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あの時代だからできたこと

皆さんは「伝説巨人イデオン」というロボットアニメをご存じですか。
名前くらいはという方なら大勢いるでしょう。
観たよという方は、あの時代に両極端な感想で割れたと思います。
少なくとも、現代日本では絶対に作れないアニメでしょうね。
……当時も、そもそもはTV打ち切りでしたから

TVアニメ「機動戦士ガンダム」は、事実上の放送回数カット、打ち切りで終わった。あのクオリティを毎週のテレビアニメにしたのだが、1979年代はまだ追いつく視聴者に恵まれていない。
TVアニメ「伝説巨人イデオン」はガンダムを忘れて黒富野監督節がさく裂した作品で知られる。全43話の予定が、視聴率が悪かったこととスポンサーである玩具メーカーの商品が売れなかったこと等により39話で実質打ち切り。こいつもだ!
まあ、正直、子供に見せるアニメではないよな。

でも、歌はいいんだぞ。特にEDは。

すぎやまこういちのサウンドトラックは、無性に秀逸で、アニメの音楽を越えていた。

打ち切りに相応しい、唐突な終わり方をしたのも、80年代初頭の残酷なやり方と云える。
他局の別制作会社「宇宙戦士バルディオス」と、どっこいどっこいの雑で鬱なラストだ!

物語
西暦2300年。地球人類が外宇宙へ移民を開始して50年経過した遠い未来。地球人は2年前から移民を行っていたアンドロメダ星雲の植民星A-7・ソロ星で異星人文明の遺跡を発掘した。地球人類が外宇宙に進出して出会った6度目の異星人であることから「第6文明人」と呼称された。
一方その時、伝説の無限エネルギー「イデ」の探索のために「ロゴ・ダウ」(ソロ星)を訪れた異星人バッフ・クランと、地球人の移民が接触。さらに、無思慮な行動で本隊より離れたバッフ・クランの貴人カララ・アジバを捜索に出た下級兵士の発砲と、両者の疑心暗鬼により武力衝突へと発展。そのとき第6文明人の遺跡は合体し巨大人型メカ「イデオン」となった。
主人公ユウキ・コスモらは戦いを終結するべく「戦意はない」ことを示すために白旗を上げる。しかしバッフ・クラン社会では
「お前らを地上から抹殺する」
という逆の意味だった。そのため事態はさらに悪化する。地球人たちはイデオンと同じく発掘された宇宙船ソロ・シップに乗り込み宇宙へ逃れる。その遺跡にこそバッフ・クランの探し求める無限力「イデ」が秘められており、カララを乗せたソロ・シップの脱出により、事態は局地紛争から星間戦争、そして最終的には人類対バッフ・クランの全面戦争へと突入してしまう。安住の地を求めソロ・シップは地球人側の移民星に逃げ込むが、無限エネルギー「イデ」を求めるバッフ・クラン側は執拗な追跡の手を休めない。
劇中さまざまな人間模様が繰り広げられ、ソロ・シップは艦内に不和を抱えたまま宇宙を逃走し続けるが、次第に「イデ」の目覚めにより宇宙規模の異変が起こる。
最後に「イデ」が発動し、人類とバッフ・クランの双方が滅亡する。

テレビシリーズの最終話では、イデが仕組んだカララとドバの会談が決裂、ドバがソロ・シップの撃滅を命じたところで、唐突にイデが発動して両人類が滅亡するという内容。
ラスト4話分が欠けており、いきなり終わった。

このとき、地道な右肩上がりのプラモデル需要で、ガンダムが劇場化された。

この勢いは、イデオンの不完全燃焼にフラストレーションを抱えているスタッフとファンを発奮させた。

こうして、イデオンも「接触篇」「発動篇」二作同時公開という、今なら絶対にやらない上映に踏み切った!

内容は『接触篇』がテレビシリーズ前半の総集編。
『発動篇』が最終回の完全版となっている。
『発動篇』の製作を優先したため『接触篇』はストーリーの流れよりも作画クオリティを重視した。しかし、音楽はすぎやまこういちの美しい旋律に、当時LPレコードを購入したくらいド肝を抜かされた。

「皆殺しの富野」と呼ばれる監督の作品らしく、老若男女問わず徹底してキャラクターは凄惨な死を迎えた。昭和の、汚い立川の映画館でこれを観たときは……ショックだった。

監督だった富野由悠季は、本作をガンダムのようなムーブメントにしたかったらしい。
月刊アニメージュで連載されたのが『イデオンライナーノート』。当時、アニメージュ編集部に在籍していた鈴木敏夫が
「成程、世界を支配する神様が赤ん坊で、勝手なことをしたら色んな問題が起きるぞ、というのを要点にしてるんですね」
と核心を突く発言をしてしまい、慌てた富野は
「それは絶対に書かないでください。そんなに簡単に思われちゃ、僕の商売上がったりですから」
と鈴木に口止めを要求したというエピソードがあった。

ラストで、文明も種族も滅び去るというロボットアニメ。救いもヒーローもなく、深い業のもとで輪廻と過ちをリセットする点は、手塚治虫の名作「火の鳥」にも似たオチといえよう。ああ、そういえば、富野監督は虫プロ出身だった。名作「海のトリトン」は富野演出作品だったが、最終回に善と悪を引っ繰り返す手法で手塚のお叱りを被り出禁となったのは知られる逸話。

最後に美しい音楽をお楽しみ下さい~♪

いま、これほどのアニメを作っても売れないし、視聴する側もそこまで成熟できていない。萌え要素もないしね。
あの時代だから許された冒険だったと思う。
思い出の片隅にしまって置こう。