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醍醐新兵衛の時代に -酒井忠朝の足跡-

曹洞宗慈眼山福聚院燿沢寺。
この山門には謂れがある。

江戸時代初中期に勝山藩が再興されたが、その初代藩主となる酒井忠国の父・忠朝が、岩井袋の奥地にあたる市部村に隠居していた。寛文元年(1661)の出来事だ。酒井忠朝の葬儀は福聚院で営まれ、荼毘に付されたのち遺骨は本領小浜藩に送られた。忠朝の死後、酒井家より屋敷の門が寺に寄進されたのである。

南房総は日差しが強いので、影が濃い。

寛文一二年(1672)、勝山藩が再興され藩主となった酒井忠国は、若狭小浜藩主の奥方の安産祈願をするためという名目で、福聚院に社殿を造営したとされる。

この時代(1661-1672)の初代・醍醐新兵衛は、捕鯨という産業が幕府から重要視された頃の、脂が乗り切った頃のこと。紀州の捕鯨も注目されていたから、酒井家からの代官預かりにするよりは新藩の必要が論じられていた。
江戸湾捕鯨の、最初の完成期にあたる。

「真潮の河」は現在4話。酒井忠朝の市部隠居の件は、3話にて既に触れている。上記の勝山藩再興は11話の予定だから、まだまだ先になる。
房州日日新聞連載作品「真潮の河」。
今後とも御贔屓に。


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