りコーリヤ族の子息は、お釈迦様に申し上げました
「尊き方よ、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、世尊の足に、額をあててご挨拶して、病苦、病悩少なく、軽やかで、お元気で、平穏にお暮らしであるかを、おたずねします。
尊き方よ、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、七年のあいだ、お腹に子供がいた、お産は七日掛かり、強烈な辛い苦痛におそわれておりますが、三つのことを考えて耐えております。
『世尊は正しく目覚めた者です。この苦しみを捨てるために法(教え)を説き示すお方』
『世尊の弟子の僧団は善き修行者です。この苦しみを捨てるために道の修行者として正しく歩んでいるのです』」
『涅槃は安楽です。そこではこの苦しみがまったくないのです』」
お釈迦様はこのように語り掛けました
「コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、安らかになることを、健やかなることを、健やかな子供を産むことを」
お釈迦様のこの言葉と共に、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、安らかとなり、健やかとなり、健やかな子供を産みました。
「尊き方よ、そのとおりです」と、そのコーリヤ族の子息は、お釈迦様が語ったことを喜び感謝して、坐から立ち上がって、お釈迦様をうやまい、拝み、自分の家に戻りました。
コーリヤ族の子息は、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーが、安らかとなり、健やかとなり、健やかな子供を産んだのを見てこう思ったのです。
「ああ、めったにないことだ。ああ、はじめてのことだ。悟った方の偉大なる神通だ、偉大なる強い力だ。このコーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、世尊の言葉と共に、安らかとなり、健やかとなり、健やかな子供を産んだ」
大きな喜びに浸り気持ちを新たにして、コーリヤ族の子女のスッパヴァーサーは、主人に語りかけました。
「あなた、世尊のところに出かけて、世尊の足に額をつけて尊敬にご挨拶(あいさつ)し。お伝えください。
『尊き方よ、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、世尊の足に額をつけてご挨拶(あいさつ)します』
そして、『尊き方よ、コーリヤ族の子女のスッパヴァーサーは、七年あいだ、胎児を宿し、七日の難産でしたが、安らかとなり、健やかとなり、健やかな子供を産みました。七日のあいだ、覚者とビク衆を食事にお招きいたします。尊き方よ、どうかコーリヤ族の子女のスッパヴァーサーの七日の食事を、ビク衆と共にお受けください』」
「すばらしい」と、そのコーリヤ族の子息は、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーに答えて、お釈迦様のところに出かけ、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらの座り、コーリヤ族の子息は、お釈迦様に、こう申し上げた。 「尊き方よ、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、世尊の足に額をあててご挨拶して、『尊き方よ、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、七年のあいだ、胎児を宿し、七日の難産でしたが、安らかとなり、健やかとなり、健やかな子供を産みました、七日のあいだ、覚者とビク衆を、食事にお招きいたします。尊き方よ、どうか、コーリヤ族の子女のスッパヴァーサーの七日の食事をビク衆と共にお受けください』」
同じころ、ある在俗の信者が、覚者とビク衆を、明日の食事に招いていました。その在俗の信者は尊者マハーモッガッラーナの世話係なのです。
お釈迦さまは、尊者マハーモッガッラーナに語りかけました。
「モッガッラーナよ、その在俗の信者に『友よ、コーリヤ族の子女のスッパヴァーサーは、七年のあいだ、胎児を宿し、七日の難産でしたが、安らかとなり、健やかとなり、健やかな子供を産みました。七日のあいだ、覚者とビク衆を、食事に招いたので。コーリヤ族の子女スッパヴァーサーから、七日の食事を受け取ります。あなたは、そのあとにしましょう』
「尊き方よ、わかりました」と、尊者マハーモッガッラーナは、お釈迦様に答えて、その在俗の信者のいるところに行き、「友よ、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、七年のあいだ、胎児を宿し、七日の難産でしたが、安らかとなり、健やかとなり、健やかな子供を産みました。七日のあいだ、覚者とビク衆を食事に招いたので。コーリヤ族の子女スッパヴァーサーから、七日の食事を受け取ります。あなたは、そのあとにしましょう」
「尊き方よ、尊いマハーモッガッラーナさまが、財産と、生命と、信頼と、三つの宝を願って頂けるなら、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーからの、七日の食事の後に。わたしは、食事をお布施しましょう」
「友よ、わたしは、財物と、生命と、二つの法宝を願いましょう。ですが信頼は、あなたこそが信頼なのです」
