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否定はせぬ

こういうことは、本来、書きたくないのですが……。
都民として、生活を大きく左右されることなので、強いて独り言をつぶやきます。都知事選に立候補したい人の「否定」は、前提として云いません。
ただし人の胸の奥のことまでは、いざしらず。
秘するが花ということで。

公約とは

公開の席や公衆に対して約束すること。また、その約束。特に、選挙で政党または候補者が有権者に約束する政策をいう。当選者が選挙公約に拘束され,実現の努力を行うことは責任政治の重要な構成要素である。

プレゼンテーションとは

プレゼンテーションとは、英語で「表現、提示、紹介」という意味。実体のない広告という商材を売り込むために、いかに顧客を説得するかという目的で広まっていった活動。

ある意味、実体のないものを売り込むという面からいえば、どれも似たようなものだろう。


そういうことから云えば、マスコミがバラエティ番組や週刊誌や無責任な発信媒体で持ち上げる偏向出馬者ヨイショだけで見ても、ハッキリいって
「それ、公約?」
というものが多い。

「〇〇をすることで、東京都民の〇〇を向上させます。そのために、清き一票をお願いします!」

こういうテンプレな口上を、久しく聞いていない気がする。
何かを否定することは立派だ。子供だって、一度は親を疑って大人になるものだ。しかし公約はそんな不確かなものでは、困る。
なぜならば、都知事を選ぶ都民は、その納税による「出資者」であるわけだから、不利益を被る知事を選挙でふりはらうことが出来る。不利益か、有益かを判断できるのは、公約すなわち公衆プレゼンなわけで。
元タレントだとか、元有名人だとか、そういう表看板で選ぶものじゃあないのですよ。

自分の声で

「こうすることで、これを実現します!」


という声を出している人が、どれだけいるのか。
なにかを否定するだけチャンピオンが、選挙の当選条件ではないことを肝に銘じなければいけないと思う。

現状の都政を批判してもいいけど、今の生活に不利益を被っているのかをちゃんと考えたうえで決断したいですね。誰がすげ替わっても大して変わらないことだってあるし、むしろ悪くなることもある。

腹の奥までは公言しませんが、選挙は、選ばれる人も選ぶ人も矜持を試されていると思ってください。私は、そう思っています。思いたくない人には押しつけませんが、一票は、それだけ重いんです。

あくまで私見なので、あしからず。