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異形者たちの天下第3話-2

第3話-2 踊る漂白民(わたり)が笑ったあとに

 この年の傾奇御観覧は、時の帝・後水尾天皇も参加された。帝は御歳十九歳、その瑞々しい若玉にしてみれば、円熟した色香漂う阿国の踊りは刺激が強すぎた。後水尾帝には后はおられぬゆえ、踊りのなかで醸される激しい情欲は、御心を悶々とせしめたのは、もう島でもない。まことに苦痛であっただろう。さりとて宮中の者は総じて早熟である。若き帝とてその玉体を、ただただ青い煩悩に投じ身悶えるさせることは有り得ない。ましてや一九にもなれば、それなりの伽役も匿っていて、なんの不思議やあろうか。現にこのときも、前権大納言万里小路充房を中心にした近臣等が、房中に長けた女を用意させていた。
 四辻公遠の娘・およつ。彼女は帝の夜伽奉仕を一手に務めていた。このことは宮中の誰もが黙認していたから、さぞや今宵の臥所は
(激しく濡れ給うに相違なきや)
と、余人の脳裏には野暮な想像さえ掠めずにはいられない。
 
 ところで後水尾天皇には
「后はいない」
と先記したが、曖昧な表現をすれば
「入内の約束」
が取り交わされた女子が一応、存在している。ただしその女子の入内は、複雑な政治的背景を絡ませて、暗中模索の状態であった。
 現在、朝廷と幕府は必ずしも蜜月の関係ではない。遡ること七年前に起きた宮中官女密通の不祥事である
「猪熊事件」
を契機に、後陽成院と家康との関係はギクシャクしていた。この事件の沙汰を決したのは幕府である。不届きな不浄を後陽成院は嫌い、この沙汰について御叡慮賜った。それを幕府の干渉で蔑ろにされたのだから、院の怒りはただごとではない。以来、上皇は憎悪を以て徳川を睨んでいる。このとき後水尾天皇の后にと約されていたのは、その将軍徳川秀忠の娘である。
 
 徳川和子。
 
 僅か齢八歳の無垢なる幼女は、御身が政治の道具として利用される運命さえも知らない。
 朝廷は朝家と徳川家が縁戚になることを決して快く思っていない。かつて平安末期の源平争乱期、平清盛により武家の娘が入内した。武家との縁戚はその後の天下動乱に帝を晒すことに繋がる。だから今回も朝廷は極めて難色を示していた。徳川と豊臣が武力衝突したときに、帝がその矢面に立たされるような仕儀に至っては朝廷の恥にもなる。
 が、本音はそれでない。
 賜姓貴族は古来より
「源平藤橘」
の四氏である。故あって五番目の豊臣が発生したが、基本的にはその四氏が皇族の傍流として認められている貴種であり、その後胤が大名武士である。
 系図操作で徳川は源氏となった。しかし、元はどこの馬の骨とも判らぬ卑しき三河者である。金策に苦慮していた戦国時代、金を積まれれば朝廷も公卿も内々のうちに姓もくれてやるし系図も売る。肩書きが欲しければ臆面もなく金の遣取りをしてきた。しかしそこまでが限界だ。
 皇族朝廷もその血に下卑なモノが交わることを極度に嫌い畏れた。
 家康はたぶん天下取りの思惟のなかに、このことさえも組み込んでいたのだろう。公武一和という口当たりのいい言葉も、遠縁になることで帝さえ風下に置こうとする平家の真似事に過ぎない。
 ただでさえ感情的な面がある。
 それにも増して幕府からの風当たりが強くなってくれば、朝廷の反感は尚のことであった。徳川幕府は現在朝廷に対し
「公家衆法度五ヶ条」
を発布している。これは幕府が朝廷を縛る事実的干渉だ。
 まさに武家が公家を支配しようという布石だった。
 忌まわしい現実である。
 朝廷の誰もがそれから逃避したかったし、いつまでも正月の夢心地から醒めたくないと足掻いたに違いない。それだけに今年の阿国の舞に没頭する公卿たちの陶酔は、現実逃避そのものであった。

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