「尊き方よ、マハーモッガッラーナさまが、財産と、生命と、二つ宝を願って頂けるなら、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーに、七日の食事を、お布施してもらいます。わたしは、そのあとにしましょう」
尊者マハーモッガッラーナは、その在俗の信者を説得して、お釈迦様のところに行き
「尊き方よ、在俗の信者は、わたしが説得いたしました。コーリヤ族の子女スッパヴァーサーに、七日の食事をしてもらいます、そのあとにしましょう」
コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、七日のあいだ、覚者とビク衆を、おいしい固い食料や軟らかい食料で満足させ、自らの手で給仕し、その幼児に、お釈迦様やビク衆の全てに礼拝させた。
尊者サーリプッタは、その幼児に「坊や、ここはどうだい、健やかかい、苦しいことはないかな」
「尊きサーリプッタさま、どうして、ここがいいでしょう。どうして、健やかなのでしょう。七年のあいだ血の釜(子宮)のなかで過ごしたのです」
コーリヤ族の子女スッパヴァーサーは、「わたしの子供が、法(教え)の軍団長サーリプッタ長老を相手に語りかけている」と、大きな喜びに浸ったのです。
お釈迦様は、コーリヤ族の子女スッパヴァーサーが、大きな喜びに浸ったのを知って、コーリヤ族子女スッパヴァーサーに、話しかけた
「スッパヴァーサーさん、このような子供をもっとほしいですか」
「世尊よ、このような、かしこい子供を七人ほしゅうございます」
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
不快なことを快いものとして
喜べないことを喜ばしいものとして
苦なることを楽なるものとして、打ちのめされる人は
怠りある生活に、打ちのめされている(22)
以上が第八の経となる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
七年間も宿した胎児を苦痛に満ちた難産の末に出産した、その子の母は、わが子が生まれて直ぐに智慧の優れたサーリプトラ尊者と話す利発な子供であると解り喜んだお話
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Asātaṃ sātarūpena,
不快なことを快いものとして
piyarūpena appiyaṃ;
喜べないことを喜ばしいものとして
dukkhaṃ sukhassa rūpena,
苦なることを楽なるものとして
pamattamativattatī”ti.
怠りあることを超える
喜ばしいと思われても、聖者(お釈迦様)の眼で観ると別な側面が観える、という詩
長い間のお産の苦しみを忘れて、利発な子供と解ったら、本来苦しい長いお産のことは忘れて、もっと子供が欲しいと願う、このことは、聖者から見れば長く苦しいものごとが、世間では逆に美談に感じられるという物語です。
①不快・喜べない・苦なること
聖者の見方では、無常を正しく表しています
②快い・快い・楽なるもの
聖者の見方では、無常を正しくなく、つまり常住として表しています
①は仏教的なものの見方、②は俗世間のものの見方です、詳しくは2.10 バッディヤの経を参照ください。
コーリヤ国はお釈迦様の実母マーヤー夫人(摩耶夫人)と育ての親マハーパジャーパティー(摩耶夫人の妹)の実家です。二人とも王女、もしくは貴族です。正妃ヤショーダラー姫はやはりコーリヤ国の王女で、お釈迦様の母方の従妹でした(摩耶夫人の兄弟の娘)。すなわちスッパヴァーサーはお釈迦様の親戚です。多分ヤショーダラー姫の姪くらいにあたる女性であったはずです。彼女はお釈迦さまを非常に尊敬していました。
2.9 ヴィサーカーの経
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦さまは、サーヴァッティーに住んでおられた。
東の聖園にあるミガーラ・マートゥの高楼(鹿母講堂:ミガーラの母のヴィサーカーが寄進した堂舎)で、コーサラ国のパセーナディ王が、ミガーラの母のヴィサーカーの願いに、応じてくれなかった。
ミガーラの母のヴィサーカーは、朝早くから、お釈迦様のところに行き、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐わった。
ミガーラの母のヴィサーカーに、お釈迦さまは、こう語りかけた。
「ヴィサーカーさん、なぜ朝早くからやってきたのですか」
「尊き方よ、コーサラ国のパセーナディ王は、わたしの願いに応じてくれませんでした。」
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナ唱えました
他人に頼ることは、すべて苦である
自ら決めることは、すべて安楽である
共通の決まりに、打ちのめされる
束縛に打ち克つのは、難しい(23)
以上が第九の経となる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Sabbaṃ paravasaṃ dukkhaṃ,
他人に頼ることは、すべて苦である
Sabbaṃ issariyaṃ sukhaṃ;
自ら決めることは、すべて安楽である
Sādhāraṇe vihaññanti,
共通に、打ちのめされる
Yogā hi duratikkamā”ti..
