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萩原タケ考

10月に入りました。21日に劇団き楽座を交えた講演会を予定しております。
テーマは、萩原タケを知って頂こうというもの。

10月の市広報にも載っています。

ここで、萩原タケを振り返りたい。

明治6年(1873)2月7日、五日市にて誕生
明治11年 勧農学校入学
明治24年 女学雑誌通信女学部全科修了
同年    東京産婆学校入学、1年で自主退学
明治26年 日本赤十字社看護婦生徒七期生入学
明治29年 明治三陸大津波被災救護勤務
同年    看護婦生徒卒業、日本赤十字社病院二等看護婦外科室勤務
明治33年 北清事変にあたり病院船弘済丸の看護婦長勤務
明治40年 山内侯爵婦人のパリ随行
同年    届け出により現地研修名目の長期休暇(フランス滞在独学)
明治42年 梨本宮夫妻の海外随行(欧州歴訪)
同年    帰国後 日本赤十字社病院看護婦取締就任
大正9年  ポーランド孤児救済活動の指揮
同年    第一回フローレンスナイチンゲール記章授与
大正10年 日本赤十字社外国語学生取締
大正12年 関東大震災被災救護勤務
昭和9年  アジア初の第15回赤十字国際大会の開催にあたり日本赤十字
      社代表社員就任   
昭和11年(1936)5月27日没、病院葬(看護婦初)

講演のお話を頂いたきっかけは、劇団き楽座がエントリーしていたこと。諸事情で講演スタイルでの発表が望ましいこと。き楽座の舞台「萩原タケ物語」の脚本を夢酔が手掛けたこと。などからです。


あきる野市(旧五日市町)では顕彰事業で胸像を建てておりますが、正直、
「だれ!WHY?」
という人が圧倒的に多かった。

どんなに凄い人だったの?

有り体にいえば、日本人がイメージしていた「白衣の天使」という看護婦像を確立した人。戦前日本で看護婦の教育や意識向上を高め職業婦人の地位を決定した人。そして有事において本当に必要な医療行為のサポートを堅実に務める技を定着させた人と思って頂ければいい。戦前の日本赤十字看護婦の頂点にして、決して驕らず末端に至るまで心を配り、国外の有識者も
「日本のことは知らないけど、スモールハギワラのことは知っている」
くらいの実績を重ねた努力の人です。


明治村に移築された旧日赤病院病棟、麻布にありました


NHKのおかげで、この人を日本のナイチンゲール認定した感がありますが、違う!

新島八重は「篤志看護婦」であり専業ではない。「萩原タケ」は死ぬまで取締監督の座でいた、公私ともに奉職を貫いた人です。


萩原タケが育て上げた看護婦は、およそ二七〇〇余名。
彼女の多くは、その後の大東亜戦争でどのような運命をたどったことでしょうか。あと10年、タケが生きていたら……辛い現実を目の当たりにしたのではないでしょうか。
萩原タケが亡くなったとき、日赤では看護婦として初めての病院葬を催しま
した。これは異例中の異例。国内外からの弔電は数千に及んでます。
取材により、弔辞や式進行、献花や弔電などを日本赤十字社で知り得ましたが、少なくとも教科書に載っている人物や、教えてくれないビッグネームまで名前を連ねております。

このとき弔辞を述べたのが、
日本赤十字社長の公爵・徳川家達
徳川幕府宗家として、世が世なら第16代将軍となる人物でした。

著書「聖女の道標A Japanese Nightingale」において、この場面を描きながら、不覚にも泣きながらという感情移入をしていた事を覚えております。こんな作品は、後にも先にも、これだけです。
タケロスになりそうでしたが、その頃は里見の作品と同時進行でしたから、立ち止まることはありませんでした。

 午後五時三〇分、主催者より秀次郎に位牌が渡された。遺影、すっかり小さくなったタケが、遺族に渡された。
「監督としての萩原さんは、ここまでです。ひとりの大切な家族として、お連れ下さい」
 病院長・藤波正の目が濡れていた。
「お世話になりました」
 これまで気を張り続けていた秀次郎の声は、震えていた。
                         
「聖女の道標」抜粋
この瞬間。
公私の垣根が私だけに、やっと戻れたのだと表現したものです。私としてのタケは、日赤にいる限り、存在したものか……。今日において、命日になると大勢の看護師が墓参に訪れると聞いております。
作品のあとがきを頂いた川嶋みどり氏は、連載当時に、日本人通算100人目のフローレンスナイチンゲール記章を授与された方。あとがきは絶対にこの方だと、最初から思っておりました。おかげで素晴らしい締め括りになりましたこと、今でも感謝の念は尽きません。


ご親族個人所蔵、遺影に用いられた写真。貴重な戦前丸ビル写真店のものです

参考図書・参考資料は、単行本にすべて記載できなかったくらい膨大なもの。これだけ一己の作品に全身全霊を打ち込めたことは、恥ずかしながら後にもないことなんです。
講演会では、それが伝えられたらうれしい。

「聖女の道標」、何物かがAmazonで出店しておりますが、正式には西多摩新聞出版です。ありがたいことに重版。
お求めは、西多摩新聞サイトをご参照ください。
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参考文献は、次回、列記しよう。

筆同業諸氏が呆れるほどの物量であることは間違いない!