龍馬くじら飯 FINAL episode
最終話 京都 1867
慶応三年(1867)四月、坂本龍馬たち土佐脱藩者は全員許された。長崎の亀山社中は土佐預かりの〈海援隊〉となり、商社だけでは済まぬことも広く請け負った。討幕の空気は、時代の流れだった。トーマス・ブレーク・グラバーは、龍馬が秘密結社の意図に従い大乱の火種になることを求めた。しかし、龍馬の本心は
「無血革命こそ、世界のどこでも成し得ざった奇跡や思う」
という言葉にある。志が違う以上は生かしてはおけぬ。グラバーの報告により、フリーメイソンは龍馬の抹殺を意図した。
徳川将軍となった慶喜の側近がいる。津和野藩士の生まれで幕府のオランダ留学にも参加した西周助。海外で〈ラ・ベルトゥ・ロッジ・ナンバー7〉に入会したフリーメイソンだ。彼が裏から手をまわし、幕臣の感情を操作して坂本龍馬を討たせるよう、メイソンの指示があったことは想像に易い。当時、日本の開明派でフリーメイソンに関わらぬ者は決して少なくない。
龍馬の周囲は、誰が味方で誰が敵かも分からぬ有様だった。この剣林弾雨の中を、飄々と歩いていく坂本龍馬の軽やかさは、やはり奇跡かも知れなかった。土佐藩の船の中で龍馬が描き上げた〈船中八策〉は、幕末期のバイブルとなるべき道標となった。
「幕府を倒した後は、どげんしたやよかかなあ」
西郷吉之助にはその方針がなかった。桂小五郎にも、ない。薩摩と長州の勢いに乗っかって、討幕の機運に便乗しようという小藩なら尚のこと。土佐藩だけが抜きんでて、その方針の主導権を握ったと云ってよい。
一〇月一四日、大政奉還成立。
武力革命の口実が無くなり、薩摩も長州も地団太踏んだ。そして、三百年におよぶ幕藩体制にあった多くの幕臣が路頭に迷う幻想に憑りつかれた。双方とも、無血革命という綺麗事よりも、血を流す道を望んでいた。その道を阻んだ坂本龍馬は、討幕と幕臣の双方から憎しみを一身に受けることとなる。
その身を案じる者も少なくない。勝麟太郎も千葉重太郎も、遠い江戸から龍馬の実を案じるしか出来なかった。
「先斗町あたりに繰り出すと、鯨の吸い物食わしてくれるそうやぞ」
「いかんや、出歩いたらいかんぞね」
海援隊の者たちは、龍馬を案じて外出を許さなかった。昨今の空気を読んで、土佐藩邸も龍馬を中には入れてくれない。洛中にあって、龍馬は隠れ家を転々と移るしかなく、それも白昼の人混みに紛れてやるしかない有様だった。
「ほら、坂本さん。大和煮、鯨の大和煮を買うてきたよ」
酢屋の土蔵の屋根裏に籠る龍馬のため、陸奥陽之助が億劫そうに先斗町から買い出ししてきた。最後に鯨を食べたのは、高杉晋作と口にした南蛮煮だった。慌ただしくて、鯨どころではなかったと、龍馬は苦笑した。
「陽之助、やっぱり美味いねや」
「当たり前やろう。京や大坂で食われてるのは、紀州で捕れたええ鯨ばっかりですよ。自慢の味ですさけ」
陸奥陽之助は紀州から飛び出し、神戸海軍操練所からずっと龍馬に付いてきた変人のひとりだ。自尊心が強く、仲間内で喧嘩も多いが、龍馬は大いに可愛がった。その柔軟で先を観る感性を見抜いていたのは龍馬だけだ。
「この先、刀のいらん世になったら、生きていけるがは儂と陽之助ばあかのう」
この言葉の本当の意味を、海援隊の誰も理解していない。龍馬と、陸奥陽之助を除けば……大政奉還とは、そういうことだった。ゆえに世にあぶれた者の恨みが、龍馬一身に降り注いでいる。
「ここもきょうびは人斬りみたいなのに狙われてますさけ。明日にでも近江屋の土蔵に移るようにしましょう。このこと、海援隊のなかでも限られた者しか知らん話ですし、土佐藩邸にも話してません」
「仕方ないのう」
師走にはまだ早いのに、京のあちこちでは気忙しさが目立つ。商人も、坊主も、侍たちも落ち着かぬ。大政奉還とは、もっと穏便なことだった筈なのに、新しい火薬樽を必死に探してはやく火を付けたそうな、そんな気忙しい世相だった。
「坂本さんは無事に京から出な、いつまでも隠れてる訳にはいかんやいしょ。江戸も危ないし、薩摩も長州も危ない。土佐も心もとないし、どうです、いっそのこと海の外にでも逃げてしまいましょうか」
「陽之助も、面白い冗談が云えるようになったねや」
「冗談なんかとちがうやいしょ」
龍馬はじっと身を潜めるしかなかった。じっとしていれば、いつか風向きも変わるだろう。日本のどこもきな臭いように、海の外だって安心はしていられない。グラバーのやっていることだって、十分、龍馬は気付いている。
「逃げてもしゃあないき」
龍馬が安全な場所は、京のどこかに隠れていることだ。そして存在が忘れられてしまうことだった。誰だって、いちばん危険な場所に留まるとは思わぬだろう。
「大和煮は腹持ちしてえいねや」
龍馬はこれまで、どれくらい各地の鯨料理を楽しんできただろうか。いちばん美味しかったのは、どこだっただろう。考えるだけ無駄なことだった。その価値観さえ人の数ほどあって、優劣など付けられない。
みんな、いいんだ。
それが、徳川の世が終わって新しい国に生まれ変わることにも重なって感じる。
(ほんじゃあきに鯨めしが、儂は好きなのだ)
坂本龍馬は心から、そう思うのだ。いつだったか、グラバーから聞いたことがあった。西洋では鯨から油を採るだけで、身は海に捨てている。物の価値観が異なるから、有益なものに気付かぬ国があるのだ。西洋は日本を見下しているが、日本だって無駄の多い西洋を冷ややかに見ていた。その良いところだけを繋いで、見直していけば、世の中はもっともっと、楽しいことで溢れるだろう。
(大らかにいきたいものだ、鯨のように)
最後の大和煮の一欠片を口に放り込んで、星の見えぬ夜空を龍馬は仰いだ。
大政奉還のひと月後、一一月一五日。
近江屋にて龍馬が暗殺されるまで、何を食して語らったものか。鯨は大和煮が最後の味だったかも知れない。
了