もろもろの束縛は、越えがたい
解 説
Sabbaṃ paravasaṃ dukkhaṃ,
他人に頼ることは、すべて苦である
*楽しみを求める為にはテレビを見る、人付き合いなど、なんらかの形で
世間(社会)とつながることです、それは他人に頼るということです。
Sabbaṃ issariyaṃ sukhaṃ;
自ら決めることは、すべて安楽である
*仏道とは、他人に頼らずに、楽しみを見つけることです、それは私とい
う錯覚をなくす道です、つまり、自ら決めることです
Sādhāraṇe vihaññanti,
共通の決まりに、打ちのめされる
*Sādhāraṇeとは、裁判をすることです、当時のインドの王の務めの一つ
は、裁判を行うこと、当時の裁判は、力の強い者が有利で公平を保つの
が難しい場所だったのです。
*世間の人々は、不公平に、打ちのめされるという意味
Yogā hi duratikkamā’’ti.
束縛に打ち克つのは、難しい
*Yogāは結ぶ、世間とのつながりいう意味
ストーリーのヴィサーカ夫人は世間では有能な、顔の広い、一見幸福な人物です、その状況を見ての、聖者であるお釈迦様のウダーナです
ウダーナという経典は、このように聖者の心を集めた経典です。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
伝 記
ヴィサーカー
幾多の女性信者のうちで特筆すべき、「ミガーラの母ヴイサーカー」。彼女は教団に布施し、世話をした人々のうちでも最上の女人と呼ばれている。彼女は理想的な女人と仰がれていた。
東方のアッガ国のバッディヤ市のダナンジャヤ長者の子であった。七歳のときお釈迦様がこの地を訪れたので、お釈迦様から親しく教えを聞き、すぐさまあるさとりの境地(預流果)に達したという。
そのうち一家はコーサラ国のサーケークに移り住んだが、彼女は、髪の毛も、唇も、歯も、容色も美しく、青春の若さを身に兼ね備えていたので、この地の長者であるミガーラの息子プッナヴァッダナと結婚した。
結婚式にあたって舅ミガーラは裸形外道(ジャイナ教の修行者たちか?)を招待しようとしたが、彼女はこれをしりぞけて、舅(しゅうと)をついに仏教の信仰に帰依させた。お釈迦様に帰依するにいたったミガーラは、喜んで、
このように信仰に導いてくれたそなたは、今日から、わが母である。といった。家族一同もお釈迦様に帰依するにいたった。
世問の人々も彼女を「ミガーラの母」と呼んだ。
彼女は布施につとめたということで有名で。一日に五百人のビクに供養したという。
終生在俗仁女として身を終えたが、強大な経済力を有していた。
サーヴァッティー市の東門の外に東園と名づけられる林園があったが、そこにヴェサーカー夫人は、九億金を投じてその上地を買い、また九億金を投じて精舎を建てた。また他の伝えによると、二十七億金を投じて、東園精舎を建立したという。
鹿子母の建てた精舎は、サーヴァティー市の東方にあったので、東の精舎と呼ばれた。南方にあったスダッタ長者(アナータピィンティカ)の寄進した祇園精舎とともに、コーサラ国でのお釈迦様の二大根拠地となった。
パセーナディ王
ブラフマダッタ、もしくはマハーコーサラ前王の子といわれる。タキシラに学んだのち王位に就く。お釈迦様の成道年に即位したという。実妹のコーサラ・デーヴィーをマガダ国のビンビサーラ王に嫁がせてカーシー国を持参金とした。マガダ国と並ぶ中インドの2大強国の王。
妃や子供の名前は仏典によって差異があり一致しない。複数の妃がいたとも考えられ、マッリカー夫人(ウダーナ5-1経)は第二妃とも、第一妃とも言われる。王子がいたが、中でもジェータ太子とヴィドゥーダバ太子の2人が有名。ジェータ太子は自身が所有する林園をスダッタ長者(アナータピンディカ)に譲って祇園精舎が建てられたことで知られる。
2.10 バッディヤの経(20)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、アヌピヤーに住んでおられた。
郊外のマンゴーの果樹園で、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤが、林にいても、木の根元にいても、人気のない土地にいっても、「ああ、楽しい」「ああ、実に楽しい」と、喜びの言葉を唱えたのです。
大勢の修行者は、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤが、林に行き、木の根元にいっても、人気のない土地にいっても、「ああ、楽しい」「ああ、実に楽しい」と、喜びの言葉を唱えているのを耳にしてこう思った。
「友よ、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤは、いまは喜ぶことなく、清浄行を歩んでいる、昔、王様であった時の楽しみを、思い浮かべて、林にいても、木の根元いても、人気のない土地にいても、『ああ、楽しい』『ああ、実に楽しい』と、喜びの言葉を唱えたのだ」
