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79年目の日本人の夏

子どもの頃は、明治ってまだ当時生まれの年寄りも多くて、歴史にはなっていなかった気がする。当然、親世代が戦前戦中の記憶があり、戦没者という言葉の響きも当事者だという重みを含めていた。うちも、そう。祖父が南方で、帰って来なかった。幼かった父は、生きているときの記憶を持っていないという。赤焼けた写真が額に入っているだけ、今も実家にある。

どこの家にも、79年前の右往左往がある。
そう記すと、あまり歴史感はないのだが、生活も社会も時代の激動ぶりも、天地ほどに異なる。歴史という言葉は、無機質で、ショーケースに飾られているような突き放す無縁感を覚えさせる。だけど、いくら生々しい悲劇があったとしても、直接その時代を知る者がどれだけいるのだろう。

昭和・・・平成・・・令和・・・いまの日本人は、戦争を知らない子供たちとフォークギターを振り回していた世代にとっての孫・曾孫にあたるのだろうね。
戦争のことを分かれと云っても、直接の空襲や機銃掃射や爆弾の恐怖が実感できないのが、現在の日本人。ウクライナ戦争をテレビを通して見つめたところで、それ以上に残虐な「ロスケ」の恐ろしさを理解できない。
何よりも指揮者であり味方である日本軍が、生きて帰るな死んでこいという命令を出すこと。「逃げりゃあいいじゃん」と云ったところで、残された身内が被る社会的な孤立の恐怖。個人の気侭は結局ありえない世界。

ああ、やはり……大東亜戦争は歴史なのだ。
歴史という言葉の向こう側の世界になったのだ。

靖国神社は、もともとは明治維新で勝った官軍だけが祀られた社。近代戦争を重ねて、兵たちは死んでここに還ってくるという想いを胸に戦地へ赴いた拠り所。
戦争美化の具現化だという輩もいるが、人は、何かに縋らねば心穏やかになれぬことだってある。死ねば還る、ここに来れば帰らぬ息子に会える。星の数ほどの岸壁の母が、どれだけ心の折り合いをつけたことか。
戦争美化などと、勘違いも甚だしい。

思うんですよ。
好きで戦争にいく者はいないけど、戦争が避けられないなら戦うしかない。国と国は、そうやって、外交と戦争の二者択一を穏便に選択するために交渉し最善を探り妥協している。結果として喜怒哀楽があり、話し合いで解決することもあれば、最悪な戦争を迎えることがある。
銃後の非戦闘員にこそ、悲しみが残る。理屈じゃないんだ。
79年前、その戦争がやっと終わったとき、日本人になにが残されただろう。

広島や長崎や沖縄や、ことさら大きな被害のあった場所を選ばなくても、今いるこの場所の79年前にも、日常と戦争は同居していた。本音と建前を選びながら、日常会話を重ねていたのだ。
1945年の、5年前。
大きな戦争がはじまるときに、誰が焦土と化し親や子が還らぬ
「わずか5年後の未来」
を予想できただろうか。きっと、おるまい。

歴史はくりかえす。
が、こういうことは、繰り返されて欲しくない。
国民の声なんか国を司る誰かの耳には入るまいが、繰り返さぬ努力だけは、国民の信用が失墜している政府でも、絶対に忘れないでいて欲しい。

79年目の、夏が来るよ。

今年、昭和99年。