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異形者たちの天下第2話-1

第2話-1 葦の原から見える世界

 大久保長安事件から間もなく、幕府内は大きく派閥の流れが動いた。
 これまで老中として政治の中核を担った大久保相模守忠隣と、本多佐渡守正信が大きく対立した。このとき本多正信側を支持したのは駿府の徳川家康である。一方、長安死して気弱になった大久保忠隣を後押ししたのは、将軍徳川秀忠である。つまりこれは、江戸と駿府の権力私闘ともとれる。
 が。
 事はそんな単純なものではない。家康は己をいいように木偶人形とした長安が許せなかった。それに連なる者たちをも、である。だから長安の子等は僧籍にいる者までも根こそぎ滅ぼした。長安のバックにいて権威を振った忠隣も同じ憎悪の対象となって然るべしであった。
(つまらぬ意地)
だと、服部半蔵正成は思う。
 長安のしたことは長安だけの野心であり妄想の極みだ。大久保忠隣には預かり知らぬ次元の話である。そもそも忠隣はキリシタンではない。関心さえないのだ。冤罪である。
(さりとて将軍家は大御所に逆らえぬ。だから本多一派が大久保一族に取って代わるだけの話だわ。相模殿は失脚するわいの)
 服部半蔵はそう見極めた。
 それよりも、気掛かりなのは家康の事だ。あの事件以来、どうにも短慮で処断に残虐性が伴ってきた気がする。岡本大八事件だって、切腹か獄門で済むところを、わざわざ火炙りにする。何のためか、見せしめの為なら獄門だけで十分なのだ。何も生きた者を焼き殺す必要などない。
(まさかな)
 服部半蔵は目を瞑った。認めたくない言葉が幾度も頭の中を過ぎる。
「荼吉尼天」
 キリシタンへの迫害も、とみに増してきた。まるで異教徒を弾圧するが如くの振舞い。以前の家康はそんなことはなかった。宗教と貿易は切り離した考えを持っていた。だからウィリアム・アダムスなる西洋人を側近にしたり、朱印を与えて南蛮貿易を大いに奨励した。駿府の江尻湊を改修したのも西洋からの大型船が碇を降ろせる為だし、現に南蛮の船が駿河湾に多く停泊している。駿府城下は往年の堺さえ彷彿される様だった。
 不自然だ。
 不自然極まりない。
 そんな矢先、家康は江戸にひとつの奨励を命じてきた。
「稲荷信仰のすすめ」
 狐を神に見立てることは古来より珍しくない信仰だ。何よりも狐は化けるし化かす、禽獣でありながら神に近い生き物だと信じられてきた。それはそれで悪くはない話だが、家康が奨めるべき事なのか。
 その不可解さが、服部半蔵を悩ませるのであった。 
 
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