そこで修行者たちは、お釈迦様のところに近づき、ご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐りました。修行者たちはお釈迦さまに、こう申し上げた。
「尊き方よ、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤは、林にいても、木の根元にいても、人気のない土地にいても、『ああ、楽しい』『ああ、実に楽しい』と、喜びの言葉を唱えています、尊き方よ、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤは、いまは喜ぶことなく、清浄行を歩んでいます。昔、王様であった時の楽しみを、思い浮かべながら、林にいても、木の根元にいても、人気のない土地にいても、『ああ、楽しい』『ああ、実に楽しい』と、喜びの言葉を唱えています」
お釈迦様は、修行者に語りかけました。
「ビクよ、わたしの言葉を、バッディヤビクに伝えなさい『友よ、バッディヤよ、教師が、呼んでいますと』」
「尊き方よ、わかりました」と、答えて、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤに、「友よ、バッディヤよ、教師が呼んでいます」と
「友よ、わかりました」と、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤは、答えて、お釈迦様のおられるところに行き、ご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐りました」。カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤに、お釈迦さまは語りかけた。
「バッディヤよ、あなたは、林にいても、木の根元にいても、人気のない土地にいても、『ああ、楽しい』『ああ、実に楽しい』と、喜びの言葉を唱えたのですか」
「尊き方よ、そのとおりです」
「バッディヤよ、どのような理由で、林にいても、木の根元にいても、人気のない土地にいても、何度となく、『ああ、楽しい』『ああ、実に楽しい』と、喜びの言葉を唱えたのですか」
「尊き方よ、わたしが、昔、在家であったときには、王として権力をふるい、宮殿の内側の守護も、宮殿の外の守護も、城市の内の守護も、城市の外の守護も、地方の内の守護も、地方の外の守護はしっかりとしていました。
尊き方よ、このように守護され、保護されていたのですが、疲れ、恐れ、怯え、疑い深く、恐れおののき、住んでいました。尊き方よ、わたしは林にいっても、木の根元にいっても、人気のない土地にいっても、独りでいながら、恐れず、怯えず、疑いなく、恐れなく、安心して、落ち着いていて、施しで生活し、鹿のような穏やかな心で住んでいます。
尊き方よ、わたしは、このような理由で、林にいても、木の根元にいても、人気のない土地にいても、『ああ、楽しい』『ああ、実に楽しい』と、喜びの言葉を唱えていたのです」
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
心の中に怒りが生じていない
こうである、こうでないが消えた人であり
もし恐怖がない、安楽で、憂いなく、悲しくない、状態になるなら
たとえ神々でさえそういう人々にアクセスできない(24)
以上が第十の経となる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
Bhaddiya 尊者は在家の時、王子でした。 厳しい警備の中で生活していて、常に不安と怯えを感じていた暮らしでした。
今は、出家して、独りで森に住んでいて、どこにいても、「安らぎだ、安らぎだ」と歓声の言葉を言うのです。
長老が、元の贅沢な生き方に未練を感じ、還俗(げんぞく)する意があるみたいと他のビク達に疑われる。
ビク達はお釈迦様に報告し、お釈迦様が Bhaddiya 尊者を呼んで、理由を聞きます。
Bhaddiya 尊者は以前は王であった時は不安で、恐れ、疑い深い日々でしたが、今は、不安も、恐れもなく、安心して暮らしています
師よ、私はこういう理由で 森へ行っても樹の根方へ行っても、人気のない土地へ行っても、常に『楽しい、実に楽しい』とウダーナを発しているのです」
一般的な解説と仏教の見地からの二種類の解説を記載します、2.8スッパヴァーサーの経の解説も兼ねています。
仏教の中心部の解説です、何度でもお読みください。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Yassantarato na santi kopā,
怒りが内側から静まれば
Itibhavābhavatañca vītivatto;
これが有る、これが無いを超え
Tam vigatabhayaṃ sukhiṃ asokaṃ,
恐れを離れ、安楽で、憂いがない
Devā nānubhavanti dassanāyā”ti.
