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異形者たちの天下第4話-9

第4話-9 大坂という名の天国(ぱらいそ)

 慶長一九年一二月一七日、後水尾天皇の勅使として権大納言広橋兼勝と三条西実条が茶臼山本陣の家康を訪れた。両名とも武家伝奏の職に則り帝からの言上を家康に伝えるため、わざわざ戦地へ赴いてきたのである。
 家康は武装でこれに臨み参じた。
(帝の腹は読めておる)
からだ。そのためにも、毅然とした態度と格好を整えるのが得策と考えたのである。用向きはずばり
「和睦」
の勅命に他ならなかった。
「今度の戦さが長引けば民が困る。帝は早急なる和睦を望んでおじゃれば、間に立ってこれを勧めてもよいと仰せや」
 広橋兼勝の言葉に
「和睦の儀は然るべからず。調わざれば帝の御身を軽ろんじ給うものなれば、武家の戦いに御懸念無用」
と家康は拒絶した。
 この和睦仲介こそ、後水尾天皇による朝廷権威の復権を目論む一手であることを家康は見抜いていた。かといって露骨に拒絶するのも芸がない。だから失敗した場合を引合いに出し、やんわりとした口上でこれを固辞した。家康の態度はやんわりとは申せ無礼千万である。
 広橋兼勝と三条西実条は一語一区、相違なきよう家康の言葉を後水尾天皇に奏上した。当然、帝はそれを知り激怒したが、それまでだった。徳川が豊臣を滅ぼせば、武家の棟梁として家康は絶対的権力を持つ。これまでの厳格な接し方から洞察すれば
(間違いなく)
次は朝廷の番だろう。信長や秀吉は生前、些かの手心を以て朝廷には寛容であった。しかし家康にはそのような考えはない。それを思えば過激な反幕運動が果たして出来ようか。
 後水尾天皇は内心怒りを噛み締めながらも、武家同士が噛み合い傷つく様をむしろ愉しんで観覧してやろうという気になった。そうとでも思わねば
(やりきれぬ)
からである。
 それはそれで収まりついたが、しかし家康は、帝の横槍のない状況でこのとき
「秘かに」
大坂方との戦略的和睦を秘密裏に進めていた。完全に豊臣という名をこの世から消し去るための、苦し紛れの策である。
 
 一二月一八・一九日、徳川方に属する京極若狭守忠高の陣所で講和交渉が行われた。徳川方からは本多上野介正純・家康側室阿茶局が、豊臣方からは常高院が席についた。常高院は淀殿の妹であり徳川秀忠正室於江の姉である。また京極忠高の父・高次の正室が常高院ということもあり、この交渉は豊臣方首脳陣の懸念を払拭した体裁で行われたことが判る。
 この和睦の交渉については双方とも広報されたものではない秘密会談であった。そうでもしなければ徳川勢の厭戦気分は増長されるし、また大坂城内は統制が取れなくなる恐れがあったのである。
 この講和交渉により大坂城は外堀を埋め本丸以外の建物を破却すること、大野治長と織田有楽斎の子を人質に出すことが和睦の条件された。それ以外は一切不問という甘い誘いに、大坂城首脳陣は和睦に同意することを決意し淀殿の裁定を促した。大筒による空砲に脅える女たちの総意は
「合戦の早期解決」
であった。このとき淀殿の頭には空砲の轟きから逃れたい一心しかなかったのである。
 和睦の儀式は一二月二二日に完了した。
 
 大坂城内の主戦派は不服であった。
 が、これが家康の一時凌ぎの策ということくらい、歴戦の強者たる彼らはすでに洞察している。だから次の一戦に備え、彼らは独自で軍備を固める動きを取った。真田幸村は真田丸の木材一切が敵に渡るのを嫌い、自らの陣頭指揮でこれを破却し大坂城内へ運び込んでしまった。その他浪人武将たちも武具を整えるために行動を起こしている。
 そしてこれは、正しい選択であった。

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