異形者たちの天下第4話-2
第4話-2 大坂という名の天国(ぱらいそ)
しかし家康にとって、性急なる大坂攻めの陣触れは、ひとつの誤算を生んだ。先に明石全登の大坂入城を許してしまったが、そのことにより過ちを犯したのだ。諸国に幽閉軟禁もしくは捨て置かれた反徳川の屈強な大名や武将への目配りを、逸った。その監視を一瞬でも怠ったのである。
結果として、予想外の大物が、続々と大坂城へ入った。
先ず十月七日、関ヶ原敗戦によりすべてを失っていた旧土佐国主・長宗我部宮内少輔盛親が旧臣五千騎を従えて参陣した。大名クラスの武将で合戦経験がある者の参陣は、大坂方を大いに狂喜たらしめた。更に同日、紀州九度山に幽閉されていた真田左衛門佐幸村が、配所を脱し大坂入城を果たした。徳川秀忠の関ヶ原遅参を演出した武田譲りの合戦巧者の入城に、これまた大坂方は狂喜感涙した。
徳川家康は真田幸村の大坂入城を聞かされたとき、動転の余り
「入ったのは父か、子か」
と、本多正純に訊ねた。
ここでいう父子とは、九度山へ配流した父(真田安房守昌幸)か子(真田幸村)かを指す。しかし真田昌幸は既に配流先で死亡していることが確認されていた。異なことを聞くものだと、正純は訝しがりながら
「子の左衛門佐に候」
と即答した。しかし、家康は容易には信用しなかった。
(真田安房守は武田信玄子飼いの武将。信長公も奴を我が眼と称しその才知を薫陶した。もしもこの者が大坂へ荷担したら……信玄が入城するも同然である。勝てる戦さも危うい)
しかも、死した男が実は生きていたなどという話は、戦国の御世にはよくあること。
(現に大坂には明石掃部頭という亡霊が参加した。我が手元にも、死んだはずの服部半蔵がいるのだ)
このことを熟慮したうえで、家康は麹町御門より服部半蔵正成を駿府へ召集した。表向きの死からはや一九年。服部半蔵の顔には自然と老いに伴う年輪が刻まれていた。その老骨をしげしげと眺めながら
(よき潮時よな)
家康は心の内で呟いた。
そして、大坂城へ忍び入り
「真田安房守の生死をしかと確認せよ」
と命じた。
服部半蔵は目を丸くした。真田昌幸の死は三年前、藤堂高虎により正確に家康の耳に達した筈だ。しかし裏を返せば、それを更に念押しせねばいられぬ程、家康はこの真田昌幸という人物を畏れているのだろう。
「大御所」
「なんだ」
「大御所の望む天下は、何でござりましょうや」
「……聞いてなんとする」
「徳川に天下を握らせたいと願う亡霊としては、本心を伺いとう存じます」
じっと家康は半蔵をみた。
(儂が荼吉尼天に結縁せしこと)
を知る半蔵である。まやかしは通じない。が、さりとて本心を明かしてやるつもりはない。
「豊臣との一件が終わるまでは明かせぬ」
そう答えた言葉の裏には、ひとつの決心があった。
(服部半蔵は、今度の大戦さで死んで貰わねばなるまい)
既に死んだ者である。今更死んだところで問題はない。家康の決心はそのまま余裕の態度として表に彩られた。半蔵はその微妙な変化に不吉を悟りながらも、大坂潜入の命令に服した。