神々さえも見ることはできない
一般的な解説です
Yassantarato na santi kopā,
心の中に怒りが生じていない
*怒りというのは嫌な気持ち、不安も怒りです。おそらくバッディヤ王子
がライバル達に対して怒りを持っていたでしょう。釈迦族では王である
ことを決定してないので、みんな兄弟で親戚だから争いをしなかったの
です。しかし、他の者が人気を得たら自分の立場が下がるという恐れが
あったでしょう。バッディヤ王子は不安なのです。
*このような怒りが、今は静まれば
Itibhavābhavatañca vītivatto;
こうである、こうでないが消えた人であり
*バッディヤ王子の在家のときの気持ちは、バッディヤさんは怒りがなか
ったら王としての仕事が務まらないのです。ライバルを倒さなくてはい
けないのです。自分が殺される恐れがあるからです。
*このような問題をどう解決すればいいのかという不安・心配・迷いがあ
るのです。
*今は、このような気持ちは消えている
Tam vigatabhayaṃ sukhiṃ asokaṃ,
もし恐怖がない、つぎ安楽になって、憂いなく、悲しくない、状態になるならば、
Devā nānubhavanti dassanāyā
たとえ神々でさえそういう人々にアクセスできません。
*もう超えています。
*もし、心が憂いなく、悲しみなく、そういう状態になったならば、もう
神々にさえアクセス不可能。
仏教の見地からの解説です
(1行目の詩)
Yassantarato na santi kopā,
自分の心に怒りがなく静まれば
*antaraというのは自分の心(の働き)です。心はどんな情報にも対立的
に反応しない。もの(認識対象の情報)が眼耳鼻舌身に触れて流れて消
えていく、放っておけば流れるのみになり。
*心が放っておける境地に達していればkopā(怒り)がないと悟りを表現
しています。
*悟った人に私はいませんから、私は消えたのです。眼耳鼻舌身意に色声
香味触法が触れては流れるだけです。
色声香味触法に対して眼耳鼻舌身意が何か考えを持って、策動を持っ
て、固定概念を持って当てようとはしないのです。固定概念を持ってい
ると、好きになるか、嫌いになるかどちらかになるのです。
悟ってない人はいつでもそこで苦しんでいるのです。悟りに達したら
、心は空気のように流れるし、眼耳鼻舌身があって、色声香味触法が流
れていく、眼耳鼻舌身の方で期待はないのです。
だから、私は捏造して、この味だったら食べたい、この味だったら食べ
たくないとか、前もって捏造して(固定概念を)つくっているのだか
ら、その自分の型に合うならば楽しい、型に合わなかったら楽しくな
い、こうして、心は激しく汚れるのです。
つまりYassantarato na santi kopāというのは単純に「怒りがない」って
いうことではないのです。
Antaratoはエネルギーチェーンなのです。
心だけではなくて、眼耳鼻舌身意の6つの流れの間で何も対立が起きな
いということは、言葉にすれば、(「怒りがない」ではなくて)「放っ
ておく境地になりました」となります。
なんで私たちにものごとを放って置けないのかと言うと「私がいる」か
らです
(2行目の詩)
Itibhavābhavatañca vītivatto;
こうである、こうでないを超え
*Itibhavābhava というのは、こうではないか、ああではないかという心の
状態です。
*vītivatto;は超越する、消える
人々は何にしたっても決定的には言えないのです。何故ならば、皆、自分の主観を持っているからです。
一人一人の生命が自分の貪瞋痴でできた型を持っているから、この型で判断するのです。
何事にしても人生も曖昧なのです。
