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異形者たちの天下第3話-3

第3話-3 踊る漂白民(わたり)が笑ったあとに

 興業を終えた阿国一座は、迅速のうちに仙洞御所をあとにした。
 むかしは踊り芸人も無礼講で酒肴を相伴したものである。しかし阿国一座はやんわりとそれを固辞した。公卿の誰もが阿国の酌を期待していただけに、肩透かしの公卿も多い。
 阿国一座は漂白する一族である。世にこの者たちを埒外の民といい、傀儡子や山窩もこれに属した。彼らはすべて
「上ナシ」
の民であり主を持たぬ事を信条としていた。そして唯一支配を享受できる存在が、この国の唯一一天の支配者たる帝であった。当代随一の漂白芸人が身分を弁えず仙洞御所で踊りを献じるのは、芸能随一だけの理由ではないのだ。
 このとき幕府は傾奇者を禁じようとしていた。既に江戸・駿府といった直轄地では傾奇珍奇な芸能興業の類を禁じていたし、質実剛健に反するとして男伊達を洒落込む傾奇武者を追放する措置を断行している。そもそも傾奇とは、武士が戦場で綺羅を飾り手柄を誇示する風習から始まったものだ。華美になればそれだけ敵からも狙われ、更にそれを討ち果たして功を上げることが適う。
 南北朝動乱の頃には婆娑羅という言葉が流行った。本質的には婆娑羅も傾奇も大差はない。時代の常識を破壊して独自の文化と美学を貫いた、反骨の証がそれである。ただしこの婆娑羅文化は戦場における華美が発展したのではない。
 それだけが傾奇と異なる点であろう。
 ただただ綺羅をひけらかし、見てくれの華美を自慢する輩が戦国時代にも多かった。しかし偽傾奇は、すぐにメッキが剥がれて醜くなる。派手で無礼だが、しかし潔い。そんな男たちが、かつては戦場を駆け巡っていた。
 織田信長も豊臣秀吉も、かつては傾奇者をこよなく愛してきた。彼ら自身が傾奇者であったし、ゆえに傾く武士を愛し傾く芸能者を愛した。しかし家康は違う。彼は極度に傾奇者を嫌い、質実剛健を重んじた。
 ゆえに家康の主張が幕府の方針となり、武士の傾奇を忌み嫌う延長線に漂白民への締付けが生じた。自然、幕府の直轄地を逃れていく芸能者の落着き先は、京ということになる。このとき阿国のみならず、畿内西国には便乗興業を打つ傾奇踊りの芸人が山ほどいた。漂白民だけではなく、遊女屋や寺社境内に縄張る田舎ヤクザたちである。しかし芸の質はやはり本家本元の漂白民には叶うものではない。
 当時、西国外様の大名たちのなかには阿国のファンが多い。
 彼女のキャッチコピーが
「出雲大社の巫女」
だからだろう。
 西国、とくに中国地方が全国に誇れる神々の総社である出雲大社をアピールしているのだから、心情的には道理である。
 だからだろう。本音で云えば、仙洞御所に肖り是非とも我が国へと招致をしたかった。しかし幕府に気兼ねして大っぴらに招くことも出来ない。
 しかし、幕府の追求はそこまでだった。漂白民たちは徳川の支配には屈するつもりはない。彼らには
「埒外の民」
という誇りがある。
 それに、京の河原は公界であり天子の領であるから、芸人たちはそこを根城としている。幕府はこれに手を出すことが出来ない。埒外の民を本気で敵にすれば、忍ノ者がどんなに頑張っても太刀打ちできるものではない。殊、傀儡子や山窩などは全国にネットワークを持っているから、いつどこにいても執拗に反撃してくる。忍ノ者は目的を達成するまで執念深いと世にいわれるが、それさえ児戯に等しい執念深さを彼らは持っている。
 一言でいうなら
「ねちこい」
が正しいだろうか。
 とにかく攻撃対象を本人でなく妻子縁者にまで広げてくるのだから、一時は凌いでも際限なく攻撃は続く。コテコテなしつこさに大抵の人間は精神的に参ってしまう。いくら火の粉を振り払っても限りがないのだ。
 だから、得に忍ノ者は、努めて彼らとのトラブルを避けてきた。
 忍ノ者が嫌悪するのだから、武士が堪え切れる筈がない。
「触らぬ神に祟りなし」
というのが正しい解決策だろう。
 そのことを自覚している限り、徳川も自制心を以て、強硬な姿勢を河原に示せない。ほどほどの干渉をすることで体面を保つことが出来るなら、その道を選ぶ。他ならぬ強硬姿勢の家康でさえ、その方針を余儀なくしていた
 京四条河原。
 このとき阿国一座も漂白民の例に違わず、流木で小屋を建ててそこに留まった。ただし阿国自身は、その姿を河原に晒すことはなかった。周囲は漂白民の同族ばかりだから、つまらぬ野次馬もいるわけでもない。にも関わらず興業以外は一切外に顔を見せることがなかったのである。
 面妖なことであった。

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