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異形者たちの天下第3話-9

第3話-9 踊る漂白民(わたり)が笑ったあとに

 大坂との緊張が高まるなか、四条河原から忽然と消えて何処へ去ったか判らず仕舞いの出雲の阿国が、大胆にも駿府城下へ参上したのは、この年十月一日のことである。本多正純はこれを退去させようとしたが、家康はこれを押留め
「駿府城へ入れてやれ。踊りを観てとらす」
と笑った。
 この時期に埒外の者と揉めるのは得策ではない。そう判断したからだ。更にいうならば、お六から傾奇踊りを
「是非にも観たい」
とせがまれたことも理由のひとつだ。とまれ噂の阿国が城内に入ったことで、駿府の家康家臣団は色めき立った。
 が。
 観覧は家康とお六だけに限られた。他の家臣は本多正純であろうとも同席は赦されなかったのである。せっかく踊りが観られると期待した者たちの落胆は大きい。さりとて文句をいえるものでもなく、せめてもと、彼らは城内中庭で舞台を拵える一座を遠巻きに見つめるのであった。
 その夜。
 家康とお六だけが観覧するなか、阿国の踊りが披露された。舞台の周囲は薪が焚かれて、まるで薪能を彷彿させる幽玄なる様である。
 
  身は浮き草よ 根を定めなの君を待つ
  去のやれ月の傾くに
  小夜の目覚めの暁は 飽かぬ別れの鳥も鳴く
  抱いて寝る夜の暁は 離れがたなの寝肌やうう
  はらくおろと いづれ誰が情ぞ村雨
  花も紅葉も一盛り ややこのをどり ふりよや見よや
 
 阿国の脇を添える女が一頻り踊り終えると、どこから降って湧いたものか、妖艶なる傾奇衣装を身に纏い、阿国が舞台の中央に君臨していた。
 
  世の中の人と契らば薄く契りて末まで遂げよ
  もみじ葉を見よ
  薄いが散るか 濃きぞまず散る
 
 ダイナミックな激しい踊りに、あれほど傾奇踊りを嫌悪していた筈の家康が身を乗り出し食い入るように観覧していた。傍らのお六は表情こそ冷ややかだが頬を紅潮させて、家康の手を握りしめている。踊りが派手になるにつれ衣装は緩くなり、二度三度と、円熟に実るたわわな乳房がぼろりと弾け出す。これも計算のうちなのか、計算の違いか。その都度踊りのなかで自然な所作を思わせながら阿国は乳房を収めて再び踊る。
 脇を添える女とて踊りが疎かでないから、更に若さに溢れた瑞々しい乳房を披露する。こちらも慣れた手つきでその都度直す。
 まるで女を知らぬ若党のように、家康は乳房が弾けるたびに呻くような感嘆を漏らし目を剥いた。さりとてこんな安っぽい悩殺ばかりをしているわけでなく、切れのよい激しいリズムに合わせた踊りは本格的な新興芸能の真骨頂といえよう。でなくば、嫌悪している傾奇踊りに家康が全面降伏する筈がない。そう、家康はこの瞬間、すっかり心を奪われていたのだ。
 この無間なる空間を支配していたのは阿国だ。
 家康の心はすべてを奪われていた。お六は……能面のように表情を凍りつかせたように微笑を浮かべながら、握っていた筈の家康の手から、いつしか男根へと滑り込み、ギュッと力を込めた。そして阿国はいよいよ責めるかのように踊り、脇を彩る女もまた呼吸を合わせてリズムを執る。
 この舞台を取巻く空間は、まさに別なる宇宙であった。
 そこには人間の本質があり、偽りの仮面すら自ら脱ぎ捨てんばかりの擾熱が渦巻いていた。家康はまるで催眠術に侵されたが如く、木偶人形のように微動だにしない。
 突如。
 演奏は止んだ。
 静寂が急速に辺りを支配すると、ふわりと阿国は飛んで家康の面前に控えた。
「大御所、よき響きの呼び名にござるな。さりとて此方様には我らと同じ臭いがしますぞ。漂白民にしかない臭い、此方様はまことに家康でござるか」
 虚ろな家康は、何かを発しようとした。
「無礼者!」
 お六が家康の陰茎を握り締めた。家康はすぐに覚醒した。
「いまのは……何か」
「大御所、この者が大御所を愚弄しますぞ。漂白民などと同じ臭いとは、なんと汚らわしい無礼を……」
 お六の言葉に家康は激情した。
 手元の太刀を引き寄せ一気に袈裟掛けに斬った。阿国は笑いながら微動だにせず、まんまと斬られてやった。血も出ず、肉塊になることもなく、腕をぶら下げながら阿国は立ち上がった。
「これは、傀儡の……」
 家康は声を失った。傀儡子は緻密な人形を絡繰り動かすことが出来るというが、目の前のこれは、まさしくその術だ。なんと阿国一座とは、傀儡子の一座であったのだ。
「おまえはすっかり魔に魅入られたようだな。竹千代よ」
 木偶の阿国はそういって笑った。
 家康は猛り狂い太刀を振り回した。今度は阿国の木偶はのらりくらりと切っ先をかわして高笑いした。まるで二人が舞台で踊っているような、そんな滑稽な様であった。
 と、一座のひとりがお六の背後に音もなく忍び寄り首筋に針のようなものを刺した。お六は目を剥いたまま倒れ込んだ。
「あっ……お六!」
 家康は駆け寄ろうとしたが、その足を払われて転倒した。
 一座の者たちはお六の随所に針を打っていく。それでもお六は死ぬことなく呻き声を洩していた。
「間違いなく荼吉尼天の化身ずら」
 一座の者はそう呟いた。

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