生命はみな、輪廻転生する生命には、これは決定っていうことはないのです。人々は偉そうに決定して生きているようなふりをするのだけども、すべて曖昧で生きているのです。だから、1秒でも人々は「こうですよというふうに決めて落ち着くことはできない」のです。
人々は大まかな事で不安を感じていますが、本当は、瞬間瞬間に不安を感じているのです。ですから、無常を発見しないならば不安は消えません
感じ方が、(情報処理の仕方が)悪い人はすぐ結論に飛びつく、危険です。が何も決定しないで、曖昧、中途半端では、生きられません。生きるためには判断しなくてはいけない、決定しなければいけない。決定しても、それが不安です。正解ではないのです。
悟れば(不安)が心から消えます、瞬間の不安も生まれません。
理由はいたって簡単です。私が消えたからです。これは私がいるからで、自我があるからです。自我がなかったら瞬間の不安は生まれません。
何かについて意見が2つあったら、どちらでも知らないということです。
例えばこういう質問を出しましょう。「人には死後がありますか、ないですか」と質問すると、意見が2つに分かれるのですが、どちらも(正解については)答えられません。
そしてもう一人が「分かりません」と言ったら役に立たない。「分かりません」では決定できません。
そういうふうに科学でも一つも決定していない。どうなるかは分からないのです。だから、一般人には瞬間たりとも安らぎがないのです。自我の錯覚でつくっているのだから、悟ったとは「私はいない」と発見することです。いなかったのですから。発見したら、そこで安らぎが生まれる。
そこで「こうではない、ああではない」が消える。
(3行目の訳)
Tam vigatabhayaṃ sukhiṃ asokaṃ,
恐れを離れ去った安楽で憂いなき人を
*Tamそれ、vigatabhayaṃ恐れがない、sukhiṃ安楽、 asokaṃ憂いがない
*vigatabhayaṃというのは恐怖感がなくなったということです。
悟った人のことで、「存在欲」が消えたという意味です、「存在」がな
い、ということは自分がないだから。六つの流れが流れているだけなので
す。存在欲というのは自分がいるという錯覚があるから生まれるのです。
生きて行きたい、死にたくないと言うためには自分が今いなくてはだめで
す。
人々の恐怖感というのは存在欲から出てくるのです。これはもう避けられ
ない、私が勝手に生きて行きたいと思っても、瞬間、瞬間、死んでいるの
です。瞬間、瞬間、壊れているのです。壊れているのだから恐怖ですよ。
嫌だ、怖いと生きていかなくちゃいけないのです、何故ならばすべて無常
だからです。
悟ったら恐怖は消えます、それで楽になって、憂いがなくなる。憂は期待
から生まれるのです。
フォーマットがあって、型があって、型に合わなかったら憂いが生まれ
る。憂い悲しみと言うのは、我々がどれぐらい強い型を持っているのかと
いうところから生まれるのです。それで型が消えるから憂いはなく、それ
で存在もないから、
(4行目の訳)
Devā nānubhavanti dassanāyā
神の領域も超えている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
伝 記
カーリーゴーダーの子のバッディヤ尊者は、「テーラガーター」というお釈迦様のお弟子さんの言葉を集めた経典に、貴重なことばを残しています、ウダーナ副読本に紹介していますので、ご覧ください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ムチャリンダの章が、第二となる。
その章のための、摂頌となる。
詩偈に言う
「ムチャリンダ、王、棒とともに、尊敬、在俗の信者
とともに 妊婦、独り子、スッパヴァーサー、ヴィサーカー、カーリーゴーダーのバッディヤがあり、それらの十がある」